35 イーヴァ帝国2
幅広で見上げるようなアーチ門の両脇には、槍を持った門番が立っている。
「ただいま」
カフィは気軽にそう告げると、スタスタと門をくぐろうとした。
慌てたのは、門番の若い方の兵士だ。
「ただいま……って? なんだお前?」
どうやら兵士は、カフィを知らないらしい。きっと彼が旅立ってから採用された者なのだろう。
それでも帝国民なら王子の顔くらい覚えていてよさそうなものだが――――。
(……うん、無理よね)
カフィとアイーシャは長旅の末、イーヴァ帝国王都ミナモに着いたばかり。丈夫が取り柄の厚手のシャツと動きやすさを一番に追求したズボン、おまけに旅の汚れがたっぷりついたフードつきのマントを着ている。
つまり、どこからどう見ても一介の旅人で、王族はおろか貴族にさえ見えない格好をしているのだった。
(これで王子さまだなんて、絶対誰も信じないわ)
それでも、もうひとりの中年の兵士は、考えこむように首を傾げている。カフィに見覚えはあるものの誰かは思い出せない……といったところか。
「俺は、カフィだよ。…………う~んと、ルスランはいるかな?」
自分が王子だと名乗っても信じてもらえないと思ったのか、カフィは顔見知りの人物を呼んでもらおうしたようだった。
しかし――――。
「こいつ! 近衛騎士団長を呼び捨てにするなんて、自分を何さまだと思っている!」
カフィが指名したルスランという人物は、近衛騎士団長。つまり、門番の兵士にとっては雲の上の存在の上司なのだ。
その名を馴れ馴れしく呼んだカフィに、彼は怒りだす。
「う~ん? 何さまか教えてもいいんだけど……たぶん信じないだろうしなぁ?」
カフィは困り切って眉を寄せた。
アイーシャは、考えた末にちょっと手を貸すことにする。
背伸びして、カフィの耳元に口を近づけた。
「ルスランさんという方は、お強いのですか?」
「え? あ、ああ。そうだな。イーヴァ帝国一の剣の使い手だよ」
体をアイーシャの方に傾けて、カフィは答える。
「わかりました」
それなら呼ぶのは簡単そうだ。
アイーシャは、静かに目を閉じる。
次いで、戦意を体に漲らせた。
(どのくらいの加減がいいかしら? あまり多いと怖がらせちゃうから……少なめで?)
考えながら戦意を放つ。
カフィが隣で息をのんだ。
ザラムが落ち着かないように足踏みする。
一方、門番二人は困惑顔だ。突如動かなくなったアイーシャが、なにをしているのかさっぱりわかっていないらしい。
(うんうん。ある程度の強さのある者にしかわからないくらいにできたわね。……そのルスランっていう人が強ければ、これを感知して出てくるはずだけど)
冷静に観察していれば、突然城の中が騒がしくなった。
アイーシャの目論見どおり、数人の人間が息せき切って駆けつけてくる。
「――――なにごとだ!?」
声と同時に見えない拘束魔法も飛んできた。
もちろん、即座に叩き落とす。
縛られる趣味なんてないからだ。
拘束魔法を放ったと思われる人物は、驚いたように足を止めた。
「私の魔法を防いだ? ……くっ、危険だ。迂闊に近づくな!」
大声で怒鳴っている。
おかげで駆け寄ってきていた全員が、歩みを止めた。
「…………あちゃ~」
隣でカフィがおかしな声をあげる。
「あの中にルスランさんはいますか?」
アイーシャの質問に、大きなため息を返してきた。
「いるにはいるけれど……ああ、でもアイーシャは、俺のためにルスランを呼び寄せてくれたんだよね?」
「はい」
「だったらまずは、ありがとう、かな。……でも今度は、できるなら先になにをやるか相談してからにしてほしいな」
『タドミールさまのお手を煩わせておきながらなんたる言い草! やはり始末してしまいましょう!』
『絶対ダメよ!』
いつも通りのザラムを叱っている間に、駆け寄ってきた者たちの中から声が上がる。
「まさか? ……カフィ殿下?」
大柄な男性がカフィに気づいたのだろう、一歩前に出た。
「やあ、ルスラン、ただいま」
カフィは明るく答えると、ヒラヒラと手を振る。
どうやら彼がルスランらしい。
「なっ!? ――――カフィ? 大騒ぎだと思ったら、やっぱりお前なのか!」
次に声を出したのは、アイーシャに拘束魔法を放った男性だった。
「ハハハ、相変わらずだね。ソゾ兄さん」
なんと、彼はカフィの兄のようだ。名前はソゾというらしい。
「お前は! 帰ってくるならくるで、どうして事前に連絡をよこさないんだ!?」
「そっちが呼びつけたから、きたんだよ。それに連絡ならしたよ、じいさんに」
怒鳴るソゾに、カフィは五月蠅そうに返事する。
ソゾは、ますます激高した。
「おじいさまがそういった連絡を城に回すはずがないだろう! さては……お前わかっていてやったな?」
「どうせ俺は城には長居しないんだから、かまわないだろう?」
「かまうに決まっている! っていうか、まさか顔だけ出して城には滞在しないつもりなのか?」
「当然だろう?」
「当然じゃない!」
――――兄弟ゲンカがはじまってしまった。
ここは止めた方がいいのだろうかと、アイーシャは悩む。
(もういっぺん戦意をぶつければ止まるかな? 身動きできなくなるようなレベルのやつなら確実よね?)
考えていれば大柄な男性が近寄ってきた。元々この場に呼ぼうとしていたルスラン近衛騎士団長だ。
「こんにちは、お嬢ちゃん。俺はイーヴァ帝国近衛騎士団長ルスランという。……もしかしてもしかしなくても、先ほどの殺気は君なのかな?」
丁寧に挨拶してくれる。
アイーシャは、背筋を伸ばして一礼した。
「はい。……はじめまして、私は冒険者のアイーシャと申します。ただ、先ほどのものは殺気ではなく戦意です」
「…………そうか、まさかと思ったが、やはり君だったんだな」
この場にいるルスランが知らない人物といえばアイーシャひとり。それで、アイーシャが戦意を放ったのだと、ルスランは判断したのだろう。
「私は、カフィさんにいろいろとお世話になっているんです。その恩人のカフィさんが、せっかくお家に帰ってきたのに、そこの門番さんに足止めされていたので、ルスランさんを呼ぼうとして戦意を使わせてもらいました」
順を追って説明すれば、ルスランは大きなため息をついた。
「それは部下が至らずに申し訳なかった。……しかし、できればもう少し穏便な呼び方をしてもらえたらと思う」
そうは言われても困ってしまう。
「申し訳ありません。私は加護なしで、普通の人より弱いので、他の呼び方ができなかったんです」
せめて以前の百分の一くらいの力があったなら、名前だけしかわからない相手でも、特定して連れてくることなど朝飯前だったのに。
我が身の不甲斐なさを嘆いたアイーシャが、申し訳なさに頭を下げれば、ルスランは目を見開いた。