第8話.アリスと陸軍将校
第8話.アリスと陸軍将校
結局、お見合いには出る事になった。それで俺は今、非常に憂鬱な気分でちょっとした料理屋の畳の上に正座している。何せここに至るまでの段階で既に大幅に体力を削られているのだ。
晴れの日だからと、いつも以上に着物の帯を締め付けられた上に、着付け係から執拗に髪の毛を引っ張られて、頭皮が全部頭頂部に移動するのかと思った程だ。挙げ句の果てに、「苦しいのはご自分の姿勢が悪いからだ」とまで言われた。
それで超絶不機嫌な上に、父親と母親まで揃って、先方を正座で待っているのだ。これで機嫌良くしろというのが無理な話である。顔を心なしか斜めにして、ジッと待つ。
そうこうしているうちに、ふすまが音もなくスッと開いた。
「有栖川殿、ご無沙汰です」
「おお、秋本さん。お待ちしておりました」
両親の硬い挨拶に始まって、俺も先方に挨拶をする。当たり障りのない普通のやつだ。
なるほどシュッとして背の高い、軍人然とした男前が、整った顔に予定調和の表情を貼りつけて座った。名を秋本真古というらしい。その後も興味も無ければ中身もない会話をしながら、完成度の高い料理を味わう。
腹も満たされて、少しずつ現在置かれている状況に慣れ始めた時、先方の父親が余計な一言を言った。
「中庭が風流で良いぞ。若い二人で行ってきたらどうかね」
「それは良い。真古さん、娘をお願いします」
そのように父親同士が勝手に何もかも決めるので、俺の意見を挟む余地がない。どう反抗しようが無駄なので、黙って指示に従う事にする。真古が、爽やかな声でエスコートするのを受けて、コイツはモテるだろうななんて考えていたのだった。
二人っきりで、季節の花に囲まれた中庭を散策する。石造りの橋をかけた池なども手入れが行き渡っており、かなり金がかかっていそうである。
そんな時、突然真古の声色が変わった。
「おい、お前は何ができるんだ?」
「は、はい。何ができるとは何の事でしょうか」
「俺は出自も良ければ、士官学校も主席で卒業した。つまり優秀なのだよ。まず、いずれこの日本に名を残す男だ」
「は、はぁ」
「それで、お前は何ができる?ああ、家の事は良い、お前自身が俺に何を与えられるのかを聞きたい」
「そう仰られましても……」
だめだ、こいつとはノリが合わない。この状況を打破するために、俺は昨日の猪子との会話を思い出していた。
……
「ところで猪子さん。お見合いを百八回経験なさったそうですけど」
「ええ」
「あの、聞きづらいのですけれど、上手くいかなかった時は何が原因でしたの?」
俺は単刀直入にそう切り出した。百八回のお見合いを乗り越えてなおこの学校にいる。つまり、百八回連続で不成立という事だ。これは何か、「コツ」があるはずだ。
「でちゃうんです、アレが」
すると、少しの間を開けて頬を赤らめながら、猪子がそう言った。
「噯気が。そう、緊張しちゃうと。うぉっふん」
「まぁ……!そうでしたの」
謎の咳払いも相当クセがあるが、ゲップをすれば一発で振られるという有力な情報を得たのだ。
……
今だ!
そう思った俺は、密かに計画していたことを実行に移す。この俺様将校に見せつけてやるしかないのだ、二人っきりの今!
「ぐ……げ」
「げ?」
細い眉を妙な形に曲げて、真古が問うた。ムカつくほど男前である。間髪入れずに俺は大きな口を開けた。
「げっぷー!」
「……ッ!?」
決まった!ベストタイミングで。突然のはしたない一面に驚きを隠せない様子だ!顔が青ざめているぞ、もう一息だ。
「げっげっげ。げっぷっぷー!」
「……」
リズミカルにダイナミックなげっぷを披露する。頑張って空気を呑んで、胃に溜めた空気を一気に放出したのだ。
流石の秋山さんも、この連続げっぷ攻撃には呆れてものも言えまい。この縁談は破談だ!終わり!
どうだとばかりに、心の中で勝ち誇る。
「っくっくっく」
真古が下を向いて、笑いながら肩を震わせている。その次の瞬間、ばっと顔を上げて大きく笑い声を上げた。
「はっはっはっは!お前、面白いな。今まで見てきた女と違う種類だ。気に入ったぞ」
「なんでだよ!」
思わず心の声が現実の声になる。「しまった!」と思って口を手で覆う。グッと肩に手を回されて、引き寄せられる。二人の顔が近づく。
「顔が良いだけの女は何人も知っている。お前はそれらとは違う匂いがする」
「に、においですか!?」
手を振り払って、距離を取る。何をされたものかわかったものではない。
「ふん。おい、お前。気に入ったぞ」
「私は、その。秋本様に釣り合う自信がありません。ほら、げっぷが出ますし。絶対他に良い人がいますわ」
「いや、俄然興味が湧いてきた。俺様の側にいる事を許してやるよ」
マジで?
ヤバい。予想以上にヤバいやつだった!
無理無理、どうしよう……。