36 イーヴァ帝国3
「…………弱いから、他の呼び方ができなかったのか?」
そのとおりである。
しかし「加護なし」も一緒に告げたのに「弱い」の方に反応されたのは、はじめてだ。
たったそれだけだが、アイーシャはルスランに好意を持つ。
そのとき、ルスランがアイーシャと話しているのに気がついたカフィが、ソゾを振り切り近寄ってきた。
「ルスラン! アイーシャに余計なことを言っていないだろうな!?」
余計なこととは、なんだろう?
「そんなはずないでしょう」
「本当か?」
「ええ。それより、そんなふうに慌てては、私に話されたくないなにかがあるのかと、このお嬢さんに思われてしまいますよ」
ルスランの言う通りである。既にアイーシャは、カフィの言う「余計なこと」に興味津々だ。
カフィが、しまったというように慌てだす。
しかし、アイーシャがそれを聞こうとする前に、今度はソゾがカフィを追いかけてやってきた。
「カフィ! ……え、その子は誰だ? …………ハッ! まさか、お前、あんまり運命の人が見つからないからって、幼い少女を自分好みに育てようとしているんじゃないだろうな?」
アイーシャを見たソゾは驚いて、次いでカフィに冷たい目を向ける。
「なっ、違うから! 俺がそんなことをするはずないだろう?」
心外だとばかりに、カフィは怒鳴った。
「いや、お前ならやりかねない」
どうやら、ソゾのカフィに対する評価は、最低らしい。
「ちょっ! 止めろよな。その言い方だとまるで俺が危険人物みたいじゃないか!」
「事実だろう」
淡々と返されてカフィは頬を膨らませた。
しかし、言い争っても無駄だと思ったのか、渋々ながらもアイーシャをソゾに紹介する。
「彼女はアイーシャ。旅の途中で出会って縁あって一緒に旅をしているんだ。……っていうか、俺の方が彼女から目を離したくないから、無理やり一緒についていっているって感じかな?」
「…………まさかのストーカーですか?」
「ロリコンだけでも、どうしようと思ったのに」
ルスランとソゾが、顔色を悪くする。
「違うって言っているだろう! 少しは俺を信用しろ!」
「できるはずがないだろう!」
カフィとソゾは、再び兄弟ゲンカをはじめた。
どうにも仲のよい兄弟である。
『うるさい人間どもですね。タドミールさまをお待たせしているのも無礼千万です! まとめて消滅させますか?』
耳をパタパタと動かしながらザラムが聞いてきた。かなり苛立っているのが丸わかりだ。
『少しくらいうるさくても我慢しなさい。三年半ぶりの再会なのですもの。人間にとって三年半っていうのは案外長いものなのよ…………たぶんね?』
そのへんの時間感覚は、ちょっと自信がない。
首を叩いて言い聞かせていれば、ルスランが申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「なにか、すまないね。ソゾンさまは普段はもっと冷静な方なのだが」
どうやらソゾは、ソゾンという名前らしい。
「いえ、大丈夫です。カフィさんもいつもはもっと落ち着いた感じですけれど、きっとお兄さまに会えて嬉しいのでしょうね」
「そう言ってもらえるとありがたい。……どうだろう? 先に城内を案内させてもらえないかな?」
ルスランの提案を受けて、アイーシャは考えこんだ。
先ほどザラムにはああ言ったが、たしかにいつまでもこうしていても時間の無駄である。
「……でしたら、私は先に用事をすませてきますね」
(ちょうどいいわ。ササッと天上山脈に行って、チョコチョコッと魔竜の逆鱗を取ってきましょう。きっと十分もあれば行って帰ってこられるわよね?)
アイーシャは、心の中でこれからの段取りをつける。
しかし――――。
「用事とはどこかな? もしも城の外に出るよならば護衛をつけるよ」
ルスランが心配そうに申し出てくれた。
護衛なんて不要どころか、邪魔である。
「私には、ザラムがいますから大丈夫です」
『タドミールさま! この私を頼りにしてくださるなんて、嬉しいです』
アイーシャの言葉を聞いたザラムは、喜んでヒヒンと嘶く。
今にも駆け出しそうな勢いを、手綱をギュッと掴んで引きとめた。
「……そうか。では道案内をつけよう」
それも天上山脈に行くのなら不要なもの。
アイーシャは、少し考え込んだ。
「…………えっと? ひょっとして、私をひとりで行かせないようにしています?」
首を傾げて聞いてみる。
ルスランは、先ほどの『戦意』がアイーシャのものだと知っている。であれば、彼女に護衛など不要なことはわかっているはずなのだ。
それなのに、無理やりにでも誰かと同行させようとしているように思える。
(ここまで食い下がってくるってことは、私から目を離したくないのよね?)
ルスランは気まずそうに黙りこんだ。
「――――私って危険人物認定されています?」
「ぐっ」とルスランが呻く。
なにより明確な「イエス」だと、アイーシャは思った。
(まあ、それも仕方のないことなのかもしれないけれど……)
どうしようかなぁと、考え込む。
…………なんだかいろいろ面倒になってきた。
(カフィさんに頼まれてここまできたけれど、もういいかもしれないわ。魔竜の逆鱗だけあとで必ず届けることにして、私はいなくなってもいいんじゃない?)
――――空を見上げる。
雲ひとつない青い空は、まるでアイーシャを呼んでいるよう。
なんとなく手を伸ばしたくなったアイーシャが、片手を上げようとすれば――――その手をパシッと掴まれた。
驚いて振り向けば、そこにはカフィがいて、とても真剣な顔をしている。
「カフィさん?」
「俺も行く!」
「え?」
「アイーシャがどこかに行くなら、俺も行く!」
カフィの緑の目が、強く輝いていた。
その目の真ん中に、キョトンとしている少女が映っている。
それがなんだかおかしくて、アイーシャは表情を緩めた。
目の中の少女も笑っている。だから、まあいいかと、アイーシャは思う。
「――――どこにも行きませんよ」
そう言った。
「――――あ」
「しいてあげるなら、カフィさんと一緒にこのお城で挨拶して、その後でおじいさまのところに行くのでしょう?」
「…………それでいいのかい?」
カフィは自信がなさそうだ。
アイーシャは、ニッコリ笑いかける。
「いいんですよ。そうするって私が決めたんですから」
「…………そうか」
いつだってアイーシャを引き留めるのは、彼女が側にいたいと思った者の目だ。
――――そう、いつだって。
ザラムがカツンと蹄で地面を蹴った。
「――――ということで、私はちょっと出かけてきますので、カフィさんは先にご家族にご挨拶していてくださいね」
「へ?」
とたんカフィは慌て出す。
「たった今どこへも行かないって言ったよね?」
「ええ。どこにも行きません。ちゃんとカフィさんと一緒にご家族に会いますよ。でも、この調子だとご家族に会えるまで、まだまだ時間がかかりそうですよね? その間、ただ待っているだけなのも馬鹿らし――――暇なので、お出かけしてきます」
「俺も行――――」
「そうしたら、また遅くなるだけでしょう? さっさとお兄さんやルスランさんと話をつけて、ご家族と再会していてください。私は、最後にご挨拶だけさせてもらえばいいですので。……そうですね。十分くらいで戻ってきます。あ、もちろん護衛も道案内もいりませんよ。ちゃんと帰ってきますからご安心ください」
アイーシャがそう言いながらルスランを見れば、彼は決まり悪そうな顔をする。カフィにジロリと睨まれて、露骨に目を逸らした。
「じゃあ」
「アイーシャ!」
『行くわよ。ザラム』
アイーシャの言葉と同時に、ザラムは駆け出した。
ひどく弱い拘束魔法と追尾魔法みたいなものが飛んできたようだが、ザラムに届くはずもない。
高い壁も、ひとっ飛び。
なんならそのまま空も飛べるのだが、さすがに止めておいた。
地面に着地し、道を曲がったタイミングで姿消しの魔法をかける。
「天上山脈に跳びなさい」
「承知しました」
次の瞬間、アイーシャとザラムは、険しい山の頂上にいた。