4.5 真っ白な空間
ここからは当面の間、月曜日と金曜日の更新にいたします。
「始まったわね。」
「…まだ実感はないけどね。」
どこを見渡しても真っ白い空間。ここに初めて来てからどの位が経っただろうか。昼夜の区別がないせいで、1週間程にも感じるし、もう1か月以上になるような気もする。
ここは洗滌の間というらしい。
初めて来た時、光も影も感じない真っ白な空間や、地面を踏みしめる感覚も浮遊している感覚もない、非現実的な感覚に驚き、パニックになってしまった事を覚えている。
今振り返ると少し気恥ずかしいが、自分の両手を掲げて「夢なら早く覚めてくれ!」なんて舞台俳優さながらのオーバーなリアクションをして、今も目の前にいる女神を驚かせたものだ。
結論から言うと、僕は1度死んだらしい。
就職し、はじめての給料で両親を誘った旅行先、泊まっていたホテルが火災に合った。
はじめての親孝行だと思って行動した事が人生最大の親不幸になるなんて、なんてチープな悲劇だろう。
早くに意識を失った母さんをかかえた父さんの脱出を見送った後、僕がいた足元が崩れ落ち、意識はブラックアウト。次に目覚めたらこの空間というわけだ。
記憶はあるが実感のない僕は、みっともなく泣き喚き、女神にすがりついたりもした。両親を残して死ぬなんて、その大きすぎる罪悪感に押しつぶされそうだった僕を、女神は時間をかけてなだめてくれた。
「大丈夫。次の人生ではちょっとやそっとじゃ死なない力が使えるから。きっと親の最後を看取れるわ。」
パニック状態だった僕では理解しきれていなかったが、どうやら僕には次の人生があるらしい。徐々に落ち着きを取り戻した僕に、女神はゆっくりと説明してくれた。
幼子の魂では耐えきれない程、力が集まり過ぎる子供。そのチート過ぎる子供として生まれ変わるらしい。
幼子の魂では耐えきれないなら成人した者の魂を、それも異世界から界を渡れる程、強靭な魂なら尚良い。そうして僕が呼ばれたようだ。
「…大丈夫?」
黙り込んで立ち尽くしていた僕を心配した、女神から声がかかる。
女神とは、次に僕が産まれる世界の神だそうだ。女性の姿をしているから勝手に女神と呼んでいるだけで、他に男神がいるというわけではない。
その女神に、大精霊と呼ばれる存在から依頼があった事で今回の話ははじまった。基本的に人間贔屓な女神は、1も2もなく引き受けたようだ。
「うん。なんとかね。そろそろ僕もちゃんと折り合いをつけないと。」
今、僕の心の大半を締めているのは、恐怖だ。
現実感のない突飛な話への恐怖、知らない所に産まれる恐怖、自分の常識が通じない世界へ行く恐怖。…そして死への恐怖。
その恐怖を少しでも和らげようと、女神は僕が産まれる予定となっているシュッツグラー家の風景や人物を見せてくれた。ちょうど僕の事を話し合っていた事もあって、人となりやこれからへの覚悟がよくわかる映像だった。
魔法が使える世界への憧れはある。映像でみた新しい家族もとても良い人そうだ。それでもまだ、心の大半を恐怖が締めている自分の臆病さに、知らず溜め息をこぼした。
「臆病さは美徳よ。勇敢で豪胆な人程、早死するもの。あなたの目標は“親を看取る事”なんでしょ?」
「そうだね。」
少し格好悪くも感じる目標に苦笑いをこぼしながら、これからの事を考える。
早く折り合いを付けて、この空間を出ないと。
この空間は、界をわたった魂をこの世界に馴染ませる為、女神が急造したものらしい。馴染むのにどれだけ時間がかかるかは、それこそ僕の“折り合い”にかかっている。
ここの空間を出れないと、力の使い方や制御方法などの勉強も出来ないそうだ。少し気が焦る。僕の為に頑張ってくれようとしている家族を見たからか。
「それに、あの人達の為にも…出来るだけ早くここを出たいって。少しは思えた、かな。」
「大した前進ね。その優しさも美徳の1つだけど、変な人に騙されないか少し不安だわ。」
この荒唐無稽な話を早い段階で受け入れた事も言っているのだろう。
…それは優しさじゃないんだけどな。罪悪感や焦燥感、その他ありとあらゆる負の感情に押しつぶされてしまって、女神の話にすがるしかなかったんだ。
「それでも、よ。優しさっていうのは受け入れる器の広さの事をいうのよ。あなたの内心がどうだったとしても、こんなとんでもない話をはねのけるのではなくて、受け入れた。」
心を読んだかのように、会話を続ける女神。これもまだ慣れないな。
「…でも」
女神はそうやって言ってくれるけど、それしか選択肢がないんだから、大抵の人は受け入れると思う。新しい世界に意欲を湧かしてもっと早く前向きになれる人だっている筈だ。
「そんな人、非現実的な幻想に溺れているだけじゃない。あなたのようにきちんと整理して受け入れるなんて、並大抵の人なら出来ないわ。
現実感のない事を、非現実と割り切って楽しむのも悪いとはいわないけど、私は来てくれたのがあなたでよかったと思ってる。」
「あなたでよかった。」それが僕の欲しかった言葉なんだろうか。心に染み渡るみたいに、前を向く意欲が湧くのがわかる。上辺だけじゃない、心の底から僕を思ってくれているのが不思議とよくわかり、思わず微笑む。
微笑みながら、そういえばここに来てから初めてちゃんと笑ったな、と感じた僕はきっと既に前を向けているのだろう。
新しい世界での目標は“親を看取る”事。
その為には親を老衰まで守れる力を、そしてなにより大き過ぎる力に耐えれる力を得なければ。
そう思って見上げた真っ白な空間は、ぼやっとだけど、確実に輝きはじめたように感じられた。