12 冒険者ギルド1
「――――ほら、あそこがシャルディの入口だよ」
カフィが指さす先には、延々と連なる高い城壁と立派な構えのアーチ門が見える。
「うわぁ~! すごく大きいのね」
どこまで見渡しても端の見えない城壁は、圧巻の一言だった。
「そりゃあ、都市国家とはいえこれでも一国だからね。それなりの大きさはあるよ」
なんだか嬉しそうにカフィは教えてくれた。
あれから一週間。ついにアイーシャたちは、都市国家シャルディを望む場所まできたのだ。
交通の要所に位置するシャルディを支える一翼を担うのは、裕福な商人たち。シャルディの安全は交易で利を得るための必要最低限の条件なのだそうで、それゆえ商人たちは都市国家の防衛にお金を出し惜しみしない。彼らの財力と冒険者ギルドの攻守における知恵が詰まって、シャルディは栄えている。
(たしかにすごいわ。……えげつないほどの砲眼の数よね)
そびえ立つ城壁を見ながら、アイーシャはそう思った。
徐々に近くなる城壁のあちこちには、黒いくぼみが見えている。規則正しく並ぶその影が砲弾を撃つための砲眼であることは間違いない。きっと全てに、最新鋭の大砲が装備されているのだろう。
(重火器特有の『火の神』の加護をたっぷり感じるし、城壁にも『大地の神』の守護の力を強く感じるもの)
たいへん立派な防御だが、返して言えば、ここまでしなければ都市の独立は守れないということだ。
(人間ってたいへんね。……でもまあ、手間暇かかっていそうな割には、絶対攻略不可能かっていえば、そうでもなさそうだけど?)
ざっと見ただけでも、一突きで広範囲の壁を崩せそうな箇所がいくつか見える。
『ねぇザラム――――あそこと、あそこと、あそこを、ポンポンポンって叩いて、最後にグランでちょっと小突いたら、あの辺一帯の壁は全部壊れそうよね?』
アイーシャみたいな弱い人間相手に、簡単に崩されるような壁はいかがなものか?
『そんな面倒な手順を踏まなくとも、タドミールさまなら一閃で城壁の全てを破壊できるのではないですか?』
そんな、人を破城槌みたいな言い方しないでほしい。
『まさか。私は非力な人間なのよ。そんなことできるはずがないでしょう?』
『とてもそうは思えませんが……まあ、タドミールさまが最初におっしゃった「ポンポンポン」でも可能だとは思います。……門で順番を待つのも面倒ですし、その方法で中に入られますか?』
ザラムは気軽に聞いてきた。
『そんな物騒なことしないわよ。それくらいなら壁を飛び越えた方がずっと早くて簡単だもの。……でも、そっちも今回はやらないわよ。誰もが簡単にできるその方法をする人がいないってことは、きっとなにか他の理由があるに決まっているもの』
そう言ってアイーシャは、目の前に伸びる長い人の列をながめた。
これはシャルディへの入国を待つ列で、アイーシャとカフィ、そしてザラムもそこに並んでいる。門につくまではたっぷり二時間はかかるだろうに、みんながみんな大人しく並んでいる。つまりそれだけ気軽に壁を飛び越えてはいけない理由があるに違いない。
『人間が誰でも気軽に飛び越えられる高さではないと思いますが……まあ、たしかに理由はあるのでしょうね』
ザラムは人間たちの列を見ると、ブルルと嫌そうに鼻息をこぼした。
アイーシャもついつい遠い目になってしまう。
そんな彼女たちの様子に気づいたカフィが「ごめんね」と謝ってきた。
「ここはノーティスからシャルディへの唯一の門だからね。入出国の手続きをするためには、並んで待たざるをえないんだ」
そういえば国境を越えるのだった。神にとって国の違いなど取るに足らないことなので、ついついそういったことは忘れがちになってしまう。
「アイーシャは、旅券を持っている?」
「…………え?」
カフィに聞かれたアイーシャの顔から、サーッと血の気が引いた。
旅券とは、自分の出身国から発行される証明書で、要は身分証明書みたいなもの。持ち主の出自を生国が保証してくれるもので、国と国との移動では必ずと言っていいほど確認される。
当然、家出したアイーシャが持っているはずがなかった。
うすうす事情を察していたのだろう、カフィが「大丈夫だよ」とアイーシャの頭を撫でてくる。
「孤児だったり浮浪民だったりと、いろいろな事情で旅券を持たない者はいるからね。身元がたしかな者と一緒にいれば、入国を拒否されることはないんだ。まあ、その分余計にお金がかかるんだけど」
大きな手と優しい言葉に、アイーシャはホッと胸をなで下ろす。
本当にカフィと一緒にきてよかった。
「お金なら払えます」
アイーシャは勢いこんでそう言った。もともと家出をするつもりで計画をたてていたのだ。旅券のことはうっかりしたが、路銀は多めに持っている。
カフィは笑って首を横に振ると、今度は「だめだよ」と言ってきた。
「今持っているのは、君の全財産なんだろう? しかも現状、君にはお金を稼ぐ手段がない。だったらできるだけそのお金は使わないで、他に『お財布』があるのなら、それを利用した方がいい」
お財布と言いながら、カフィは自分のことを指さす。
「そんな! それじゃ申し訳なさすぎます。そうでなくても今日までの宿代や食費はみんなカフィさんが払ってくれたのに」
そう。カフィはいつも知らぬ間にいろいろな代金を払ってくれて、しかもアイーシャからは一切受け取ろうとしないのだ。
「レディにお金を払わせるなんて、そんな無粋な真似できるはずがないさ」
気取って言ったカフィは、パチンと片目を瞑ってみせた。
「でも……」
「だったら出世払いにしよう。君が冒険者になって十分な稼ぎを得られるようになったら俺に返してくれ。それでどうだい?」
どうやらここが落としどころのようだ。
そんなことを言いつつも、きっとカフィはなんだかんだと受け取ってくれないような気もするが、まあそのときはそのときのこと。彼に断られないくらいお金をたくさん稼げばいいだけだ。
『たしか、換金率が高い魔獣は竜種だったわよね? グランもあるし魔竜の二、三十頭でも狩れば、そこそこお金が貯まるんじゃないかしら?』
『……タドミールさまは、魔竜を絶滅させるおつもりですか?』
アイーシャの思考を拾ったザラムが、おそるおそる聞いてくる。
『あらいやだ。そんなはずないじゃない。絶滅の心配がないくらい狩る数の調整はするつもりよ。……もう、ザラムったら私をなんだと思っているの?』
アイーシャが軽くザラムを睨めば、ツヤツヤの毛並みをした黒馬は、スッと目を逸らした。
『それならいいのですが……いや、本当にいいのか?』
ブツブツと呟きはじめる。
そんなザラムはほっといて、アイーシャはカフィを見上げた。二人は馬から降りて列に並んでいるため、彼の頭はずいぶん上に見える。
「わかりました。だったら、お金と一緒に私の狩った最初の魔竜の逆鱗をプレゼントしますね」
魔竜に限らず竜種の逆鱗は、一頭にひとつ。それは竜の弱点であり、それゆえになによりも固く守られているウロコだ。触れることはもちろんのこと、逆鱗に視線を向けただけでも竜は怒りだし、間髪入れず攻撃を放ってくる。
竜の逆鱗を手に入れることは命がけの大勝負。このため自分が手に入れた逆鱗を誰かに贈るということは、相手に対し最大限の好意を表すことと同意義になっていた。
(私の読んだ物語の中ではそうだったもの。世界的に有名な物語なのだし、私が彼に最大限の感謝を表す言葉として間違いではないわよね?)
きっとそうだと思いながら、アイーシャはカフィに笑顔を向ける。
カフィは、きれいな緑の目を大きく見開いた。そのままジッとアイーシャを見つめ、やがてクスリと優しい笑みを浮かべる
「それは嬉しいな。君はきっとわからずに言っているのだと思うのだけど……そうだね。私は君の想いに相応しい自分でいられるように、精一杯努力して待っているよ」
まるで自分に言い聞かせるようにカフィは話す。
(……わからずに言っている、ということは、私はなにかを間違えてしまったのかしら?)
アイーシャの眉が、ヘニョリと下がる。
そんなアイーシャを見たカフィは「大丈夫だよ」と言って彼女の頭を撫でてきた。
「嬉しいって言っただろう。その気持ちは本当だよ」
カフィの手は、大きく温かい。
「本当に?」
「ああ、もちろんさ」
ならば問題ないのだろう。
アイーシャとカフィは、目と目を見合わせ笑い合う。
『そんな! タドミールさまがこんな人間に逆鱗を贈るだなんて――――いや、魔竜を一撃で屠るタドミールさまにとって逆鱗の一枚や二枚なんということもない。だから、そこに深い意味などあるはずないのだ!……そうですよね? タドミールさま!』
なにやら焦った様子のザラムが、必死にたずねてくるが、一々返事をするのも面倒くさい。
アイーシャは気にすることなくカフィと話をしながら列に並んでいた。
〔異世界豆知識:人間にとって竜の逆鱗は永遠に手に入らぬものの代名詞である。それが転じて「逆鱗」はいつしか「永遠」を意味する言葉となった。「竜の逆鱗を贈る」ということは「永遠を捧げる」という意味であり、特にそれが男女間で使われる場合は「永遠にあなたを想います」という熱烈な愛の告白になるのであった〕