3 闇の神2
闇の神ザラムは、白い顔をますます白くする。
「そ、そんな。タドミールさまに自分の加護をつけるなんて、そんな怖ろしいことできるはずがありません!」
「……その怖ろしさは、誰に対しての怖ろしさなの?」
「もちろんタドミールさまに決ま――――っ!! あ、あの! その!」
自分の失言に気づいたザラムは、これ以上ないほどに身を縮めた。
「ふ~ん? あなたたちが私をどう思っているのか、よくわかったわ」
「タドミールさま! ……あ、あの、その、これは――――」
アイーシャに睨まれたザラムは、蛇の前の蛙。以前の彼なら、さっさと逃げ出しているに違いない。
しかし、今この時、ザラムはすぐにでも消え去りたいのだろうに、ジッとがまんしてこの場にとどまっていた。
その態度は彼の覚悟を垣間見せる。
きっとザラムはここで追い払っても、またすぐアイーシャの後を追ってくるのだろう。
ヘタレのくせに変なところで粘り強いかつての配下に、アイーシャは白旗をあげる。
(そうね。だったら――――)
「ザラム。あなた私の騎獣になりなさい」
「……え?」
「ちょうど足がほしかったのよ。適当な獣を狩って調教するつもりだったのだけど、あなたがいるのなら手間が省けるわ。神馬でも麒麟でも魔狼でも好きなものに変化して私を乗せなさい。……あ、でも神竜はだめよ。人間って旅をするのに空は飛ばないみたいだから」
中堅伯爵家であるアイーシャの家では、移動の手段は普通の馬がひく馬車だった。アイーシャ自身は外出することがなかったのだが、他の家族が出入りするのを窓から見ていたので知っているのだ。神馬でないことには驚いたが、これはアミディ伯爵家が中堅だったからだろう。
アイーシャは、以前「どうして飛竜を使わないの?」と、父に聞いてみたことがあるのだが、少し驚いた伯爵は「アイーシャはおとぎ話が好きなのだな」と笑って頭をなでてきた。
――――このことから察するに、人間は空を飛んで移動することはないのだと推測している。
(それ以前も以後も、空を飛んで我が家に来た人間を見たことはないもの。私のこの推理は正しいはずだわ)
一を聞いて十を知る己が才能を、アイーシャがこっそり自画自賛していれば、ザラムが、なんとも言えない微妙な表情で見つめてくる。
「……人間は、空を飛ばないだけではなく、神馬や麒麟に乗ったりもしないと思うのですが」
「え? そうなの」
それは知らなかったアイーシャだ。
「じゃあ魔狼にする?」
「魔狼にも乗らないと思います!」
思いもよらぬほど強い口調で否定され、アイーシャは首を傾げた。
そう言われれば神獣や魔獣も人間に転生してからはまったく見かけたことがない。人の国の王都という限られた地域にいるせいだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「だったらなにに乗って旅をするの?」
「普通の馬です。そうでなければ徒歩でしょう」
「それだとずいぶん遅くない?」
普通の馬を貶めるつもりはないのだが、神馬に比べればスピードが劣るのは否めない。
「人間にとってはじゅうぶん速いのですよ」
目からウロコが落ちるとはこのことか?
たしかにアイーシャの周囲の人間は、とてもゆっくり動く生き物だった。
てっきり貴族とその使用人だからだと思っていたのだが、彼らが人間の基準だとすれば、普通の馬を速いと思うのもうなずける。
「ザラム、あなたって案外ものしりなのね?」
「タドミールさまの価値観の方がおかしいだけだと思います。人間としてお生まれになったのに、なにをどうしてそうなったのですか?」
「私は、家から出たことがなかったし、そもそもうちは中堅伯爵家だから」
「中堅ということは普通だということでしょう? ご両親はなにもおっしゃらなかったのですか?」
――――アイーシャの両親が言っていたのは、
『さすがアイーシャだ。他の者とは違う』
『やっぱりアイーシャは特別ですわ』
という親ばか丸出しの誉め言葉ばかりだ。
(え? 親ばか発言だとばかり思っていたんだけど?)
ひょっとしてあれは親ばかではなく、正当な評価だったのだろうか?
そうだとしたらアイーシャの思っていた普通とは?
「……………………ま、いっか」
結局アイーシャは、そう言った。なんといってもまだ十五歳。価値観が多少ずれているくらい、これからどうとでも直していけるはずだ。
「いいんですか!?」
ザラムが呆れたように聞いてくる。
「私がいいと言ったらいいのよ。今だって人間が神獣や魔獣に乗らないっていうことをあなたに聞いて知れたのだもの。これからもおいおい勉強していけばいいんだわ。……ということで、ザラムあなたは私の馬になりなさい」
きっぱり命令すれば、ザラムはガックリと肩を落とした。
「馬ではなく、人間として旅のお供をするのではいけないのですか?」
「ダメよ。ほしいのは足だもの。私、できるだけ早くシャルディに行きたいの。あなたがいやならいいわ。誰か他の者に頼むから」
「うあぁぁぁ~! なります! なります! 馬でもなんでもなりますから、私をお側に置いてください!」
こう見えて闇の神は嫉妬深い。
アイーシャの半神である創造神には敵わないと諦めているものの、他の神はずっとライバル視していて、「私が一番の眷属ですよね!?」と聞いてくるのが彼の口癖だった。
(神から人間に堕ちた私にはもうそれほどの魅力はないでしょうに、変わらず慕ってくれるのは、少し嬉しいわね)
アイーシャは、ほっこりとした気分になった。
「わかったわ。じゃあお願いね。これからよろしくザラム」
「は、はいぃぃぃ~!!」
ザラムは真っ赤になって身悶える。
そこで止めればいいのに、恍惚として呟きはじめた。
「よくよく考えれば、馬というのも悪くないな。だって、タドミールさまの小さなお尻が私の背中に乗るということなのだから」
――――前言撤回。
やっぱり追い返そう。
いや、いっそこの場で消滅させるべきか?
アイーシャの不穏な空気を秒で感じとったザラムは、直後「けっして不埒な想像はしません!」と誓い、泣き縋ってきた。
しぶしぶ供を許してやったのは、昔のよしみがあったから。
変態な元配下を持つと苦労すると、アイーシャはしみじみ思った。