38 イーヴァ帝国5
ミナモの王城を出て、天上山脈までひとっ跳び。レックスに「お座り」させて逆鱗を差し出させてとんぼ返り。
きっと、その間十分も経っていなかっただろう。
なのに、なぜか城門の中は大騒ぎになっていた。
いまにも馬に乗って飛び出そうとしているカフィと、その前で両手を広げ止めているルスラン。ソゾンは、カフィの馬の手綱を引っ張っていて、その他にも大勢の人間が集まり口々にカフィを止めている。
「……いったいなんの騒ぎですか?」
ザラムの手綱を引き、普通にスタスタと門の中に歩み行ったアイーシャは、騒ぎの端の方にいた、妙齢な女性にたずねた。人目を惹くたいへんな美人である。
「あら? 見かけない可愛い子ね。うちの城になにかご用かしら? せっかくきてくれたのに、うるさくてごめんなさいね。なんかね、三年半ぶりに帰ってきた三番目の弟を二番目の弟が怒らせちゃったらしいのよ。三番目の弟にとって、とても大切な人を怒らせちゃったみたいでね。家族の顔も見ずに出て行くって言うから、みんなで止めているところなの」
どうやらこの美人はカフィの姉らしい。
「こんなに皆さんに止められるなんて、カフィさんは愛されているんですね」
「そうねぇ? 昔っから自由気ままに好き勝手している弟だけど、なんとなく憎めないのよね。――――って、あら? 私、あなたに弟の名前を教えたかしら?」
女性は、可愛らしく首を傾げた。
……うん、きっとこの人もカフィ同様の愛されキャラだ。
「名乗るのが遅くなってすみません。アイーシャといいます。たぶん私がカフィさんの『大切な人』です」
アイーシャの名乗りを聞いた女性は、目を丸くした。
「あらあら、まあまあ、そうなのね。こんな可愛い子なら納得だわ。どうりでカフィがあんなに怒るはずよ。……アイーシャさん、はじめまして。私はキーラ。カフィの姉で一応この国の皇太子をしているわ」
お姉さん――――あらため、キーラは明るく名乗り返してくれた。
そういえば、この国は女性にも皇位継承権があるんだった。
「あなたもカフィと一緒におじいさまのところに行くのかしら?」
「はい。その予定だと聞いています」
「そう。ならこれ以上引き留めるのは申し訳ないわね。カフィの顔も見られたし、行っても大丈夫よ」
キーラはそう言うと、手をパンパンと叩いた。
風の魔法を使ったのだろう。軽く叩いたはずの音が周囲に大きく響く。
「ハイ、そこまで! みんな解散よ。カフィを自由にさせてあげて、全員持ち場に戻りなさい!」
「姉上!」
ソゾンが不服そうに叫んだ。
同時にカフィがアイーシャに気づく。
「アイーシャ!」
馬からおりると、あっという間に駆けてきた。
「よかった。帰ってきてくれたんだね」
「そういう約束でしたから」
「ああ、ああ、そうだね。……お帰り。嬉しいよ」
いったい、いつの間にカフィは、こんなにアイーシャに懐いたのだろう。
不思議だなと思うけれど、それがイヤではないアイーシャだった。
しかし、きちんと言うことは言わなければならない。
「――――私、さっさとお兄さんやルスランさんと話をつけて、ご家族と再会していてくださいって言いましたよね?」
カフィは、しまったという顔をする。
「……それはそうなんだけど、アイーシャが心配で」
心配する必要などなかったのに。
「どこにも行かないって言いましたよね?」
「実際、君は行ってしまった」
「すぐに帰ってきたでしょう?」
「それでも心配だったんだ!」
押し問答になりそうな気配に、アイーシャは困ってしまう。
「私とカフィさんは、別々の人間です」
「……うん」
「四六時中ずっと一緒にいるなんて、できるはずがありません」
「……わかっている」
「私とこれからも一緒にいてくださるのなら、少しくらいの間離れていても平気でいてくれなくては困ります」
「……ずっと一緒にいてくれるのかい?」
アイーシャの注意したこととは別の言葉尻を捉えたカフィが、嬉しそうに笑う。
そうじゃない! ……いや、そうなのか?
迷うアイーシャの横で、大きな声が上がった。
「まあ、カフィったら。いつの間にそんな風になったの?」
声の主はキーラで、彼女はカフィそっくりの緑の目を丸くして驚いている。
「あなたって、一見愛想がよくて誰にでも親切だけど、反面特定の誰かにこだわるってことがなくて、要は八方美人。来る者拒まずはともかく、去る者追わずがあんまり淡泊すぎるから、私もお父さまたちもみんな心配していたのに。……でも、よかったわ。ちゃんと大切な人が見つかったみたいね。だからって、あんまり執着しすぎると嫌われてしまうわよ?」
「姉さん!」
カフィは焦ったような声を上げた。
キーラは楽しそうにコロコロと笑う。
「さあさあ、いつまでもこんなところでアイーシャさんを待たせていないで、早くおじいさまのところにお行きなさい。お父さまたちが、きっと後からおじいさまのところに顔を出すから、そのとき挨拶しなさいね」
「――――誰が、俺を引き留めていたんだ?」
「ソゾンかしら?」
「姉上!」
責任をまるっと弟に押しつける姉の発言に、ソゾンが大声で抗議した。
キーラはますます楽しそうに笑う。
「はぁ~。もういい、行こうアイーシャ。遅くなってすまなかったね」
カフィは、さっさと自分の馬に乗った。
アイーシャも、ひらりとザラムに跨がる。
「後でね!」
ブンブンと手を振るキーラに、ソゾンはまだ文句を言っている。
たしかに、これ以上つき合っても疲れるばかりだろう。
アイーシャとカフィは、馬を走らせはじめる。
さすがにルスランも今度は止めようとしなかった。
「本当に俺の家族が悪かったね」
門を出、少し馬を走らせたところで、カフィは大きなため息をつく。
たしかにあんなに家族がたくさん出てくるとは思わなかったけれど、とくに謝られるようなことはなかったはずだ。
「みなさんカフィさんが大好きなんですね」
「……あまり否定できないな」
ムスッとするカフィは、なんだかとても可愛らしい。
「ひょっとしておじいさまもあんな感じですか?」
「いや。さすがにじいさんは、もう少し落ち着いていると思うけど――――」
それほど期待はできないみたいだ。
まあ、それも楽しいかもしれない。
「どんなおじいさまか、今からとっても楽しみです」
アイーシャは、本気でそう思った。