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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ムダにはならない。

大地が静かに眠るまで。

作者: 虹色冒険書



挿絵(By みてみん)

イラスト制作・『猫じゃらし様』、深くお礼申し上げます。






 草木が生い茂った原っぱ、村の子供たちがよくこの場所を眺めながら、『ここで思い切り遊べたらな』とぼやいているのを見かける。

 一片の雲もない青空の下、ここで駆け回れば確かに気持ちの良いものだろう。だが、それは絶対に不可能なことだ。

 何故なら、ここは地雷原。つまり、地雷が広範囲に埋設されている場所だからだ。

 

 CMAC(Cambodia Mine Action Center)に所属する俺の仕事は、この危険な場所に踏み入って地雷を探し出し、処理を行うこと。

 ひとりでやるわけじゃない、俺にはパートナーがいた。

 といっても、人間ではない。一メートルくらい先に立ち、入念に地面を嗅ぎ周っているこの『犬』だ。

 金属探知機では、地雷とは無関係な金属片にも反応してしまう上に、プラスチック製などの非金属性地雷の探知が困難であるというデメリットがある。だが、地雷探知犬の鼻は地雷と金属片を取り違えることなどないし、プラスチック製でもガラス製でも、どんな素材が使われていようが、火薬に含まれる硫黄やニトログリセリンを嗅ぎ分けて見つけ出すことができるのだ。

 地面からその鼻先を離し、俺を振り返る――そいつは、言った。


「ここだ、ここに埋まってる」


 信じないだろうが、俺にはこの犬の声が聞こえるんだ。

 最初からそうだったわけじゃない。いつからそうなったのかは今でもはっきり覚えている、それは後で語るとしよう。


「よし、離れてろアイノックス」


 アイノックス、それがこの犬の名前だ。

 名の由来は、こいつの真っ白でふわふわした毛並み。アイノックスとはステンレス、つまり錆付かない鋼鉄のことだ。汚れを知らない純白の毛並みになぞらえて、命名されたらしい。

 俺は道具を準備して、アイノックスが伝えた場所に歩み寄る。


「慎重にな」


「ああ」


 注意深くゆっくりと、俺は道具を使ってその場所を掘り起こしていく――『悪魔の兵器』と称されるそれが、すぐにその姿を見せた。

 最もスタンダードなタイプのAPM(Anti-Personnel Mines)――つまり、対人地雷だ。

 緑色で円形、直径は十五センチほど。数キロの圧力がかかると爆発する方式で、アイノックスは大丈夫だが、俺が踏めば終わりだろう。

 

「っ……!」


 地雷処理は幾度も行ってきた。しかしいざその姿を目にすると、いつも俺は息を飲んでしまう。

 だってそうだろ、ヘルメットとプロテクターで身を固めているとはいえ、地雷の爆発を受けようものならただでなど済まない。

 発見した地雷に火薬を仕掛けると、俺は周囲から人を避難させ、その場で爆破処理する。

 爆発とともに、轟音が全身に響き渡る。

 地雷を一個処理すれば、犠牲者をひとり減らすことができる。

 これで、誰かの命が救われた――地雷を処理するたびに、俺はいつも多少なりの安心感を感じられた。だが、同時に罪悪感も感じるのだ。

 そうだ、俺が何故アイノックスの声を聞くことができるようになったのか、それをまだ話していなかったな。

 


  ◎  ◎  ◎



 まずは……ひとりの女の子の話をしよう。その子は、名前をハナといった。村には俺やアイノックス、それに他のCMACの職員が寝泊まりしている宿舎があるんだが、その近くの家に住んでる子だった。

 今から三か月くらい前の話になる。俺が外でコン(地雷探知犬の訓練やスキンシップの際に使われる、赤いゴム製の玩具)を使ってアイノックスと戯れていると、その子が歩み寄って来たんだ。

 いかにも純真そうで、人懐っこくて可愛らしい女の子。後で知ることになるんだが、歳はまだたったの四歳だった。

 物珍しくて興味を惹かれたんだろう、彼女はじっとアイノックスを見つめていた。

 

「撫でてみる?」


 思わず、俺はその子に声を掛けた。

 すると彼女は花のような笑顔を浮かべ、


「ありがとう!」


 と俺に言い、そしてアイノックスに歩み寄った。

 アイノックスは手がかからなくて、忠実で大人しく、優しい気質の犬だった。初対面の子に触られても全く動じず、ハナの気が済むまでその身を預けていた。

 しなやかで純白の毛に覆われたアイノックスの体を、ハナはずっと愛でていた。

 すると、

 

「ハナ!」


 そう呼びながら駆けてきたのは、ハナのお母さんだった。

 まだ若くて、いかにも優しそうな女性だった。


「ごめんなさい、うちの子がご迷惑を……!」


 俺と視線を合わせて、お母さんが頭を下げる。

 

「いえいえ、良いんですよ。可愛いお嬢さんですね」


 俺がそう言うと、ハナがお母さんの顔を見上げて言った。


「お兄さん、犬さんに触らせてくれたの!」


 自慢するようにお母さんに語るハナ。会って間もないが、ほんの少しのやりとりで、無垢で明るい子だと分かった。


「そう、良かったわね。お兄さんと犬さんにお礼は?」


 ハナはまた、俺に向き直った。


「お兄さん、ありがとう!」


 向けられた誰もが心を癒されそうな笑顔に、日々の疲れがたちまち消えていくような気がした。

 

「ああ、どういたしまして」


 俺が答えると、ハナは今度はアイノックスのほうを向いた。

 そして「えっと……」と呟く。そういえば、名前をまだ教えていなかったな。


「こいつの名前は、アイノックスだよ」


 アイノックスの頭を撫でながら、俺はハナに紹介した。


「アイノックス……!」


「そう、アイノックスだ」


 ハナが繰り返し、俺が答える。

 その小さな手でアイノックスの頭を撫でながら、ハナは言った。


「アイノックス、ありがとう!」


 彼女の感謝の言葉を理解したかのように、アイノックスは小さく吠えた。

 お母さんと手を繋ぎ、俺達に手を振って歩き去っていくハナの姿を見て、可愛い子だと今一度思った。

 その日を境に、俺とアイノックスはしばしばハナ、それにあの子のお母さんと会うようになった。その度にハナはアイノックスを撫でたり、俺が貸してあげたコンを使ってスキンシップしたり……あとは、とりとめのない会話をした。

 きっかけが何だったのかは覚えていないが、ハナがそう言ったんだ。


「わたし、お花畑に行ってみたい。村の外れに大きなお花畑があるって聞いたの!」


「村の外れ? でもあそこは……」


 彼女の言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。アイノックスも、何かを気に留めたように首をもたげ、ハナを見つめた。

 村の外れは地雷原であり、俺達CMACの職員を除けば、原則として立ち入り禁止区域だったからだ。


「あ……!」


 近くにいたハナのお母さんが、声を出した。その表情を見た俺は、察する。

 教えてはいるのだろうが、ハナはまだ四歳、きっと地雷という兵器のことをよく理解していないのだ。


「どうしたの?」


 無垢な眼差しを向けて、ハナが訊いてくる。

 怖がらせるようなことは言わないように、俺はやんわりと彼女に諭した。


「あそこには行けないんだよ、『悪いゴミ』が埋まっているからな」


「悪いゴミ……? お花畑なのに?」


 俺は頷いた。


「ああ、あそこには行っちゃだめだ。俺との約束な」


「んー、分かった……」


 聞き分けの良い子で助かった。

 それから数日後のことだった。

 夕方の時刻だった。いつも通り、地雷処理の仕事を終えて帰路についていた俺とアイノックスの耳に、爆発音が飛び込んできたんだ。

 びりびりと体中に響き渡る、聞き慣れた轟音――地雷が爆発した音だと、すぐに分かった。

 俺以外の誰かが地雷の処理をしたのかと思ったが、違った。遠くに人だかりができていて、人々のざわめく声が聞こえてきた。

 嫌な胸騒ぎがした。

 俺はアイノックスと一緒に人混みに駆け寄り、集まった人々を掻き分けるようにして強引に進んでいった。

 地面に仰向けになっていたその少女の顔に、見覚えがあった。


「ああ、まさか……!」


 そうであってくれるな、と願った。


「ああ、嘘だ、嘘だ……!」


 だが、神は俺の願いを聞き入れてはくれなかった。


「ああ、あの子だ!」


 その子がハナだと知った時の俺の気持ちは、どう表現したって表せないだろう。

 両手と右足がズタズタに裂かれて骨が露出し、その服はぼろ切れのようになり、全身が血だらけになった幼い少女の姿――。触雷したのだと、一目で分かった。

 地雷の被害を受けた人間を目にした者は、間違いなくその凄惨さに絶句すると言われている。タイプによって差はあれど、殺さずに重傷を負わせることを目的として威力を調整されている対人地雷。だが、致命傷を与えることだって十分にありえる。

 人道など欠片も考慮されていない、悪魔の兵器。その残虐性は、それこそ筆舌に尽くしがたいのだ。

 被害を受けた人間を目の当たりにするのは、それが初めての経験だった。

 変わり果てたハナの姿に、俺は何も言えなくなくなった。まばたきすらできなくなった。

 その時だった。


「おに、さ……」


 ハナが口を動かし、微かに言葉を発したのだ。

 血液と一緒に、その命が体から流れ出ていく中、彼女の虚ろな瞳は俺に向けられていて、何かを言おうとしているのが分かった。

 周りの人々の慌ただしい声の中でも、ハナの声を聞き逃すまいと、俺は彼女の側に膝をついた。地雷によって受けた彼女の凄惨な傷からは、意図的に目を逸らした。


「ハナ!」


 この子の名を呼ぶ以外に、俺に何が言えただろうか。

 俺の隣で、アイノックスもハナに向かって吠えた。

 ハナの視線は、俺を通り抜けて空を見ていた。


「見て、お兄さん……大きなお花畑だよ……とってもきれい……」


 あまりにも小さくて弱々しい声で、瀕死の少女はそう言った。

 命が尽きようとしている最中、彼女は幻覚を見ているようだった。幻の中で、ハナは彼女が憧れた花園に立ち、そこに吹く柔らかな風を全身に感じ、駆け回っているのだ。

 俺は涙を押し留めながら、必死で呼び掛けた。


「ああ、ああ……!」


 ハナが見ている花畑は、もちろん俺には見えない。でもハナの言葉を否定することなんて、できるはずがなかった。


「こんなきれいなお花畑に、悪いゴミが埋まってるなんて……そんなことないよね、そんなの、ウソだよね……」


 空を見上げながら、ハナは言う。その顔には笑顔が浮かんでいた。

 時間が容赦なく、残り少ないハナの命を削り取っていくのが分かる。俺はもう……何も言えなかった。

 アイノックスが、ハナに向かってまた吠えた。


「お兄さん……どうして泣いてるの……?」


 触雷したことも、自分の命が燃え尽きようとしていることも……ハナは分かっていなかった。

 その時、聞き覚えのある女性の声が、俺の後ろから聞こえた。


「ハナ!」


 駆け寄ってきたのは、ハナのお母さんだった。

 変わり果てた姿になった娘を、彼女は抱え起こした。


「ああ、どうして、どうしてこんな……! ごめんねハナ、ごめんね……!」


 震えるような涙声で、ハナに呼び掛けるお母さん。溢れた涙が、ハナの頬にぽつりぽつりと落ちる。

 ハナは、虚ろな瞳で見つめ返し、そして……。


「おかあ……さん……」


 それが、ハナの最後の言葉になった。

 光を失った彼女の瞳と、がっくりと脱力したその姿――ハナの命の灯が今、燃え尽きた。誰もがそれを悟っただろう。

 

「ハナ……? そんな、そんな……嘘でしょう、お願い、こっちを向いて! お願いだから!」


 お母さんが、ハナの体を揺する――だけど、もうハナは返事をしなかった。母親を向くこともなかった。

 娘の体を抱き締めて、彼女は叫んだ。


「どうして、どうしてよ……! あああああ――――っ!!!!!」


 たった四年で生の時間を断ち切られた少女と、泣き崩れるお母さん――。

 もう、俺は見ていられなかった。お母さんが発する悲痛な叫びを、その場で聞いてなどいられなかった。

 人垣を掻き分けて逃げるようにその場から去り、俺はただ走った。

 人の命、それは尊くて重たくて、何にも代えられない大切なものだ。それがこんな風に奪い去られる様を目の当たりにしちまって、俺は怒りと悔しさで頭がおかしくなりそうだった。

 足を止めた時、俺は村のどことも分からない場所にいた。息を荒げながら、俯き、理由すら分からない涙を流すこと。それが、その時の俺にできたすべてだった。


「くそっ、くそっ……!」


 地雷で痛々しい姿になったハナと、娘を奪われたお母さんの泣き叫ぶ声。それらが頭に焼き付いて、離れなかった。

 こんな仕事をしているのだから、こういう体験をすることもあるのだと覚悟はしていた。しかし現実は俺が思っていた以上に残酷で、哀しく……理不尽なものだったのだ。

 もう無理だ……そう思った時だった。


「逃げたいのか?」


 聞き慣れない声に、俺は顔を上げた。

 潤んだ視界に浮かび上がる、白い毛並み――そこにいたのは、アイノックスだった。

 

「それが、お前の望んだ結末か?」


 不思議と俺はその時、犬が喋っているという現実に対してさほど驚かなかった。多分、ハナとお母さんのことで気が狂いそうになっていて、正常な思考を失っていたからなんだと思う。

 俺は目を逸らして、押し出すように言った。


「仕方ないだろ……!」


 するとアイノックスが歩み寄り、俺のズボンの裾を噛んで引っ張った。


「な、何を……!」


 戸惑う俺が言うと、アイノックスはただ一言告げた。


「こっちに来い!」


 有無を言わさず、引きずるように俺を連れていくアイノックス。

 向かった先の場所は、村の広場だった。だが、ただの広場ではなく、そこは仕切りの柵で外部と隔てられており、そして地雷警告標識が建てられていた。

 赤地に、白でドクロマークと『Danger!! mines!!』という警告が記された標識――その先が地雷原であることを人々に伝え、注意を促すための物だ。

 アイノックスが、俺を見上げて言った。


「あんな光景を目の当たりにしてしまったんだ……ショックを受ける気持ちは確かに分かる。俺だってもう、気が狂いそうなんだ」


 俺は、アイノックスが瀕死のハナに向かって何度も吠えていたのを思い出した。

 死に蝕まれゆく彼女を前に、こいつも取り乱していたのだろう。


「だが……これからお前がすべきことはヤケになることではないし、ましてや逃げ出すことでもない」


 アイノックスが、地雷原の広場に視線を向けた。

 俺もそれを追った。

 目の前に広がる草木が生い茂った、自然豊かな場所。しかしその地中には無数の地雷が潜み、虎視眈々と人々を狙っているのだ。


「バカな人間どもが撒き散らしたクソは、まだそこら中に埋まってるんだ」


 俺はアイノックスを見た。するとアイノックスも俺を見ていて、視線が合わさる。


「明日にはまた誰かが……いや、こうしている間にも、誰かがあの子のように理不尽に命を奪われているかも知れない。そういう人達を救うために、お前はここに来たんだろう?」


 祈るような、訴えかけるような言葉は、さらに続けられた。


「なあ、相棒!」


 アイノックスの言葉に、俺は思わず身を震わせた。それほどまでに重く、心に響き渡る言葉だった。

 今一度、俺は目の前に立つ地雷警告標識に視線を向けた。『Danger!! mines!!』の文字と、忌々しいドクロマークに、目が釘付けになる。

 その時、マグマが煮え滾るように湧き上がった感情が、先程まで俺を支配していたショックを、悲しみをみるみるうちに飲み込み、覆いつくしていった。

 その感情は、『怒り』だった。

 ハナの命を奪った地雷、そして地雷を撒き散らした奴らへの怒りが、俺を満たしていったのだ。

 地雷警告標識を睨みつけたまま、気づけば俺は顔を震わせていた。

 

「アイノックス、ごめん」


 たとえ一瞬たりとも逃げようと思ったことに、目を背けようとしたことに……俺はまず詫びた。

 そして、


「これからも……俺に力を貸してくれ」


 そう言うと、『相棒』はしっかりと頷いてくれた。


「ああ、当たり前だ」


 ハナが遺した言葉を、俺は思い出す。


“こんなきれいなお花畑に、悪いゴミが埋まってるなんて……そんなことないよね、そんなの、ウソだよね……”


 絶対、許さねえ……!

 地雷警告標識を睨みながら、俺は拳を握りしめ、これからも地雷除去活動に携わっていくことを決心した。

 それがあの子への、ハナへの餞なのだ……そう自分に言い聞かせた。



  ◎  ◎  ◎



 その日の地雷除去を終えて宿舎に戻った後、俺はアイノックスに餌をやろうと、ドッグフードを盛った餌入れを持ってあいつを探していた。


「アイノックス、夕飯だぞ」


 いつもなら、俺がそう呼べば来る。しかし、その日は反応がなかった。

 俺と一緒に宿舎に入ったと思っていたが、どこに行ったのだろう。そう思った俺は餌入れを一度置いて、宿舎の近辺を探してみた。すると、高台のようになった山の上に見知ったその姿を見つけた。

 もう日が落ちていたが、太陽の代わりに満月が空に浮かんでいて、アイノックスの純白の毛並みが月光に照らし出されていて綺麗だった。


「そんなとこで、何してるんだ?」


 近くまで歩み寄って、俺は問うた。アイノックスはどこかを見つめたまま答えた。


「最近、ここから見える景色が気に入っていてな」

 

 その視線の先を、俺も目で追ってみた。

 立ち並ぶ民家に、木々……それに、村の外れの広場が見えた。ハナが行きたがっていた、大きな花畑があるという場所だ。


「地雷なんてものに汚されちまっているのが、もったいなく思えてくる」


 ここから見える場所には、地雷原に指定されている土地もある。そこにはまだ、何万という地雷が埋まっているという話を聞いた。

 ベトナム戦争、それから約二十年も続いた内戦時にこのカンボジアに大量に埋められ、今もなお人々を脅かす悪魔の兵器。戦争が残した負の遺産――それが完全に廃絶される日は、きっと訪れない。仮に来るとしても、俺が生きている間には絶対にありえない。

 

「そうだな……」


 俺はアイノックスの頭を撫でながら、そう言った。

 それから、しばらく相棒と一緒にそこから望む景色を眺め続けた。地雷さえなければ、もっと素晴らしい景色に見えたはずだ。


「そろそろ戻らないか? 明日も仕事だし、今日は疲れただろう」


 俺が提案すると、アイノックスは頷いた。


「ああ、分かった」


 そう言った後も、アイノックスは少しの間景色を見つめていた。俺も、その視線を追った。アイノックスが言った通り、地雷に汚されるにはもったいなさすぎる素晴らしい景色だった。

 人間が作り出したろくでもない兵器に侵食されて、大地が嘆いているのが感じられる。


「行こう」


 アイノックスが宿舎に向かい、歩を進め始めた。

 俺は、その背中を追った。

 地雷を完全に葬り去るという目標を掲げた、俺達の仕事は終わらない。きっと俺が死んだ後にも、誰かに引き継がれて永遠に続いていくだろう。


 この広大で素晴らしい……大地が静かに眠るまで。











【地雷が悪魔の兵器と称される所以】



安価(日本円にして三百円程度)で大量生産・埋設が容易な反面、地雷はその撤去に多大な費用と手間、そして危険を伴う兵器である。

終戦後も地雷は半永久的にその機能を維持し続け、誰かに踏まれるまで地中に身を潜め続ける。そして相手が男だろうが女だろうが、子供だろうが大人だろうが、兵士だろうが一般市民だろうが、無差別に人を殺傷するのだ。

地雷には数百種類ものバリエーションがあるとされ、対人地雷は基本的に相手を殺すことではなく、重傷を負わせる目的で作られている(無論、相手の殺害に重点を置いたタイプも存在する)。爆発音に、触雷した者が上げる悲鳴。さらにその者の手足がズタズタに引き裂かれる光景は、周囲の兵士達の士気を削ぎ、救護に手間と人員を割かせる効果もあるからだ。

もちろん、威力を抑えた地雷でも致命傷をもたらすことは十分に起こり得るし、生き残ったとしても手足の切断や失明といった、重大な身体欠損は免れない。

あえて人を殺さず、戦争が終わってもその地に残り、無差別に危害を加える地雷――その残虐性は筆舌に尽くしがたく、『悪魔の兵器』と称する他にないだろう。


この物語の登場人物は架空の存在である。しかし、今もなお地雷の脅威と隣り合わせで日々を過ごす人が大勢いるという事実は、決してフィクションではない。






挿絵(By みてみん)

イラスト制作・『猫じゃらし様』、深くお礼申し上げます。


地雷ではなく、大地が花でいっぱいになる日が訪れますように……。






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― 新着の感想 ―
[一言] カンボジアには旅行で行ったことがあります。 入国した私を迎え入れたのは、色々なニュースで聞いている悲惨さではなく、ただ美しい風景と心穏やかな人々でした。 地雷の残虐性について、自分は知ったつ…
[良い点] 胸が痛みました。 でもこれは完全なフィクションではなく、現実に残っているリアルな問題なんですよね。 今もこうしてハナちゃんのような犠牲が出ているかもしれないと思うと辛いです。 そして地雷…
[一言] >戦争が残した負の遺産――それが完全に廃絶される日は、きっと訪れない。仮に来るとしても、俺が生きている間には絶対にありえない ありえますし、本当はとっても簡単になくせます。 答え: ・兵器…
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