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01 最初の一歩

 瞬きしたら全裸で森の中にいた。俺は選ばれた!

 内臓が全て躍り上がるような縮み上がるような、天井知らずの喜びと後戻りできない不安感が入り混じった変な気分だ。


「1、2、3、4、5、6、7……」


 サバイバルで最も重要なのは冷静さだ。どれだけ身構えていても混乱状態になるのは分かっていた。異世界に放り出されても冷静でいられると確信するほど、俺は俺を高く評価していない。だから異世界に来たらすぐに百まで数字を数え気持ちを落ち着かせると決めていた。


「……98……99……100」


 数え終わった。

 良かった。全身が心臓になったような脈拍の急上昇はおさまっている。

 OK、OK、まずは状況の確認だ。


 今、俺は森の中にいる。木が生えていて……地球で見かけるような木とパッと見では見分けがつかない、普通の木が生えていて、足元には落ち葉と枯れ枝。低く垂れ下がった枝と葉が目の前にせり出していて、その上に一匹の茶色い芋虫が確認できる。

 樹冠に隠れていてはっきりとは分からないが、木漏れ日から察するにたぶん太陽は一つ。今は……朝だろうか?

 空気には湿気があって、全裸だとかなり寒い。数を数えている時も一度クシャミが出た。

 木々が風にざわめく音の合間に姿の見えない鳥のさえずりが聞こえる。臭いは……森の匂いと土の匂いが入り混じった感じだ。


 ほとんど地球と変わらない環境だったが、一つだけ明らかに奇妙な物があった。

 木の中にガラスのような半透明の葉をつけた物が混ざっているのだ。

 枝を拾い、絶対に触らないようにのけぞりながらそっとつついてみる。硬質な音と感触がした。ガラスというよりはプラスチックに近い感じだ。爆発しなくて良かった。

 少し近づいて見てみると、白っぽい葉脈も走っていて、半透明プラスチックで再現した葉っぱ、といった印象だ。

 何かの病気だろうか? それとも元々こういう葉っぱをつける木なのか?

 分からない。


 だが、とりあえず噛みついてきたり近づいただけで全身から血が噴き出したりするような劇物ではないようなので無視する事にする。

 奇妙な異世界の葉っぱの検証は後回しだ。もっと重要な事がある。


 サバイバルの最重要課題は三つ。

 つまり「住居」「水」「食料」。住居が最優先で、食料は優先度が一番低い。


 人は呼吸できないと三分で死ぬ。

 水が無いと三日で死ぬ。

 食料が無いと三週間で死ぬ。


 有名な3・3・3の法則だ。

 呼吸はできているから空気の確保は完了している。

 次に水が欲しいところだが、その前に住居だ。3・3・3の法則には入っていないが、火でも水でもなく、住居こそが最優先だ。


 風や直射日光、雨は体力を急激に奪う。体力を奪われるという事はカロリーを奪われるという事で、カロリーが無くなると人は死ぬ。

 今俺は全裸で住居もなく、風雨への耐性が全くない。

 もし雨が降ったらびしょ濡れで成すすべもなく体温が下がり、体温を上げるためにガタガタ震え、やがて疲れ切り、震えすら止まり、体の芯まで冷え切って、死ぬ。水と食料がたんまりあっても無防備に雨に打たれれば人は死ぬのだ。

 せめて服があれば住居を後回しにして水を探すのも一つの手だったが、全裸だから仕方がない。

 水を探し回り、雨の気配がしてから慌てて住居づくりを始めても遅い。住居作りには何時間もかかる。


 住居作りには立地が重要だ。

 斜面や水際は良くない。平らで近くに水場がある場所がベストだ。

 斜面に住居を作ると、単純に寝心地が悪い。寝心地は重要だ。寝心地が悪くてなかなか寝付けなかったり、夜中に何度も目覚めたり、起きた時に全身が痛かったりすると、翌日発揮できるポテンシャルに大きくマイナスがかかる。毎日「寝不足」の状態異常を受けるのは嫌だ。

 川辺や海辺に住居を作ると、雨で水位が上がった時に水没する危険がある。水浸しの住居では暮らせない。当然、水際に住居を作るのはダメだ。しかし近くに水場があればそれだけ毎日の水の入手が楽になるので、水が近くにありつつ水際ではない、ぐらいのポジションが理想だ。

 場所の選定をしっかりするだけで毎日寝起きする住居をグレードアップできるならもちろんそうする。貴重なサバイバル初日の数時間をかけるだけの価値はある。


 さて、では動こう。記念すべき異世界の第一歩だ。


「これは人類にとっては小さな一歩だがイッテ!」


 気取って歩き出した直後に俺は止まった。目を閉じ、舌打ちする。

 そうだ。俺は今、全裸で、素足だ。枯れ木と枯れ葉が積もった森の中を歩けば当然足の裏が痛い。何か尖った物を踏んだら一発で怪我をする。


 あ、歩きたくねぇえええええ!

 痛いし怪我も嫌だ。抗生物質を飲んではいるが、傷口から菌が入ったらどうする? 消毒液も薬もない。

 歩いて尖った枝を踏んで怪我をして、傷口が化膿して腫れて膨らんで腐り落ちる……なんて可能性もある。

 靴が欲しい。切実に靴が欲しい。パンツより靴が欲しい。全裸に靴だけの変態マンになっていいから靴が欲しい!


 しかし祈っても靴は降ってこない。たぶん。異世界だし靴が降ってきてもおかしくないがたぶん降って来ない。

 諦めて歩くしかない。

 素足で歩くリスクは必要経費だ。怪我を恐れていては何もできなくなる。


 何か尖った物を踏みはしないかとびくびく怯えながら歩きはじめたが、数分で慣れた。靴下と靴の厳重な保護を受けてきた柔らかい足の裏の皮膚はあっと言う間に汚れと小さなすり傷だらけになったが、血が出るほどの怪我は案外しない。ほとんど幼稚園以来の素足で土を踏む感覚にも馴染んだ。人は慣れる生き物なのだ。


 初期地点は傾斜があったので住居作成に適していない。なので、傾斜を下る方向に歩いていく。

 この世界にも重力はある。重力があるなら、水は低い場所に溜まる。高い場所より低い場所の方が水が見つかる可能性は高い。


 しばらく歩いていると不安に襲われる。

 やはり水探しを最優先にした方が良いのでは?

 立地に拘りすぎか? 少しぐらい傾斜があってもさっさと住居作りにとりかかった方が良い?

 丸一日歩いても平地が見つからなかったらどうする?


 全裸で森を歩いているだけ、というのは途轍もなく不安だった。

 何か道標が欲しい。確信が欲しい。こちらに行きなさい、あと何分で目的地です、というガイドが欲しい。

 自分の判断が本当に正しいのか不安になる。

 大丈夫だ。これで正しい。正しいはずだ。方針を変える必要はない。不安に負けてコロコロ方針を変えていたら出来るモノも出来なくなる。

 自分に何度言い聞かせても不安なものは不安で、せめて何か前進しているという実感を得るため、俺は歩きながら周囲をよく観察した。


 まず、太陽は少しずつ上へ上っていった。体感だが恐らく一日の長さは地球と同じぐらいだろう。分かりやすくて助かる。

 太陽が昇るにつれて森の気温も上がり、肌を擦って少しでも暖を取りながら歩く必要もなくなった。一安心だ。しかし日が沈めば早朝より更に酷い冷え込みに襲われるだろう。住居を確保して、簡単でいいから暖房道具を用意して夜を迎えられれば初日の動きとしては理想だ。


 次に、動物を見かけた。

 角が水晶のようになっている鹿っぽい生き物、尻尾に青白い火を灯した猿。丸いビー玉のような物をぶら下げて集団で空を飛んでいく綿毛のようなモノ。色々いる。背中に結晶を背負ったカエルと、枯れ枝にくっついた水晶の貝殻(カタツムリの一種か?)は何度か見かけた。全体的にガラスというか水晶というか、そういうモノを特徴にした生き物が多い。異世界の生態系の特徴なのだろう。


 どれもこちらに興味を示さず、襲って来なかった。どんな生き物か気になるところだが、何よりも怖かった。何か生き物を見つけるたびに襲ってくるな襲ってくるな襲ってくるな襲ってくるな、しか考えられなくなる。ひたすら怖い。神秘的な異世界の生き物に感動するどころではない。

 腹が減ってくれば、ああいう正体不明の生き物を食べたいと思うようになったりするのだろうか。いずれは危険かどうか、食べられるかどうかチェックしていく必要があるが、もし触って毒に侵されたり噛みつかれたりしたら苦しみながら住居を作るハメになるので、捕獲や観察は後回しにする。

 ああ、食べられる安全な生き物のリストが欲しい。切実に欲しい。あのカエルなんて食べてみたら美味しくて無害かもしれない。もしかしたら、今簡単に手に入る食料をみすみす逃しているのかも。しかし毒を持っている可能性を考えると……くそっ!

 ちょっとネットで検索すれば大体なんでも分かった現代日本は偉大だ。


 焦燥を抑え込みながら歩く事数時間、俺は水音を聞いた。

 最初は風の音の聞き間違いかと思ったが(水音を期待するあまり、十分に一回は聞き間違えていた)、歩くと音が大きくなっていき、幻聴ではないと分かった。

 音を聞いて不安も足の痛みも吹き飛んだ。小走りになり、俺はついに沢を見つけた。幅は片腕を伸ばしたぐらいの長さで、水深は指一本分。水は綺麗に澄んでいて、美しい水音を立てて流れていた。緩やかに曲がりながら森の奥の方へ伸び、消えている。


「ぃよしッ!」


 俺は四つん這いになって迷わず沢に口をつけ、お腹いっぱいに水を飲んだ。

 生水は危険だが、地面に溜まった淀んだ水よりは流れのある沢の水の方が遥かに安全だし、煮沸して水を飲もうと思っても火も容器もない。

 腹を下すより、脱水症状になる方がヤバい。

 成人男性は一日2リットルの水が必要だ。水が不足すれば思考は鈍り、体は重くなり、頭痛やめまいに襲われ、最後には意識を失って死ぬ。

 水に当たって酷い下痢を起こしても死ぬが、リスクを負わずにサバイバルをするなど不可能なのだから仕方がない。


 あわよくば水が手に入らないかと思ってゆるやかな傾斜を下っていたのは確かだが、住居より先に水が手に入るとは思わなかった。

 しかし数時間歩いて水平な土地が見つからなかったという事は、このあたりはずっと傾斜地なのかも知れない。沢の上流や下流を見てみてもゆるい傾斜が続いている。

 延々と歩き続けるよりも、傾斜地で妥協してしまった方が良さそうだ。もう歩き疲れたし、場所の選定に時間をかけすぎて夜までに住居が完成しなかったら悲惨すぎる。


 靴を履いて歩きやすい舗装道路を三時間歩く事すらなかったというのに、素足で、歩きにくい森の道なき道を、三時間も四時間も歩くのはキツ過ぎた。沢べりの平らな石の上に座り、熱を持った足を冷たい水につけて大の字に寝転んで休む。たまらなく気持ちいい。

 今日はもう一歩も歩きたくない。サバイバル開始数時間で最高に近い水場を発見できたのだからもう残りの作業は明日で良いや、という気分になってくる。


 しかしそれはダメだ。休息無しで余裕もなく行動し続けると体力と気力の低下を招き死にやすくなるが、怠けても死亡率は上がる。

 せめて外敵に襲われない安全な住居と、十分な水・食料を確保するまで怠けるなど論外だ。一体何十日、何百日先の事になるかは分からないが。もしかしたら2000日経ってもその日を生き延びるだけで精一杯かも知れない。何しろ異世界だ。突然ドラゴンが襲撃してきて住居を焼き払われても何もおかしくない。

 休憩は三十分程度にしておく。その後、住居作りだ。

サバイバルにあるまじき簡単さで優良な水場を見つけていますが、仕様です。

10000人のチャレンジャーのうち、水場が見つからない運の悪い初期配置の奴は死にます。

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