二・きつねの少年
二・きつねの少年
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翌日、窓の外を見ると、雲一つない青空です。
ここの空は広くて好きだな、と鮎子は思いました。
鮎子が起きだした頃にはすでに、みんな働きに出ていました。お母さんは部屋の掃除をしていましたが、鮎子が起きてきたので、朝ご飯を出してくれました。
食事を済ませると、鮎子のお仕事の時間です。
白い長袖のカットソーに、濃いベージュのジャンパースカートを着ました。
タータンチェック柄が鮎子のお気に入りです。
髪は高い位置で一つに結んでポニーテールにし、前髪は丁寧にブラシで前に垂らしてもらいました。
おでこが隠れ、黒い大きな目が目立ちます。
「はい。完了。今日も可愛く仕上がりましたよ、お嬢さん」
お母さんが満足そうに鮎子の背中を軽く叩きます。
「ありがと! 探検いってくるねー」
「ちゃんと防犯ブザーは持ったの?」
「持ったよ、大丈夫」
「あまり遠くには行かないでよ。知らない人には絶対付いていかないこと!」
「分かってるってば」
アパートを出て、鮎子は昨日通った田んぼを目指します。道を覚えるのは得意なのです。
もっと小さかった頃に一度迷子になったけれど、それ以降はちゃんと家に帰ることが出来ています。鮎子は記憶を呼び起こしながら、道を進みました。
ここの信号を右に曲がって、そうしたらお米屋さんの看板があったから……
独り言を言いながら、迷うことなく歩いていくと、昨日見た稲穂の風景が現れました。
青空の下に黄金色の世界が広がります。
コンバインがまっすぐ進み、どんどん稲を刈り収穫していきます。コンバインが通ったあとは、見事に刈り上げられていて、まるでお父さんの頭のようだと思いました。
田んぼの傍らでは、麦わら帽子をかぶった人たちが、せっせと働いているのが見えます。
そんな光景を眺めながら周りをうろうろしていると、赤い鳥居が何本か立っているのが見えてきました。
まるで鮎子に「こっちにおいで」と言っているように感じたので、誘われるまま鳥居をくぐると、参道の両脇には屋台の骨組みが並んでいます。
あ、ここがお祭りの場所か、と鮎子は気づきました。
明日のお祭りでは、ここにたくさんの食べ物や遊びものが並ぶのだと思うと、気分が高まります。
参道を進むと、神社の拝殿が見えました。
両脇には狐の像が、拝殿の後ろに鎮座する本殿を守るように立っています。
狐が居る「稲荷神社」って多いな、と鮎子は思いました。
鮎子が住む東京でも、あちこちに狐の居る神社があります。家と家の隙間にこっそり建っている祠のような場所にも、狐が居るのを見たことがありました。
それに比べると、参道に屋台が並ぶことが出来る、この神社は立派です。
鮎子は狐の像をまじまじと眺めました。シッポを上に向け、稲穂をくわえている姿は、なかなか凜々しく勇ましいです。
神社によく居る狛犬は空想の生き物だけれど、狐は実際に居る生き物。
動物が好きなので、つい目に止まってしまうのです。そして、鮎子の家では初詣には稲荷神社に参拝するので、狐は馴染みのある存在なのでした。
明日のお祭りは、狐のお祭りなんだなと思っていると、
「見かけない顔だね。どこから来たの?」
と、後ろから声を掛けられました。振り返った鮎子は、一瞬息が止まるかと思いました。
そこに立っていたのは、狐のお面をかぶった少年。
背は鮎子よりも少し高く、スリムな体つきです。髪はまるで稲穂のような黄金色。
白い狐のお面をかぶっていますが、洋服は子どもたちが着るような、ごく普通のカーキー色のパーカーにジーンズです。
「えっと……東京から来たんだけど……なんでお面をかぶっているの?」
「これ? これはボクの顔だよ。ねえ、名前は?」
「鮎子。八神鮎子──それはお面だよね。顔じゃないでしょ」
「そう言われても。これがボクだから。鮎子は引っ越してきたの?」
ちょっと変わった子なのだろうと思うことにして、鮎子は会話を続けます。
「ううん。お父さんがこっちで仕事をしてるの。だから遊びに来ただけよ」
ちょっと澄まして答えると、「仕事?」と少年が聞き返しました。
「そう。ほら、今度この町に大きなスーパーが出来るでしょう。あれを建ててるの」
「ああ、あれね」
少年は少し気のない返事をしました。
大きなスーパーが出来れば便利になるのに、どうしてもっと喜ばないのだろう。
「スーパーが出来るの、楽しみじゃないの? おもちゃ売り場だって出来るはずだよ」
「そうだね。まあ、それが時代だよね」
鮎子には意味が分かりません。
関わり合うのはやめたほうがいいかもしれないと思うのですが、この少年の声は澄んでいて良く通り、聞いていて心地よいのです。
「あなたの名前は?」
「んー。シンシってことにするかな」
「シンシくん」
「そう。それでよろしく、鮎子」