プロローグ
お久しぶりです。
お楽しみいただけたなら幸いです。
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「――――残念ながらお嬢さまは、どの神のご加護も授かることができませんでした」
壮年の神官が表情に苦悩を滲ませながら、高そうな衣装に身を包んだ男女に告げる。
「そんな!」
「嘘よ! アイーシャが」
その言葉を聞いた二人は、信じられないというように叫んだ。涙を浮かべた女性の方は、二人の間にいる少女を、ヒシッと抱き締める。
荘厳な神殿の至聖所に、悲痛な雰囲気が漂った。
この世界の人々は、十五歳の誕生日に神さまから『加護』という贈り物をもらう。どの神の加護を授けられるのかは、そのときにならなければわからないのだが、性別、身分の上下、貧富の差に関わらず、誰もが一柱以上の神から加護を受ける。
ところが、たった今その加護制定の儀式を受けた少女には、どの神も加護を授けなかった。
はっきり言って異常事態である。
前代未聞の出来事の中、抱き締められた少女――――たった今、神官から『加護なし』判定を受けたアイーシャ・アミディ伯爵令嬢は、無表情に立っていた。
美しい銀の髪と宝石のような紫の目。一度も陽にあたったことのないような透き通る白い肌を持つ美少女だ。
(まあ、そうよね。あの子の怒りをかってまで私に加護を授けようなんて気概のある奴、誰もいないもの)
……しかし、その美少女の心の内は醒めきったもの。至聖所の両脇に立つ六柱の神々の大きな石像を、蔑んだ目でチラリと見上げる。
石像は、右側前方から光の神、火の神、風の神が立ち並び、左側には闇の神、水の神、大地の神が並んでいる。
きっと、普通の人の目に見えるのは、どんなに立派でもただの石像だけだろう。
しかし、アイーシャの目には、石像に重なるように透ける神々の精神体が見えていた。
――――実はアイーシャは、普通の少女とはちょっと違った前世を持っているのだ。
その前世の中で、すべての神を知っている。
神々の精神体たちは、彼女の視線を受けて慌てて自分の像の背後に隠れてしまった。
(…………ヘタレ)
アイーシャは、心の中でボソッと呟く。
なおも見つめていれば、その中の闇の神だけが、石像の背後から体を半分乗り出し、アイーシャに向かい両手を合わせてきた。黒く艶やかな長髪が地に着かんばかりの勢いで頭を下げている姿は、どこか滑稽だ。
(そんなに謝るくらいなら、加護のひとつくらい授けるふりをすればよかったでしょうに)
アイーシャは、フンとそっぽを向く。
とはいえ、闇の神はヘタレ揃いの神々の中でも一番の事なかれ主義者。他の誰に出来ても、闇の神だけは、そんなこと出来なかっただろう。
それでも、ああやって謝ってくるのは、闇の神が転生前のアイーシャに一番近かったから。
――――そう。闇の神はアイーシャの眷属といっても遜色ない存在だったのだ。
彼女が仕方ないかと思っていれば、耳に情けない声が聞こえてきた。
「……な、なにかの間違いだ。私たちの娘が加護なしだなんて!」
「そうですわ。アイーシャは誰より賢い娘なんですよ。家庭教師の先生もマナーの講師も、こんなになんでもできるお嬢さんは見たことがないと絶賛するくらい……お願いです。どうかもう一度やり直してください!」
アイーシャの両親は、まだ現実が受け入れられないようだった。
しかし、残念ながら人間としての優劣は神々にとって意味がない。どんなに優秀だろうと人間は人間でしかないからだ。
それがわかっているのだろう。壮年の神官は視線を落としながら頭を左右に振った。
「加護判定のやり直しはできません。誰であっても機会は十五の歳に一度だけ。たとえ王族でも再判定は出来ないのです」
両親は、崩れ落ちてその場に膝をついた。
呆然とする父と泣き崩れる母を、アイーシャは冷静に見つめる。
(私は加護なしになるかもしれないって、あれほど忠告していたのに。まったく信じないからこうなるのよ。もう、本当に困った人たちね)
それでも彼らが今のアイーシャの両親だ。
まあ、それもここまでかもしれないが。
よほどの者でない限り、いずれかの神の加護を受けられるこの世界において『加護なし』と判定されるのは、ものすごく深刻なこと。下手をすれば、それだけで人生終わったとみなされることもあるくらいだ。
そんな中、アイーシャの家は中堅処の伯爵家。――――中堅というのはいいように聞こえるかもしれないが、実は一番不安定な立場だったりする。それほど勢力もなく、上にいくのはたいへんでも、ちょっと気を抜けばあっという間に下に落ちてしまうというように。つまり、一瞬たりとも気が抜けない微妙な身分なのだ。
そんな伯爵家に加護なしの令嬢がいるなんて、醜聞以外のなにものでもない。
(よくて監禁。悪ければ追放した上で人知れず始末されるコースかしら?)
アイーシャは、ため息をこらえて正面を向く。
目の前には、この世界を創った創造神の慈愛に満ちた石像があった。幸か不幸かその石像には、他の神々のような精神体は見えない。
(私がどうなろうと興味はないってことかしら? それとも人間の私ではあの子の姿は見えないとか?)
おそらく後者だろうなとアイーシャは思う。今の彼女の力は前世の万分の一にも届かないのだから。
(これで満足?)
アイーシャは、見えないかつての半神を見上げた。
――――この世界には七柱の神がいる。
光の神、闇の神、火の神、水の神、風の神に大地の神、そしてあまねく全てを創りだしたもう創造神だ。
神々に愛されし人の子は、いずれかの神の加護を受け、神に代わり地上をよりよく支配する。
それは、人間が幼いころより教え聞かされるこの世の理であり、誰もが信じる真実だ。
(歪められたものだけどね)
アイーシャはクルリと踵を返す。創造神に背を向けて、何もない壁を見上げる。
そこには、かつて一柱の神の石像があった。創造神と対をなす神を象った像が。
いつの間にか存在を消され、人々の記憶から痕跡も残さず喪われた神の名は――――破壊神。生成と消滅を繰り返す世界において、創造神と並び欠くべからざる支配者であった神だ。
そして、それが、転生前のアイーシャだった。
(今は欠けているんだけど。……まあ、百年や二百年くらいなら私が不在でも世界は回るでしょう? それ以上はさすがに危ういと思うけど、さすがにそこまであの子の怒りも続かないわよね?)
続いたらどうしよう?
(…………………………この世界、終わるんじゃない?)
アイーシャは、視線を宙に彷徨わせる。
なにはともあれ、人間に堕とされた今の彼女にできることはない。
なるようになるさと思いながら、嘆く両親に連れられたアイーシャは、神殿を後にした。