第4話(1)
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二戸神祐介は、自宅の居間でぼんやりとTVを見ていた。交通事故で記憶をなくしてしまった人のドキュメント番組だ。祐介は、小学二年の頃、誰もが一度は憧れたことがあるであろう「記憶喪失」というものに、一度だけなったことがある。二度も三度もあっては困ることだが。記憶喪失なんて、憧れるもんじゃない。どんなことでも、思い出が無くなるのは、少し損した気分になる。祐介は常々そう思っている。自分は、なんてアンラッキーな人生だ、と。しかし、今TVで紹介されている女性よりも、自分はラッキーだったと、不謹慎だと分かりつつも、そう思っていた。
ブラウン管の向こうで、必死に授業のノートを取っている女性は、四十五にして記憶喪失になった。原因は自動車事故。自転車で買い物帰りに、脇見運転の自動車に当てられたらしい。命は助かったものの、自分についてはもちろん、家族のことも、なにより、言葉も何もかも、喪失してしまっていた。ご飯の食べ方、服の着方、とにかく全てだ。
自分の場合は、子供だったし、言葉も覚えていた。忘れてしまったことと言えば、自分のこと、家族のこと、そして、物心ついてから、記憶を喪失するまでの全ての思い出。ようは、七年間分の記憶が丸々消えてしまっている。
TVの女性と同じ所と言えば、未だにそれらの記憶が思い出せないことだ。だが、これから勉強すれば十分間に合う七歳児の記憶喪失と、経験値の高い四十五歳の記憶喪失では訳が違う。
僕はものすごくラッキーだったかも。
祐介は脇に置いてあったクッションを抱きかかえ、ううん、と、低い唸り声を上げた。
「何をそんなに難しい顔して唸っているの?」
笑い声が混じった声が、祐介を自分の世界から引き戻す。顔を向けると、養母の鈴子が立っていた。鈴子が自分の眉間に指を当てて擦るようにして見せたため、祐介は自分の眉間に指先を当て、皺が寄っている事に気がついた。鈴子はテーブルに二人分のお茶を置くと、一人掛けのソファに腰を下ろす。
「何を見ていたの?」
祐介はマグカップに手を伸ばしながら、何てことない、とでも言うように「記憶喪失の人のドキュメント番組」と答え、カップを両手で包むように持った。
茶を冷ますように息を吹きかけている祐介の横顔を、鈴子は何とも言えない哀れみと不安の入り混じった、複雑な表情で見つめた。その視線に気づいた祐介は鈴子を一瞥し、苦笑をしてみせる。
「そんな、痛い顔しないでよ。別に悲観的に見ていたんじゃないし。僕より大変な人が居るんだな、僕はラッキーだったなって、思ってただけだから」
そう言うと、TVのチャンネルを鈴子が好きそうな番組にして、リモコンをテーブルの上に置き、立ち上がった。
鈴子は、鼻歌を歌いながら立ち去る息子の背中を黙って見つめていた。
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