39 神の祟り1
ところで、カフィはこの国の王子さまだ。
ということは、彼の父は帝国皇帝で、当然祖父は前皇帝。
前皇帝の住居といえばそれなりのものだろうと思っていた。
現在、アイーシャはちょっと驚いている。
『……ものすごく普通よね?』
『いや、人の子の家としてはそれなりに大きいのではないですか?』
ザラムもあまり自信はなさそうだ。
目の前にあるのは、庭付き平屋建ての一軒家――――いや、庭は庭でもそこに植わっているのは芋や豆なので、畑付きの農家と呼んだ方がいいのかもしれない規模の家だった。
『そうね? 広いと言われれば広いのかもしれないけれど? ……ダメね。人間の家の規模について、私にどうこう言える知識はないわ』
以前カフィは「広さだけはある家」と言っていたからきっと広い方なのだろう。
しかし、目の前に広がる家屋は、退位したとはいえ元皇帝の家とはとても思えぬほど質素なものだった。
「お~い! じいさん、生きているか?」
アイーシャの戸惑いには気づかずに、カフィが大きな声をかける。かけ声のチョイスとして、それはいかがなものだろう。
「アイーシャ、こっちだよ」
返事も聞かず家の中に入ったカフィに、こいこいと手招きされたアイーシャは、ザラムの背を降り彼に続いた。
すると、広めのエントランスの奥の方から、使用人とおぼしき初老の男性が出てくる。
「これは、お帰りなさいませ、カフィ殿下」
「うん。帰ったわけではないけれど久しぶりだね、ゼン。じいさんは?」
初老の男性はゼンという名前らしい。
「主さまは奥の果樹園で収穫作業中です。カフィ殿下がおいでになるからと、一番おいしいメロンを吟味されているようですよ」
主と呼ぶからには使用人なのは間違いなさそうだ。
しかし――――、
「ん? 俺はじいさんが死にそうだから帰ってこいって言われたんだけど?」
「はい。明日をも知れぬ病に冒されておいででございます」
そんな重篤な病人は、果樹園で収穫などしないと思う。
カフィも同じように思ったのだろう、胡乱そうな眼差しをゼンに向けた。
「ひょっとしたら『仮病』という名の病かな?」
それならただじゃおかないぞ、という雰囲気を言外に滲ませて聞く。
「残念ながら病名は不明です。ただこの病は症状の出ているときと出ていないときの差がとても大きい病気なのです」
カフィの脅しなどにビクともせず、ゼンは答えた。
その後の彼の説明によると、症状の出ていないときの祖父はいたって普通。日常生活はすべてひとりでできるし、食事ももりもりと食べるという。それなのに一旦病状が現れるとベッドに寝たきり。高熱が続き何日も意識も戻らず死にかけるのだそうだ。
「実際、私も三度ほど今生の別れを覚悟いたしました」
それはたいへんな重病だった。
カフィも表情を曇らせる。
「しかし、その症状が出るとき以外の主さまは本当にお元気なのです。……おかげでご家族も、かくいう私も、最初はみんな仮病だと思ってしまいました。なにせたった今まで元気すぎるほどに元気だった方が、急に重病人になるのですから。皇太子殿下など『おじいさまったら、そういうドッキリは趣味が悪いわよ』と朗らかに貶しながら意識のない主さまの頭をペチペチとお叩きになったくらいです」
「…………姉さん」
彼女が皇太子でこの国は大丈夫なのだろうか?
「本当ならお元気なときも大事を取ってジッとしていてほしいのですが……なにせ主さまはあのご性格ですから」
ああ、とカフィは疲れたように頷く。
きっと彼の祖父は静かに寝てなどいられない性格なのだろう。
(――――病にしては珍しい症状ね)
そう、アイーシャは思った。
本人も他人も気づかずに症状が進む病は多い。痛みも体調不良もなく、僅かな違和感を与えるだけで徐々に体を蝕み、ある日突然牙をむく。そんな病があることをアイーシャは知っているし、もちろんカフィや祖父自身も承知していることだろう。
(でも、そういう病は一度表に出たら、あとは一気に症状が悪化するものよね?)
重篤な状態から回復することは難しく、命を落とすこともしばしば。
それが普通のはずだ。
(回復や悪化を、そこまで大きな振り幅で繰り返す病なんて聞いたことがないわ)
もちろんまったくないわけではないだろう。健常者に調子のいい日と悪い日があるように、病人だって具合のいいときと悪いときがある。それを繰り返しながら、だんだん回復していくか、もしくは悪化していくというのならわかるのだが……意識を失うほどの重体になった人間が、その後健常者と同じくらい元気になり、それを繰り返すなんて、普通はないはずだ。
(まあ、私は人間の病気のことなんてあまり詳しくないんだけど)
神に病はなかった。だから詳しくないのは不可抗力だ。
(でも、それって、病気っていうよりも――――)
アイーシャには、カフィの祖父と同じような症状になる原因に心当たりがあった。
「果樹園ならザラムも一緒に連れて行ってもいいですか?」
「あ? ああ。そうだな。じいさんの果樹園は広々しているし、馬が好きな果物もあったんじゃないかな? だったら外からまわろう」
アイーシャがそう言えば、カフィは快く了承する。きっとザラムに果樹園を見せてやりたいのだと思ったのだろう。
「本当にアイーシャはザラムを可愛がっているんだな。……なんだか妬けるよ」
冗談まじりにそんなことまで言ってきた。
たしかに、アイーシャはザラムを可愛がっている。闇の神は破壊神だったタドミールの一の眷属なのだから当然だ。
アイーシャが外に出れば、ザラムはすぐさま駆け寄ってきて鼻面をグリグリと押しつけてきた。
「いくらなんでも仲がよすぎじゃないか?」
カフィはちょっと不満そう。
『ハン! ポッとでの人間などが、私とタドミールさまの仲に嫉妬するなど烏滸がましい!』
ザラムは、カフィに対して歯をむき出し威嚇した。
「こら!」
アイーシャは、慌てて止める。
『もう、やめなさいザラム。……それより今から会うカフィさんのおじいさまをあなたに診てほしいのよ』
アイーシャの言葉を聞いたザラムは、すぐさま口を閉じて首を傾げた。
『私が診るのですか?』
『ええ、そうよ。私の予想が正しければ、その人は『神の祟り』にあっているのだと思うわ』
ザラムはピクリと耳を動かした。