3.
「びっくりしたな。」
まだ現実の事と判断出来ていないのか、少しぼうっとした頭のままで思わず声が漏れる。
「衝撃が大き過ぎて、はじめの方は話が頭に入って来なかったわ。」
キャシーにあてがわれた客室のテラスに出したテーブルセットを囲むのはキャシーと僕だけだ。
祖父や父上が俺たちに気遣って、時間をくれた。
アルバートさんとよく似た白に近い柔らかな色合いの髪が、フワッと風になびく。透き通った緑の美しい瞳はテラスからの景色に見惚れる余裕もなく、思い悩む様が見える。
「皆さんはこの話をどう飲み込んだのかしら。」
まだ歓談室で話し合いは続いている。今は父上が辺境伯を継ぐタイミングやパフォーマンスについて話し合っているのだろう。
「いや、きっとまだ誰も飲み込めてはいないだろう。」
苦笑いしながら紅茶を口に含む。
「ん。美味い。」
飲み慣れない香りだが、爽やかな風味が心地良い。今の気分にはぴったりだ。
「よかった。デボラお義姉様のご実家が、今年からワーズロー帝国との交易に、この茶葉が加わったんですって。少し前にお土産で持って来てくださってから気に入っちゃって、スッキリしたい気分の時によく飲むの。」
来年キャシーの兄に嫁いで来る予定のデボラ様は、王都の南東にある大きな港町のある領地がご実家だ。交易相手のワーズロー帝国は我がスワルズ王国とは海を挟んだ南東に広がる大陸にある。年中温暖な気候で、スワルズ王国ではフルーツやスパイスの人気が高い。
「ワーズローか。紅茶も美味しかったのか。
南側の時勢に疎い事がバレてしまったな。」
照れる様に笑う俺に、キャシーも微笑みかけてくれた。
シュッツグラー辺境伯領が王国の北端な事もあって、南の事情にあまり詳しくないのはしかたのない事とも言える。
「もう知っているわ。だからこそ私が詳しくありたいと思うの。」
嬉しい台詞だ。
「俺もしっかり勉強するよ。甘えきってしまうのも格好悪いからな。」
少しの間笑い合い、暖かい雰囲気に肩の力を抜く。
「さて。せっかく時間をいただいたんだ。少し話をするか。」
さっきまでいた歓談室はまるで異世界の様だった。シュッツグラー家だけでも、俺の家族だけでなく、父上の姉達やその家族まで集まっていた。ニードルート家も同じだ。総勢30人近くの人間が集まり、しかも守護精霊を顕在させてたんだ。そりゃあ壮観だった。青い猫や白い狐、緑の鳥、雷を身体に纏わせたウサギなんてのもいる。そんな色とりどりの精霊達が人間の数以上にひしめき合う光景は、それだけでおとぎ話の世界に迷い込んだ様な錯覚を起こす。
そこに加え、全てを圧倒する存在感を放つ元始の大精霊様。話す内容だけでなくそこにいるだけで部屋の空気が変わっていた様にも思う。
「私たちの話だけど、私たちだけの事では済ませられないものね。」
少し目を臥せながら話すキャシー。
歓談室で聞いたのは、あまりにも壮大な話だった。
俺たちが婚約する事への祝いに力を溢れさせる精霊達。既に精霊界では騒ぎが起こっているらしい。実際に婚約に至ったらそばにいる人間の守護精霊達も理性を保てないかも知れないとの事だ。過剰に与えられたら力は人間なんぞに扱いきれる訳もなく、暴走し、辺りを巻き込んで自爆する事になる。
婚約するだけでそれなら結婚したらどうなる。子供が産まれたらどうなる。
祝う為の暴走は、どれだけ規模が大きかろうが一過性のものにすぎないらしいが、子供の話となるとそうはいかない。
幼子の魂はとても敏感なんだそうだ。そこに愛さずにはいられない精霊達が群がる。それらから守る筈の守護精霊達も幼子につくのは幼い精霊が多い。当然守りきれず、幼子の魂と共に帰らぬものとなる。そういった例が過去にはいくつかあるそうだ。
“愛され過ぎる”
俺だって愛し子だ。精霊達に愛され守られて育った自覚もある。だが、俺たちから産まれた子はそれだけには留まらない。婚約や結婚の様な一過性の暴走ではなく、愛され過ぎる状態は一生涯続く。
子供の事なんてまだきちんと考えた事もなかった俺にとっては、あまりにも衝撃的だった。
まだ学園も卒業前の俺には勿論、2つ年下のキャシーにはもっと現実感のない話だった事だろう。
「子供の事は、考えた事もあったわ。」
…あったのか。男女の違いだろうか。少し情けない気分になりながら先を促す。
「愛され過ぎる存在になるかもしれない。そうして産まれた子を、ちゃんと守っていけるのか。それはその子にとって幸せなのか。結局一度も答えは出なかったけど、何度も考えた。
ランドルフ様に言った様に、愛し子の中では愛される度合いが比較的少ない私なら大丈夫だと言い聞かせもしたわ。
でも…私が想像していたよりも酷い事になりそうなのね。」
「あぁ。俺たちだけだったら、元始の大精霊様が顕現してくださっていなければ。
…いつか出会う我が子を失っていたかもしれない。」
元始の大精霊様は精霊達の暴走についての解決案を持って来て下さった。
まず、俺とキャシーに精霊達の暴走を抑えてくれる上級精霊を連れて来て下さるそうだ。
魔法といわれる人智を越えた力は、精霊達から借りる事でしか得る事は出来ない。だから、行使出来る力の種類は精霊達の属性やランクによって異なる。水属性の精霊を持つ人は水属性の魔法を使えるといった具合だ。
属性というものは多岐にわたり、おおよそ全ての自然現象に当てはめる事が出来る。水や火、風、木、土、雷辺りが最もポピュラーだろうか。属性のそれぞれに、上級・中級・下級と呼ばれるランクがあって、同じ水属性でも上級に近い程、行使出来る力の種類が増え、強さや精密さも全然違うものになる。
俺にも火と雷の上級精霊が、キャシーには水と土の中級精霊がついているが、新たに連れてきて下さる精霊達は、属性の格がそもそも違う。
多岐にわたる属性の中でも格上の属性というものがある。伝説やおとぎ話でしか聞いた事もないが、光・陰、聖・闇、時・無なんかがそうだ。物理的に対処出来ないとされるその力は、1柱いるだけで劣勢だった戦局すら180度かえてしまう程の力を持つという。その伝説的な属性のしかも上級精霊を俺たちに与えて下さるというのだ。
そして、俺とキャシーの父にも新たに上級精霊をつけて下さる。これは政治的な事を含め、まだ学生の俺たちを守る為だそうだ。
2人が共にある事で目に見えた新しい力を手にいれる。それは他者からやっかみや恐怖を覚えられても仕方ない。もしその情報が漏れたら、敵対派閥が俺たちの婚約を邪魔しようと動く事は想像に易い。そして政治的に動かれると対抗するには力だけでなく、地位も必要だ。
侯爵家当主でありながら、魔法は宮廷魔法師の師長に就く程の腕前で、国王陛下の近衛の任にも就く程陛下からの信頼も厚いアルバートさんは良い。問題は俺の父上だ。
父上は力こそ、領軍の中でもトップクラスに強く、魔物や敵軍には常勝無敗の成績を誇るが、まだ辺境伯位を継いでいない。
当主の嫡子は当主の1つ下の爵位と同等の地位になる。侯爵と同列となる辺境伯でも、嫡子以下はその兄弟、子供へと与えられる爵位がどんどん低くなって行く為、男兄弟がいなくとも孫ともなると2つも爵位が下がる。つまり現状では父上が伯爵、俺は子爵の扱いとなる。
予定では2年後、父上が40になる年に引き継ぐ予定だったが、今回の事で大幅に前倒ししてくれる事になった。それもこれも俺たちを守る為だと思うと、胸が熱くなる。
「元始の大精霊様には感謝の念に絶えない。愛し子の系譜というだけでここまでしてもらって良いものか…」
「気持ちはわかるわ。でも、そこに光明があるのなら…私は、縋らずにはいられない。何より、一切の迷いもなく、私たちの幸せを守ると宣言してくれたお父様達に報いたい。
家族みんなの人生も巻き込んでしまったのに…みんなとても優しい笑顔で受け入れてくれた。こんな大きな恩を…どうやってみんなに返したらいいか。見当も付かないけど…」
涙目になって言うキャシーの手をなだめる様に握る。
子供の事に関しても解決案を持って来てくださった。
元始の大精霊様がいつか産まれる我が子の為に、強靭な魂を探してくれるそうだ。具体的な事まではわからないが、大き過ぎる力にも耐え得る魂を我が子に宿せる可能性があるらしい。
そして、どこでどんな精霊が暴走しても抑えられる様、その子には全属性の上級精霊を守護につけてくれるそうだ。
そうすると次は別の事が問題になって来る。1人の人間が持つにはあまりにも力が大き過ぎるのだ。
国王派という事もあり、今は陛下との関係も友好的だけど、大きな力を持つ人間は、本人の意志に関係なく首に鎖を着けたくなるのが道理だろう。あの人情的な陛下が囲うならまだ良い。我が国だけでなく、敵国にも友好国にも有象無象の権力者達はたくさんいる。兵器としての価値を見出されてしまったら、どんな事になるかわからない。
何より、そんな環境下では、子供の情操教育にも良くないだろう。
だから、元始の大精霊様は俺たちに試練を下さった。上級精霊達を与えるかわりに、何があっても揺るがない、必ず子供を守れる環境を作り出せ、と。
陛下が欲しても断れる程の関係性を。敵派閥や敵国から誘拐に来ても子供には一切気取られずに殲滅出来る力を。
――万が一王国と敵対したとしても、独立してしまえる程豊かな領地を。
そう求められた時、俺たちの家族はみんな生涯をかけて協力すると、迷う事なく覚悟を決めてくれた。キャシーの言う通り、これは返せる恩ではない。俺たちの幸せの為に、家族みんなの人生を変えてしまったのだから。
「そうだな。きっと、返す事なんて考えない方が良いんだろう。これは、俺たちが幸せな家族を築き上げる事でしか返せない。
しっかりと前を向いて、一つ一つの障害をクリアして行く事に懸命になろう。辛いことも多いかも知れない。
…それでも俺と共に来てくれるか?」
美しく微笑みながら頷くキャシーを見て、あぁ、今もうすでにこんなにも幸せだと実感した。この幸せを守る事へ、改めて覚悟する。
まだ見ぬ家族の為、もう走り出すしかないのだから。