00 録音記録
「異世界に行く前に音声記録を残しておこうと思う。
その日、地球人全員の頭に声が聞こえた。
「不老不死を欲する者は24時間後に願え。願った者は異世界へ行き、2000日間生き延びろ。生き延びた者に不老不死を与える。異世界は一万人までを許容する」
そりゃもうとんでもない大騒ぎになった。
内容ももちろんだし、人間全員が聞いた、というのも騒ぎの原因になった。
これは神の声だとか悪魔の誘惑だとか、政府の陰謀だとか集団幻覚だとか新時代だとか審判の日がついに来たとか。いわゆる解釈違い、見解の相違というヤツだ。
あちこちで暴動と混乱が巻き起こり、三時間で数十万人が死んだと言われている。「声が聞こえた」というそれだけの理由で。
まあそのあたりはどうでもいい。
謎の声が一万人をどう選ぶのか知らないが、俺は異世界行きを希望する事にした。
不老不死はもちろん欲しい。異世界にも行ってみたい。友人もいないし家族もいない、つまり地球に未練はない。
大学を卒業してなんとか就職したものの、たった一人で奨学金の返済を背負って神経をすり減らしストレスと未来への不安に苦しみながら好きでもない仕事をヨボヨボになるまで続ける人生にうんざりしていたところだ。
異世界に行って生き延びられればバンザイ。死ぬとしても希望を胸に束の間の劇的生活を送れる。悪くない。
異世界行きを決めてから、俺はすぐに準備に入った。
「生き延びろ」がまずどういう状況を指しているのか分からないので、最悪を想定する。
異世界の戦争に放り込まれる……これはもうどうしようもない。24時間で体は鍛えられないし武術も習得できない、なりゆきに身を任せるしかない。
そのままの意味でサバイバルを要求されている……これなら対処可能だ。付け焼刃でもいい、サバイバル術を学べばいい。
一応ネットでサバイバル術を検索してみたが、案の定それ系のサイトは全てサーバー落ちで閲覧不可能になっていた。
そりゃそうだ。皆考える事は同じだ。
次に本屋に行ったがサバイバル関連本は残り三冊しかなかった。アウトドアコーナーの棚はごっそり空白になっていた。
三冊の本を握りしめ図書館に行けば、案の定全て貸し出し済みになっていた。行動が早い奴は本当に早い。
俺は出遅れた方だったが、数冊の本を読んでサバイバル知識を補強した。高校の頃、サバイバルゲームにドハマりして身に着けた知識が元々あるから、まあ一般人平均よりはマシな水準になれただろう。
三冊の本はどれも薄く、読み終わるまでに五時間もかからなかった。
俺は運命の「24時間後」まで本を読み返すより、最悪に備える事を重視した。
異世界にどの程度の装備を持っていけるか分からない。最悪、身一つで行く事になる。
だから今の内にたっぷり食べ、飲み、寝ておく。異世界ではいつ飲み食いして眠れるか分からない。
さて、そうして運命の「24時間後」の三十分前に起きて、服を着こみカバンに食料と水を入れて背負いナイフを腰にぶら下げて、ふと思い立ってパソコンに音声を記録しているわけだが、そろそろ抗生物質を飲もうと思う。
今飲んでおけば、異世界に行って一日か二日ぐらいは病原菌に耐性を持てるだろう。異世界の病原菌に抗生物質が効くか分からないが。
……よし、飲んだ。これで準備は全て終わった。
あー、変な気分だ。どうせ一万人の中に選ばれないという諦めがあるし、不安も緊張もある。体がそわそわして気が高ぶってどうしようもない。
正直、さっきからずっとこうやって喋っているのも気分を落ち着かせるためだ。まあ、何もしないよりはいいだろう。
「24時間後」まであと一分だ。時計の進みが遅い気がする。一分後に何も起きなければこの録音は全部ムダになって、またどうしようもない日常に戻る。
いや、時間が過ぎても一応一時間……一日ぐらいは待ってみるか? 未練がましいか? わからない。
ふーっ……
…………。
あと十秒だ。録音を終える。幸運を祈る」