23 テスト6
高々とフッ飛んだモフセンは、ドン! と天井にぶつかって、ヒュウと落下、バン! と床に落ちて気絶する。
(1、2、3…………)
アイーシャは、頭の中でカウントをはじめた。
(…………7、8、9、――――)
十と数えきる寸前にモフセンは飛び起きる。
「はっ! 俺は、なにを――――」
残念。一秒足りなかった。
「失敗です」
そう思ったアイーシャは、正直に試験官に自己申告する。
「…………へ? あ、ああ! いやいや、十分だよ! 十分、君の勝ちだ!」
顎が外れるのではないかと思うほどポカンと口を開けていた試験官は、焦って口を閉めると、なぜか逃げ腰になってそう言ってくれた。
「でも、十秒には少し足りなくて」
「そんな細かいこと誰も気にしないから大丈夫だ! 体に触れずに相手を倒し、気絶までさせた君に文句を言える者がいるはずない。君は私が責任を持って合格にしよう!」
アイーシャは、ポカンとしてしまった。
「合格ですか? でも、私はまだ正式な体術のテストを受けていませんけど?」
「君にテストは必要ない! 試験官権限でそういう判定もできるから大丈夫だ。最高得点を与えると約束するよ」
それはありがたい話なのだが、本当にいいのだろうか?
「えっと、私は、別に今ので疲れたりしていませんよ? すぐに戦っても大丈夫なくらいです」
「いやいや、そんな心配何ひとつしていないよ。君がまったく疲れていないのはよくわかる。純粋に君の体術を評価しての判断だから安心してほしい」
そこまで言われたら受けるしかないのだろう。
「……でも、他の皆さんに悪いのではないですか?」
剣術テストに続き、アイーシャひとりだけ特別扱いとか、不満に思うのではないだろうか? 心配して振り返れば、そこにいた人々がみんなビクッと震えた。
「い、異議なし!」
「合格に大賛成!」
「合格、合格、絶対合格!!」
「なんでもいいからこれ以上戦わないでほしい!!」
みんな一斉に叫びだす。中には意味不明な声もあったけれど、とりあえず全員一致でアイーシャの合格を認めてくれているらしい。
みんな優しい人たちばかりである。
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
「そうか、そうか、よかった! それでこの後だが、どうしたい? 剣術のテストのときと同じように自由にしてもらってかまわないから。次の魔法のテストまでに戻っ――――」
「あの! その件なんですが、ここで見学していてもいいですか?」
また外に出されたらたまらないと思ったアイーシャは、焦り気味にそう言った。
先ほど一勝して出て行っただけでも、カフィには不思議そうにされてしまったのだ。それが今度は一勝もしていないのに合格なんて、もっと不思議がられるに決まっている。
(ザラムも私が普通なのかどうか疑っていたし、ここは出て行かない方がいいわ)
それに他の人のテストだって見てみたい。
私のお願いを聞いた試験官は、複雑そうな顔をした。
「それはもちろんかまわないが……君が他の人のテストを見ても、あまり参考にはならないのではないかな」
「そんなことありません。ぜひ皆さんの戦い方を今後の参考にしたいと思います!」
よくよく考えてみたら、これは世に言う普通を知る絶好のチャンスだ。
(これだけ大勢の人がいるんだもの。この中で一番多くの人が使う戦い方が普通のはずよね?)
我ながらとっても冴えていると、アイーシャは思う。
これでザラムに偉そうな態度をとられないですむようになるだろう。
「そ、そうか。ではそちらに座って見ていなさい」
アイーシャは、試験官に言われたとおり部屋の隅に移動してテストを見守ることにした。
……しかし、それからいくらもしないうちに、首をひねることになる。
(なんでみんなこんなにゆっくり動いているの?)
体術のパターンは大きく分けて二つ。
ひとつは対戦相手に接近し、その体や服を直接掴み相手を倒そうというもの。
残るひとつは、型は様々だが殴る蹴るの技で相手にダメージを与える方法だ。
どちらもそれなりに考えられたいい術だと思うのだが、いかんせんあまりに動きが鈍すぎる。
「あの?」
ちょうど側を通りかかった試験官に、アイーシャは意をけっして声をかけた。
「なにかな?」
「どうして皆さんこんなにゆっくり動いているのですか?」
アイーシャの声が聞こえた範囲の人たちが動きを止める。
「……ゆっくり?」
「ええ。皆さんとても遅いですよね?」
試験官は微かに顔を引きつらせた。
「いや、格別に遅いようには感じられないが?」
冗談は言わないでほしい。
「そんなわけありません。だって、こんなに遅くては地竜にだって余裕で逃げられてしまいますよ!」
地竜とは竜種の中で一番動きの遅い生き物だ。神々の中では遅いことを『地竜の歩み』と比喩することもある。
「地竜!?」
「地竜となんか戦えるか!」
「むしろ逃げてくれてラッキー! てなもんだろう」
いやいやそんなはずはない。
「逃げられたら討伐できませんよね?」
アイーシャはいたって真剣だった。
なのに――――、
「地竜を討伐とか冗談だろう?」
「地竜に限らずどんな竜種も討伐されたなんて話は聞かないぞ」
「Sランクだけで組んだパーティーが十組くらいでかからなきゃ討伐できないんじゃないか?」
周囲の人々から返ってくる言葉は、冗談でしょう? と思うようなものばかりだった。
いくらなんでもそんなはずはない。だとしたら、冒険者ギルドとはいったいなにを討伐しているのだろう?
思わずムッとしてしまえば、試験官がことさら優しい声で話しかけてきた。
「地竜を実際に見た人間はとても少ないが、その稀少な記録によると地竜は時速百キロで走るそうだよ」
個体差があるからはっきりとは言えないが、平均時速は百五十キロのはず。問題にならないくらい遅い速度を聞いて、アイーシャは自分の主張の正しさを確信する。
きっと試験官も地竜討伐の容易さと、それにしても受験生の動きが遅すぎるという事実を肯定してくれるだろう。
そう疑いもせず、アイーシャは試験官を見る。
しかし――――、
「我々ではとても追いつけない速さだよ」
幼子に言い聞かせるように、試験官はそう言った。
「…………え?」
「…………え?」
私と試験官はジッと見つめ合う。
「……………………あ、はい。そうなんですね?」
アイーシャはなんとかそう返した。
どうやら彼女は人間の普通を勘違いしていたらしい。
(時速百キロが速いの? ホントにホント?)
胸ぐらを掴み上げて聞きただしたい思いを、なんとか堪える。
ここにザラムがいないでよかった。
いたら、きっとまた延々とアイーシャの世間知らずを嘆かれてしまうだろう。
人間とは、まだまだ知り得ない驚きの連続の生き物だったのだ。
アイーシャは、己が不明を図らずも再認識するのだった。