1 家を出る
結果から言えば、アイーシャは監禁されることになった。追放された上で始末コースにならなかっただけ、醜聞を気にする貴族としては破格の扱いである。
母などは泣きながら「きっと神殿でもう一度儀式を行ってもらうから、それまで我慢してね」と言っていた。
無駄なことは止めてほしいと、切に願う。
(母さまの優しさが嫌なわけではないけれど……でも、やっぱり無駄だもの)
第一、アイーシャはそんなこと少しも願っていない。
監禁場所とはとても思えない豪華な部屋で、幾皿も並ぶフルコースの料理をひとり食べながら彼女はため息をついた。
優しく甘い両親には申し訳ないのだが、アイーシャはこれから家出をするつもりでいる。一生監禁されるなど、退屈以外の何物でもないし、これでも彼女には夢があるからだ。
(せっかく人間になったのだもの、人間にしかできないことをしてみたいわ)
思えば、神々の世界は退屈だった。互いに互いがよくわかっていたから争うなんてこともなく、いつも平穏。同じ時間を繰り返し、決まりきった時間が永遠に積み重ねられていく。
(だからこそ、あの時私があの子とケンカしたのは、神々の世界としては本当に珍しいことだったのよね。みんなビックリして、おかげで誰も止めに入れなかったんだわ)
ケンカのきっかけは、破壊神だったアイーシャがひとりの人間に興味を持ったこと。
神を神とも思わぬ傲岸不遜な男と知り合い、そんな彼が気に入ったのだ。
(やることなすこと型破りで、いつも楽しそうに笑う人間だったわ。……この私にまで『そんなつまらなそうな顔をしているくらいなら俺と一緒にこい』と、旅に誘ってくれて)
思い出すと「フフフ」と笑いが漏れてしまう。
しかし、男のそんな態度が、アイーシャの半神である創造神の気に障った。
『たかが人間風情が!』
怒りのままに男を消そうとした創造神をアイーシャは止めたのだ。その後、大ゲンカに発展して、男を庇いながら戦ったアイーシャは負けてしまった。
そして、神々の座から堕とされ、人間に転生したというわけだ。
(まあ、最後まであの男は守り切ったから悔いはないけれど。ついでに二度と手を出されないように守護も与えたし、きっとあいつは天寿をまっとうしたでしょうね)
もっとも庇われた本人は、余計なお世話だとでも怒っていそうである。
最期の瞬間に見た男の泣きそうな顔は、ちょっと忘れられない。
それにしても、墜ちた神が人間に生まれ変わるとは思ってもみなかった。
(生まれたときはびっくりしたわね。体は思うように動かないし、話せもしない。力も根こそぎなくなっていて……人間って、あんな無力な状態からスタートするものなのね。ある意味尊敬するわ)
そんな状態から十五年。なんとかひとり立ちできる力を得たアイーシャは、家を出て旅をしようと思っている。加護をもらえないのは想定内だったため、前々から計画を立てていたのだ。
(家から追放してくれたら一石二鳥だったんだけど、こうなったら仕方ないわね。『失意のあまり錯乱して失踪した』という設定の計画その二を実行しましょう)
考え事をしながらも上品に食事を終えたアイーシャは、ナプキンで丁寧に口元を拭いた。……口角がニンマリ上がってしまうのをおさえるためだ。
これから自分がすることを思うと、アイーシャは、心がウキウキするのを止められない。
(ずっと自由に外へ出てみたかったのよね。……父さまも母さまも本当に過保護だったから)
アイーシャは、アミディ伯爵家の末娘。男ばかり四人続いた後でようやく生まれた女の子で、両親のみならず兄はもちろん使用人一同全員が溺愛してくれたのだ。蝶よ花よと大切に育てられ、外出なんてもってのほか。礼儀作法も教育もすべて家庭教師から習い、欲しいものがあれば商人を邸に呼び寄せ買い物をした。
(十五歳で加護を授かったら社交界デビューできたんだけど、それもダメになったし……このままずっと家にいるなんて、耐えきれないわ)
外に出るという長年の夢を叶えるため、アイーシャは今行動を起こす。
おもむろに白い浅皿を手に持つと、大きく振りかぶり思いっきり壁に叩きつけた!
ガチャ~ン!! と派手な音がして、お皿はバラバラに砕け散る。
(次!)
今度は深いスープ皿を持って頭上まで高く持ち上げてから、勢いよく床に叩きつけた。
「――――お嬢さま!?」
鍵のかかっている扉の向こうで焦った声がする。ガチャガチャと鍵を回し扉を開けようとするから、開きかかった扉めがけてティーポットを投げつけた。
グワッシャ~ン!! と白いティーポットが砕け散り、慌てて少しだけ開いた扉が閉められる。
「入ってこないで!!」
できるだけ悲痛な声で叫びながらも、アイーシャは心の内で高笑いしていた。
(あ~!! 楽しいっ! もう、ホント最高だわ! 破壊行動ってどうしてこうも楽しいのかしら?)
やはりこれは、アイーシャが以前は破壊神だった故なのか?
それとも、元々人間が持っているという破壊衝動のせいなのか?
ひょっとしたら、両方の理由が相乗効果を出しているのかもしれなかった。
考えながらテーブルクロスの端を持ち、一気に引き抜く!
もちろん大失敗するのが狙いだったのだが――――。
(あら? 失敗……じゃなくて成功しちゃったわ。食器がぜんぜん倒れないじゃない)
芸としては満点かもしれないが、アイーシャの狙い的には零点である。
仕方ないので手を振り回し、テーブルの上に残ったコップや皿をまとめて床に落とした。
ガチャ! ガチャ! ガチャ~ン! という派手な音が、実に耳に心地よい。
(う~ん、快感! しかも力がどんどん集まってくるし、一石二鳥ってこのことよね?)
――――元は破壊神だったアイーシャ。
なんと彼女は、破壊の際にでる力を自分のものにすることができるのだった。以前持っていた力に比べればないも同然の微々たるものだが、それでもまるっきりないよりは、ずっとマシ。
「早く! こちらです! お嬢さまが――――」
扉の外から大声が聞こえてきた。
どうやら家人が集まってきたようだ。
そろそろ潮時だろう。
アイーシャは、片手をあげると集めた力を窓に向けて放った。
ドドドォ~ン! ガシャガシャ! と音がして、窓枠ごと壁が吹っ飛んでしまう。
(いやだ、ずいぶん安普請なのね。この程度の力で壊れるなんて、我が家も建て替え時期なのかしら?)
なんと言っても中堅伯爵家だ。きっと建材も安いものを使っているに違いない。そうでなければこうも易々と壊れてしまうはずがなかった。
そう思ったアイーシャは、新たな破壊により生まれた力を取り込みながら、壊れた窓からヒョイと無造作に跳びだす。
もちろん落ちたりせずに宙に浮き、月もない闇夜の中、あっという間に高度を上げた。
眼下に小さくなった屋敷の屋根の輪郭が微かに見える。
(さようなら、お父さま、お母さま、そしてお兄さまたち。落ち着いたら手紙を書いて、食器と窓と壁の修理代と一緒に送りますね)
一瞬、アイーシャは目を瞑る。
十五年間生きてきた家と家族を想い、別れを告げるために。
そして次の瞬間には、そのまま夜空を飛びはじめた。
向かうは、冒険者の国シャルディ。
そこでは、出自や身分に関係なく、己が才覚だけで人生を切り開けるのだという。
(今の私にうってつけの国よね)
アイーシャは、そこでなんのしがらみもないひとりの人間として自由に生きるつもりだ。
心に描く未来に向かって、アイーシャは進みはじめた。