4.
歓談室から数人が退室する。
どうやらあらかたの話は終わった様だ。
「アル。」
アルバートは足を止め、不躾に呼び掛けて来た相手に振り返る。
オレンジがかった茶色の短髪を後ろに撫でつける様にセットしたその男は、ちょうど今まで歓談室での話し合いの主役となっていたアレックスだ。
「ちょっと付き合え。」
アレックスは手を口元にやり、煙草を吸うジェスチャーをしながら誘う。
「もう、やめたんだけどな。」
苦笑いしながら返事をするアルバートに、気にも止めず歩き出すアレックス。
しょうがないと笑みをこぼしながら、アルバートも付き合う事を決めた様だ。
夜の帳ももうとっくに下りた庭の隅に置かれたテーブルセットに腰掛ける。これは侍従達の喫煙用に置いたものだ。
洗濯物の近くではメイドに叱られ、キッチンの近くでは料理長に怒られる愛煙家の肩身の狭さに気付いたアレックスが設置した。
侍従用の入り口のそばという事もあり、どこで吸おうが叱られる事はないアレックスも、一息入れたい時には馬丁や庭師など、愛煙家達を付き合わせてここで一服するのがお気に入りだ。
侍従達にとっても気さくに話しかけてくれるアレックスとの時間は嬉しい様で、親子そろってこんなに良い主は他ではいないと声を揃えて言う程の、高い人気の一因にもなっている。
「おや、紙タバコかい?」
精巧に飾り付けられたシガーボックスから取り出されたタバコに眉をあげるアルバート。
「リガーロからいいものが手に入ってな。」
「あれだけパイプに凝っていたのに。」
「これの美味さと楽さを知ったら、パイプなんて面倒に感じる位だ。どうだ、1本。…辞めたんだったか?」
王国へは薬品として伝わったタバコだが、今は嗜好品として金をかけて楽しまれるものになった。
魔物の牙や骨、宝飾品がふんだんに使われ、精巧な彫りが入ったパイプは収集欲を掻き立てられるが、手入れが難しい。それにどれだけ手入れを丁寧にしても、ダメになるのが早いのも欠点の1つだ。
その点、紙タバコは道具を必要とせず手軽に吸えるが、1つ1つが手巻きな事もあり、1本1本の品質がバラバラで貴族達にはあまり人気がないのが現状だ。
だが、リガーロ諸島の連合国内で作られた紙タバコは、どれをとっても品質が良く、値段もパイプ程にはかからない。
「ぃゃ、いただくよ。私もあれが面倒だった口だからね。」
アレックスの指先に出された火をもらい、ひと吸いする間、じっと見つめられてる事に気付いたアルバートはアレックスに微笑みかける。
「なるほど、使えるね。」
これが呼び出した真意だったのだろう。リガーロとの交易を考えているのか。
「でも…先に港を整備しないとね。」
問題点を指摘すると、煙をくゆらせながら眉間にシワを寄せるアレックス。
「あぁ。だがタバコ位ならなんとか…ならんか。」
その言葉に思わず苦笑いをしてしまうが、しかたのない事だ。
シュッツグラー領の海辺には漁村しかない。それでも細々とした交易を行う港はあるが、他国との取引となるときちんと整備した港が必要になって来るだろう。
「でも流石だよ、レックス。話し合いの間にもしっかり具体案を考えていたんだね。」
「お前もだろう。」
「まぁ、ね。明日からはその辺を具体的に話し合う必要がありそうだ。2週間で足りるかな。」
そこからは具体的な話を意図して避け、くだらない雑談に興じる2人。
先にアレックスのタバコが終わり、消しながらアルバートへ問いかける。
「お前は、いいのか。」
先ほどの話し合いについてだろう。最悪の場合独立をと言われたが、それは広大な面積を有し、王国の北端にあるシュッツグラー辺境伯領の事だろう。
基本的に王都で生活をしているニードルート家も牧草地が広がるのどかな農村と、物流を支える宿場町などを領地に持っているが、ここから比べると別の貴族の領地を2つ挟んだ南側、王都にほど近い場所だ。独立には協力しづらい。
シュッツグラー家にとっては、上級精霊が増える上に、独立しなかったとしてもこれからの過程で家格や領としての力を上げられる旨味がある。
だが、ニードルート家にとってはどうか。アルバートは上級精霊をもらえるが、直接与えられるのはそれだけだ。まだ見ぬ孫の事を思って、だけでは貴族はやっていけない事をアレックスも嫌と言う程わかっている。
「…子供達の幸せを守るため、ではダメかな?」
アレックスの眼差しは変わらない。うかがう様ですらなく、早く言えと責めている様にも感じる眼差しに根負けしたのか、アルバートは目線をそらしながら煙を見上げた。
「うぅん。明日の話し合いで言うつもりだったんだけどな。」
急いた様に目線で先を促すアレックスに、苦笑いがこぼれる。
「結局のところ、矢面に立たされるのはシュッツグラーだろうからね。旨味なんて少なくて良いんだ。シュッツグラーに港町が出来るなら、王都への流通で僕の領だって潤うだろうし。」
実際問題、北の物流の中心地にもなっているニードルート領はシュッツグラー領が栄えれば栄える程、そのおこぼれにあずかれる立地にある。だが旨味といえるのはそれ位でしかない。
「…でも、“最悪の場合”に備えるなら、その内容には少し手を加えさせて欲しいかな。
シュッツグラー領を独立させるんじゃなくて、私の領までを含めた領の連邦を国家として認めてもらう。
これなら、いち領の独立よりもハードルは低いし、私も混ぜてもらえそうだからね。」
なるほど、わかりやすい対案だ。単独での独立を目指すとどうしても気取られるだろう。最悪の状況にならず、陛下が子供の自由を守ろうとしてくれたとしても、独立しようと力を蓄えたシュッツグラー家への疑心が悪い方向に行く可能性もある。
近隣の領を巻き込んで傘下に納める、もしくは協定を結べばどうか。実際に隣国の動きがきな臭くなって来ているし、大森林の魔物達も様子がおかしい。今なら協定を結んでも、辺境伯としての職務の為だと判断していただけるだろう。
あくまでも独立は“最悪の場合”が訪れた時の話だ。最悪な状況にならない様に立ち回るなら、陛下に疑心を抱かしてはいけない。ニードルート家にとっても一緒に独立する事となるなら、共に走る価値も旨味もあるだろう。
「ニードルート侯爵領までか。間に合うか。協定を結ぶなら旨味を与える必要があるな。やはり港町は必要か。それに国防の意味でせめるなら砦を厚くする必要もあるな。」
素直に意見を取り入れようとするアレックスにため息がこぼれる。
「レックス。君はもう当主になるんだよ?そんな簡単に他領の当主の意見を聞いてしまっていいのかい?」
幼い頃からの知己ではあるが、当主同士の話をそれで済ませてはいけない。そう困惑するアルバートをよそに、アレックスは心外だと鼻白む。
「まだ次期当主だ。継ぐのは半年後に決まっただろう。
それに明日、父上と3人での話し合いで、同じ話をするんだろ?シュッツグラーにとってマイナスになる点なんて一つもないんだ。両家が共に歩む事を決めたなら、その位はわけないさ。」
信頼がにじみ出る眼差しが、眩しく感じる。若くから貴族社会に揉まれた自分が薄汚れた気がしたのを誤魔化す様に、アルバートは苦笑いを漏らす。
「陛下との関係性は私に任せておいてよ。フレッドの継承授与の時に、わたりを付けておくよ。殿下達は子供達に任せる事になるだろうけど。」
恥ずかし気に話題を逸らし、短くなったタバコを灰皿にねじ込む。これでお開きだとばかりに席を立つアルバートの背に、アレックスの声がかかる。
「アル。共に行くのがお前でよかった。」
これから先の2家は一蓮托生となる。心から信頼出来る友が相手だったからこそ、元始の大精霊様の問い掛けに1も2もなく即答出来た。こんな幸せな事はないと、伝えておきたかったのだが、アレックスを眩しく感じていたアルバートにはある種のとどめになってしまった様だ。
「そっ、そんな恥ずかしい事をさらっと口に出すなよ!」
赤面してしまった顔をローブで隠したまま逃げる様にその場を去るアルバート。
その背を見送ったアレックスは、後ろを振り返りながら次のタバコに火を付けた。
「…出て来ないのか?」
アルバートが去っていった方向とは逆にある木立からばつが悪そうに出てくるクリストフ。
「盗み聞きは感心しないな。」
「父さん達が後から来たんだ。」
少しふてくされたような表情で言うクリストフ。アレックスに良く似て、あまり表情に感情が出ない性分のようだ。
「“父さん”か。久しぶりに聞いたな。普段からそう呼んでくれていいのに。」
嬉しそうなアレックスに、しまったと顔を歪めるクリストフ。
“僕”から“俺”へ、“父さん”から“父上”へ。思春期真っ只中の子供の成長に、子煩悩が刺激され目を細める。こんなに可愛い息子が、2家を巻き込んだ騒動の中心になってしまうとは。
顔を引き締め、改めて“守る”と覚悟しなおしたアレックスがクリストフに声をかける。
「キャシー嬢はいいのか。」
2人を気遣って時間を作ったのに、クリストフは1人だ。
「あぁ、もう寝るそうだ。」
今日は色々と疲れただろう。ゆっくりと休んで欲しいものだ。
「覚悟は決まったか。」
「覚悟なんて、とうに出来ている。」
アレックスに似た眼差しに、強い力がこもる。子供だと思っていたが、知らぬ間にいっぱしの男になっていたようだ。
「そうか。」
そっけなくも感じる親子の会話に、アレックスは満足したように終止符を打つ。これで終わりだと立ち去る父に背を向け、タバコに火を付けるクリストフ。
くゆらせた煙を目で追いながら、先ほどの会話を反芻する。両家どころか、周りの領をも巻き込んで行くなんて、話が大き過ぎて頭がついていかない。
そんな騒動を巻き起こした発端は、自分が最愛の女性と共にありたいと願った、ただのわがままだと言う事もわかっている。だが、キャシーとの未来だけは譲れない。
遠くを見るような、まるで幸せな未来を確信するかのような男の目に、迷いはなかった。