2.
「さて、キャサリン・ニードルート嬢、そして我が孫クリストフ・シュッツグラー。」
普段はキャシー、クリスと愛称で呼んでくれている祖父が家名を入れたフルネームて呼ぶ。それだけで寛いだ空気が一掃された。
クリストフは寛いでいた姿勢を正し、表情を引き締めて返事をする。
「はい、お祖父さま。」
隣に座るキャシーも少し強張ってはいるが、気丈に返事をしていた。
「クリストフ。キャサリン嬢はまだ成人前だが、2人が婚約したいと思う心に相違はないな?」
もう当主同士で話は付いている筈だから、この問答は改めて俺たちの覚悟を宣言させる為のものだろう。俺は覚悟を見せれる様、顔を引き締めてお祖父様と対峙する。
「はい、相違ありません。」
「キャサリン嬢にも問おう。貴族間の婚姻というだけでなく、系譜の家同士の婚約だ。心だけでは済まない。貴族のパワーバランスや、愛し子としての力の増長をきちんと加味し、考えたか?」
「はい、ランドルフ様。
まず、貴族として。お父様は宮廷魔術師の師長として、陛下のそばへ侍る近衛としての栄誉がありますが、それは世襲されるものではありません。世襲されるものとしてはニードルート侯爵家ですが、お兄様が順当に継がれるでしょうし、シュッツグラー家は我がニードルート家と同じ国王派。問題はない様に思います。」
少し顔は強張っているものの堂々と自分の意見を述べるキャシー。
あの強面の祖父に睨まれて、こんなにも毅然としていられるなんて流石キャシーだ。その辺の令嬢ならきっと涙目になっていた事だろう。
「愛し子としても考えました。愛し子同士で婚姻を結ぶと、祝福したがった精霊達が暴走する恐れがあるとうかがっています。
ですが、私は守護精霊が中級精霊2柱で済む程、歴代の愛し子の中では愛される度合いが低い様ですし、クリスには上級精霊もついています。」
まるで自らをけなす様な言葉を、ただ事実を述べただけだと言う様に淡々と話すキャシー。
大精霊を守護精霊にする曾祖母を持つキャシーにとっては、かつてはどうしようもない程のコンプレックスだった筈だ。
だが、2人で話し合っている時にキャシーは「愛される度合いが低いからこそあなたと結婚出来ると思ったら、このコンプレックスも愛しく感じるわ」と微笑んだ。
彼女は強い。俺なんかよりもずっと。だからこそそんなキャシーが誇らしいし、何より愛しい。
「ふむ。愛される度合いが低ければ暴走される可能性も低く、万が一暴走する様な事になってもクリストフの精霊に抑えて貰えると。では、クリストフはどう思う。」
祖父の眼孔は鋭いままだ。
「正直な所、なってみないとわからない、と思っています。前例がなさすぎる。」
俺だって考えた。悩んで悩んで、それでもキャシーを諦められなくて出した結論だ。
「それに、スザンナ様の例もあります。」
キャシーの曾祖母であるスザンナ様は、成人してから大精霊と契約し、女だてらに当主となった。
そうなった経緯には我が家も関係しているらしいが、詳しい事までは知らない。
ただ、成人してから大精霊と契約した前例がこんなにも身近にあるのなら、希望を持ってしまってもしかたない、と思う。
大精霊なら、暴走した精霊達もきっと抑えられるだろう。
「なるほど。」
祖父はそう呟くと、冷めてしまった紅茶に口を付け、居住まいを正した。
「だが、駄目だ。」
「なっ」
駄目なんて台詞が出ると思わなかった。
当主間で話し合いは終わっている筈だ。今日までに決裂した様な、そんな話は聞いていない。
「今は、だが。」
もったいぶった様に言う祖父を思わず睨みつけてしまう。
「今は、とはどういう意味ですか?」
キャシーがする質問に同調し、祖父からの説明を待つ。
「その話は彼の方にお願いした方が良い様じゃ。」
それまでずっと黙って問答を聞いていた曾祖父が声を出す。
「元始の大精霊様。いらっしゃいますかな?」
呼び掛けに応える様に、曾祖父のすぐ隣で空間が歪む。
そのお方が現れるまでは一瞬だった。歪んだ空間から白や黒、蒼や黄、赤や緑と様々な色がマーブル柄の様に混ざり合った様な光が漏れ、あっという間に掻き消えたと思ったら人型を取る神々しい人物が現れた。
これが、元始の大精霊…
足元にまで及ぶ美しい白髪は、光り輝く様にも見える。透き通る肌に切れ長の目、紫や緑、濃い青にも見える瞳は神秘的で、思わず目を奪われるのに、強制的に受ける畏怖の感情に長く見つめる事は出来ない。
俺の語彙力ではこの人智を越えた美しさを表現出来ない事に歯がゆく感じる。ただただ、美しいこのお方を前に固まっている事しか出来なかった。
皆も一様に目を見開き、驚愕に固まっている。
はじめに動いたのは祖父だった。
「元始の大精霊様、ご顕現いただきました事、至極に光栄な奇跡に心より感謝申し上げます。」
跪きながら口上を述べる父上に続いて、周りもはっとした様に動き出す。
全員が跪いた頃、彼の方の荘厳なる美声が頭の中に響いた。
『よい。座れ。今から長い話を聞いてもらわねばならんからなぁ。このままでは疲れるじゃろ。』
念話による語りかけは、日々精霊と話す為によく使う。慣れ親しんだ響きは俺の守護精霊達のものより柔らかく、人格が滲み出ている様に感じた。
「始祖様、お久しぶりですわね。」
微笑みながらスザンナ様が語りかける。
『おぉ、スージー。相も変わらず美しいのぉ。水のは元気にしておるか?』
「顕在させても?」
スザンナ様に微笑みながら許可を出した彼の方は皆をゆっくりと見渡す。
『スージーとちごうて直接合間見えるのは初めてじゃが、皆の事も気まぐれに覗かせてもらっておる。精霊達にも聞かせねばならんから、呼んでくれるかのぉ?』
2家一斉に精霊を呼び出し、歓談室は満員状態だ。
俺も相棒達を呼び出した。
『ふむ。しっかりと育ててもらってる様じゃのぉ。』
切れ長の目を細め、優しげに孫を見る様な好々爺然とした雰囲気に変わった彼の方に、俺はフッと息を吐く。想定外の緊張に身体が強張っていた様だ。
『ほれ。皆もクリスの様に肩の力を抜くのじゃ。そんなに気張っていては今からの長丁場に耐えられんぞ?』
唐突に名前を呼ばれ、冷や汗が垂れたが、苦笑いでごまかす。
どんな話が待っているのか、一言一句逃す事は出来ない。その為ならば万全の体制で望ませていただこう。なにせ、キャシーと俺の婚約から始まった話なのだから。