第3話(1)
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
どこにでもある、静かな住宅街。
予報外れの大雨。寒さで眼鏡が曇り、街の風景をいっそう幻想的に見せる。
孫の運動会が延期になって良かった、と、雨空を見上げなから、そんなことを思っていると、土砂降りの雨の中、一人の若い捜査官が、中年の捜査官に駆け寄った。中年の捜査官は眼鏡を下にずらし、上目遣いで若い捜査官を見た。
「今、病院から連絡がありまして。子供の意識が戻ったようです」
「そうか。すぐに行こう」
「はい」
ふたりは足早に歩き、車に乗り込むと、子供が運ばれた病院へと向かった。
匿名の電話がかかってきた。その内容は、とある一家を殺害した、という内容だった。機械で声を変え、口早に場所を伝えると、すぐに電話は切れてしまった。
電話で言われたアパートへ向かうと、母親と思われる女と、父親と思われる男、そして、やけに痩せ細った子供が一人、六畳の居間で倒れていた。
現場は血の海で、駆けつけた捜査官が確認したときには、すでに男女は死亡していたが、子供だけはかろうじて脈を打っていた。物取りの犯行のようで、部屋の中は荒れ放題だった。
「母親と思われる女性、佐々木亜矢さんと恋人と思われる男性、永本涼さんは共に刃物で三カ所、刺されています。子供の佐々木祐介くんは、身体中、痣と切り傷だらけで、頭を強打していて、左側に大きな瘤があります」
「子供に刺し傷は?」
「ありません」
中年の捜査官は、前を向いて運転している若い捜査官を横目で見た。若い捜査官は、見られていることに気がついたのか、「たぶん」と自分の考えを口にした。
「頭を強打し、倒れたのを見て、死んだと思ったのではないでしょうか?電話でも、一家を殺害したと言っていた訳ですし」
「母親と男はこれでもかと刺されて死んでるんだぞ。だったら、子供がのびていようが、刺していくだろ」
その言葉に、若い捜査官は唸りながら首を傾げた。
「確かに、そうですけど。でも、祐介くんは、かなりの痩せようなんですよねえ。もし、俺が犯人だったら、犯人と同じように、祐介くんが頭を強打したのを見た時点で、死んだと思っていたと思います」
「他には?」
「朝の十時過ぎに、何かの音楽の爆音が聞こえたと、隣の住人が言ってました」
「爆音?」
「まあ、しょっちゅう、うるさかったようですよ。ロックだのなんだと。で、今日聞こえてきたのは、ピアノの曲だったそうです」
「何の曲だ」
「それは分からないと言ってました。毎回、壁を殴って、うるさいって合図をしていたそうで、今日も壁を殴ったら、すぐに静かになったとか」
「普段もすぐに静かになるのか?」
「いえ、それが、普段は全然だとか。直接文句をつけに行くと、反対に怒鳴り返されたそうです。近隣の話しでは、子供を虐待してる音を、掻き消す為じゃないかって、言ってました」
「……虐待ねえ……」
病院に着き、医師が直ぐさまいった言葉は、「一時的な心因性記憶喪失」だった。
「どの程度、記憶がないんですか?」若い捜査官が訊ねた。
「言葉は通じていて、簡単な受け答えは出来ます。ただ、自分の名前や両親のこと、住んでいた場所や事件のことは何一つ」
中年の捜査官と若い捜査官は顔を見合わせた。
「取り敢えず、会わせてもらっても大丈夫ですか?」若い捜査官が言うと、医師は眉を顰めて「あまり、問い詰めたりはしないで下さい」と言った。
「無理矢理思い出させるのは大変危険です。脳はデリケートですから」
「わかってます」
ふたりの捜査官は、医師と共に病室へ入った。
ベッドの上で仰向けになって寝ている子供は、口元と片眼の部分がかろうじて開いているだけで、後は全身、真っ白な包帯でぐるぐる巻きになっている。
「こんにちは」若い捜査官が穏やかな笑みを湛えて話しかけ、簡易椅子に腰をかけると、子供は声のする方へゆっくりと目を向けた。
「佐々木、祐介くん、だね?」
佐々木祐介と呼ばれた子供は、うんともすんとも言わず、何の感情も無い人形のように、若い捜査官をただ、見つめていた。
「覚えてるかな?君の名前なんだけど」
祐介は数秒考えた後、小さく首を左右に振った。その瞳には、不安の色が窺える。
「今日、何をして遊んだか、覚えている?」
数秒たち、再び小さく首を横に振った。
「お母さん、どこにいるかな?今日、お家で何かあったか思い出せる?」
「刑事さん」医師は小声で制した。祐介に質問していた若い捜査官は、すいません、と言いつつ、祐介から目を離さなかった。
祐介は終始、声を出すことなく、首を左右に振るだけだった。
中年の捜査官が若い捜査官の肩を軽く叩き、若い捜査官は椅子から立ち上がると、医師を振り向いた。
「今日はこれで。また明日来ます。じゃあね、祐介くん。また明日」
手を振った捜査官を、祐介は黙って見つめていた。
病室を出ると、中年の捜査官が祐介の包帯について医師に訊く。
「古い物から、新しい物まで。あれは、虐待されていた傷だと。栄養状態も良くありませんからね。下手したら、今年いっぱい持たなかったかも知れません。酷いもんですよ」
何かを考え込むかのように、口元に手を当てた中年の捜査官は、上目遣いで医師を見つめた。
「なんです?」
「先生、あの子に人を刺すだけの力があると思いますか?」
「無茶ですよ」医師は声を上げ、すぐに声を顰めた。
「今のあの子は、立っているだけでもやっとです。そんな子が、人を刺すのは無理です」
医師が言うと、若い捜査官も一緒になって「そうですよ」と中年の捜査官を非難でもするかのように口調を強くして言った。
「しかも、大の大人ふたりもですよ?もし刺せたとしても、せいぜい、浅く一度、刺せる低度でしよう」
検死の結果、子供が刺した傷だとは誰も思わない結果が出た。若い捜査官は、そらみろ、と言わんばかりに、得意げに声を上げた。
「刃渡り十五センチの刃物を、ぶすりと深く刺すのは、さすがにあの子でも無理でしょう。しかも、大の大人、二人も」
「どんなことでも、可能性がある限り考える性分でね」
若い捜査官の言葉に、中年の捜査官はさして気にもせず答えた。
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