アリシアさんの死
アリシアさんが死んだ。
生きていた時のそのまま、眠っているような死体を見つめて、ぼくは呆然と立ち尽くしていた。
明日には火葬にしなくてはいけない。そう言われたのだ。
アリシアさんを燃やす?
アリシアさんが、この世から消えてなくなる。
もう、アリシアさんは死んでしまって、とっくの昔にこの世からは消えてしまっている。
それでも、アリシアさんの体を燃やすことが、ぼくにはとても耐えられそうになかった。
全身が抗いがたい、形容できない感情に包まれて、ぼくは思わずうずくまってしまった。
アリシアさんを殺したのは誰だ。お前たちじゃないのか。
ぼくの全身が怒りと憎しみに沸騰し、完全魔法を使ってでも、何もかも滅ぼしてやりたくなった。
『万物の死』を叩き込んでやりたい。
そこまで考えたところで、アリシアさんの安らかな死に顔を見て、こんなぼくを、アリシアさんが生きていたらどう言うだろうと想像してしまった。
きっと、「だめですよ」と言うだろう。
「いけませんよ」と言って止めるだろう。
アリシアさんの望みはそんなところにはない。
世界中の王と『世界平和条約』を結ぶことが、アリシアさんの夢だったのだ。
優しかったアリシアさん。今はもう、どこにもいない―――
一生、その声も聞けない―――
ぼくはどうしようもない感情の濁流に飲み込まれ、胸をかきむしり、あたり一面に響く大声で、吠えた――――――
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!」
目が覚めると、宿屋の一室にいた。
あまりにも生々しく、現実としか思えない夢で、ぼくは体中にびっしょりと汗をかいてしまっていた。
ここは、カドセルム王都の宿屋―――『滅びしもの』の『万物の死』によって消滅しまったアリシアさんの祖国、グリオールと敵対していた国だ。
アリシアさんは、この国と『世界平和条約』を結ぶために来た。もう二度と、魔法戦争で『滅びしもの』を蘇らせてしまわないために―――
それなのに―――
アリシアさんが死ぬ?
アリシアさんが??
ぼくは自分のほっぺを両手で叩いて、嫌なイメージを追い出そうとした。
そんなはずはない。アリシアさんが、死んでしまうなんて考えられない―――
けれども、あまりにもリアルすぎる夢の衝撃に、心を立て直せないでいると、個室のドアが乱暴に開かれた。シェーダさんだった。
「起きてるのか? やけに大声で叫んでたじゃないか。なにがあったんだ?」
「あ……うん……ちょっと……嫌な夢を……」
そこまで言った時、稲妻のように気づかされた。
前にもこんなことがあった。
あまりにもリアルすぎて、現実としか思えない『ある少女』の夢を見たとき、それがシェーダさんの幼少時代の『本当の』思い出だったということが―――ぼくの魔力の強さが、高い感度で何かと繋がっているのだ。
ぼくは全身から血の気が引いた。
未来のことを見てしまった?
アリシアさんが死ぬところを―――?
この夢は本当になる―――?
ぼくは思いっきり、両手で自分の頭を殴った。少しでも嫌なイメージを振り払おうとした。3回くらい自分の頭を殴ったところで、シェーダさんがそれを止めた。
「お前……どうしたっていうんだ? なんかおかしいぞ。食堂でアリシアが待っている。さっさと朝飯に行くぞ」
アリシアさんが待っている―――
その言葉に、いても立ってもいられなくなり、早く本当のアリシアさんの顔が見たくなった。
ぼくがシェーダさんと一緒に宿屋の食堂に行くと―――そこは狭くて、人でごった返していたけど、端っこのテーブルに、いつもと変わらないアリシアさんの姿があった。
ぼくたちの分の朝食を用意してくれていたアリシアさんは、ぼくたちに気づくと、優しくいつも通りの笑顔を向けてくれた。何もかも安心できる、いつも通りの、花のように柔らかな笑顔だった。
「緒音人さん、おはようございます。なかなか起きてこないから、シェーダさんと心配していたんですよ」
「あ、はい……うん……ごめんなさい……」
「こいつ、何なのか知らんが、めちゃくちゃひとりで叫んでいたぞ。おかしくなったんじゃないかと思ったくらいだ」
シェーダさんの言葉に、またぼくは思考が止まってしまった。アリシアさんは可愛らしい顔を曇らせてぼくを見た。
「……また、なにかにうなされていたんですか?」
ぼくは返事をすることができなかった。アリシアさんが死ぬ。そんなこと、一瞬だって考えたくない。何も返事をせずにうつむいていると、アリシアさんが続けた。
「緒音人さん、苦しいことがあるなら、なんでも、わたしたちに打ち明けてください……」
アリシアさんの優しさがどこまでも身に沁みたけど、これだけはどうしても言えそうになかった。ぼくはうつむきながら、
「すいません……嫌な夢を見たので……」
とぼそぼそと釈明するのが精一杯だった。アリシアさんは優しく微笑んだ。
「おいしいものを食べて、元気を出しましょう」
そう言って、アリシアさんはぼくを食卓に誘ってくれた。
宿屋の食堂は簡素なバイキング形式になっていて、好きな料理を取ることができるみたいだった。
アリシアさんがすでに盛り付けてくれていたプレートは、とてもきれいにバランスよく整っていて、アリシアさんの性格が出ているな、と思った。
3人で食卓を囲みながら、なんでもない世間話をしたのだけど、アリシアさんの笑顔はやわらかで優しくて、いつのまにか、夢のことを忘れられそうだった。
アリシアさんが死ぬはずがない! そんなこと、ありえるはずがないんだ。
しばらくして食事が終わり、みんな寝巻きのままだったので、それぞれ部屋に帰って着替えようということになった。
立ち上がろうとしたとき、シェーダさんがぼそりとつぶやいた。
「……なんか、いいな……」
「え?」
ぼくは聞き返そうとしたが、シェーダさんは何も言わず、ぼくたちに顔も向けず、無言で自分の部屋の方向に帰ってしまった。
シェーダさんの姿が見えなくなったとき、アリシアさんがつぶやいた。
「シェーダさん、きっとこうして、みんなで団らんの時間を過ごしたりすること、なかったと思いますよ……」
ぼくは静かにうなずいた。アリシアさんが続けた。
「なによりも早く、シェーダさんの心が、平和になってくれるといいですね……」
アリシアさんは柔らかく優しく微笑んだ。ぼくは、その笑顔がとても愛おしいと思った。
アリシアさんは、シェーダさんのことさえも、自分のことのように心の平穏を願っている。時間をかけても、シェーダさんが、本当の優しい気持ちを取り戻してくれたらいいと、ぼくも心底そう思った。
「さあさあ、早くわたしたちも着替えに行きましょう」
アリシアさんの笑顔に誘われて、ぼくも自分の部屋にまた戻った。
着替えようとしてベッドに腰掛けたら、体の奥底から、深い深い鈍痛が襲ってきた。
あのとき、『滅びしもの』と戦うために完全魔法を連発した後から、必ず定期的に襲ってくる痛みだった。
鈍い痛みに、一瞬、鋭い刃のような痛みが混じり、ぼくは気を失ってしまった。
眼の前には、アリシアさんの死体があった。
しゃがみこんで世の中のすべてを拒否するぼくの前に、美しい女性がいた。見たこともない女性だった。
彼女はぼくに話しかけた。
「あの女も死ぬな」
ぼくは驚いて声を返した。
「シェーダさんのことですか?」
女性はうなずいた。
「そうだ……。長くは生きない。お前もわかるだろう? 何も頼るものがなかったあの女が―――自分の力しか頼るもののなかった女が、『完全魔法』という究極の力を目にしてしまった。あの女は『完全魔法』に魅入られている。いずれ、ばらばらの肉片になって死ぬだろう」
深い戦慄に、ぼくの背筋が凍りついた。女性は続けた。
「『お前も』―――お前も大して長生きしないが、あの女はそれ以上だな」
次から次に襲い来る絶望に、ぼくは心を塞ぎたくなった。眼の前の女性に叫びたくなった。あなたは誰だ!! なんでそんなことばかり言うんだ―――
ぼくも―――シェーダさんも―――アリシアさんまで―――死ぬなんて………
ぼくはまた絶叫した。この世のすべてが壊れるんじゃないかと思うくらい、叫び続けた。




