9.桜が誘う面影
今回はかなりの難産でした。
書いては消し、消してはまた同じ文章を書いてみたり。
ぶっちゃけてしまうと、このシーンは第一稿のまま第二稿でも殆ど直しを入れていない箇所でして。
なので今回は大幅に加筆をする必要がありました。横着した結果がコレだよ。orz
夢で見たシーンはここで出てきます。読んでいただいた方はすぐお解かりいただけたと思います。
そしてもう一つ。後2回で終わると言ったな。アレは嘘だ。
すいませんちょっとそこで死んできます。
暗い夜道を自転車を押して歩きながら、それでも行方の知れない友人達が心配で、何度も彼らが向かったという学校の裏山を見上げる。
闇の中に禍々しく沈む山……。好奇心溢れる子供たちや、迷信を信じない大人でさえ足を向けるのを嫌う場所。山から吹き降ろす風は夏でも何故かひやりと冷たい。
迷いながらも清藍は大学の近くまで来てしまっていた。
小さい丘のような場所に立てられた大学は、市街地から東に外れており、周囲には美術館と小さなショッピングモールがある他は目立った施設はない。
古くからある大学近辺に、ショッピングモールと美術館が出来る期待感から周辺は住宅地用に整備されたが、思惑は外れてしまったようで、その辺りにはまばらに家が立つばかりだ。
そのまばらさが、夜の暗さと相俟って、まるで廃村のような雰囲気にしている。等間隔で存在する街灯ですら、ぼんやりとその輪郭を崩しまるで鬼火のようだ。
大学へ至る坂を、自転車を押しながらゆっくりと登る。
今更ながらに後悔が清藍の心の中を支配しつつあった。
市街地では感じ得ない静けさ。住宅地の減少に比例して増えていく緑の木々。初夏特有の水分を多く含んだねっとりとした風さえが、彼女の恐怖をかきたてる様だ。
二人がただの見回りに行ったのではない事は、彼女にも判っていた。見回りならばいくら月明かりで明るいとはいえ、夜の夜中に行く必要はない。昼間行った方がよく観察することが出来る筈だ。
そこはかつてから幽霊が出るとか、人が消えるとか、異界に続いているとか、UFOが出るとか都市伝説的な噂に事欠かない場所であった。
実際、その場所で何人かが行方不明になっている。だから戸上の人間として二人がそこに行くのは何らおかしい事ではない。時間帯が夜であるのも、心霊現象が原因であるなら頷ける。
戸上の家人たちの「裏の仕事」がどんなものか清藍も知っていた。かつては彼女もその私塾に通い力の制御を学んだ。
その私塾の中で、彼らはその実力を発揮し、次代を嘱望されている事も思い出した。
自分が戸上の家とは疎遠になっている状況を考えれば、残念ながら、自分には彼らと並ぶことが出来る程の才能はなかった様だが。
だから、今日のような事は彼らにとってはいつもの事で、心配などする必要すらないことなのかも知れない。
きっと、心配する事などないのだ。「戸上のお婆ちゃん」に認められた術者ならば、きっと明日には何にもなかった顔で会えるに違いない。
そう言い聞かせるのに。
その場所は彼女にとっても最も忌むべき場所だからだろうか。
清藍は立ち止まり未だ激しい鼓動を続ける胸を抑えながら、彼らが向かったという大学の裏山を見上げだ。
お山は先ほどより大きく、禍々しく感じた。目の前には、砂利が敷き詰められた小道が見える。
最愛の姉が逝った場所……。その時既に両親はなく、たった一人きりの家族を奪い去った場所。
水上の血は確実に清藍にも流れている様で、この世のものではないモノが見えたり感じたりすることはあった。だからその場所が尋常ならざる気配に包まれている事も判る。
姉との血の繋がりを感じるのは、こんな時だけなのかと少し悲しくなった。
両親の顔はおろか、姉の顔ですら曖昧になってしまっている。思い出されるのは声ばかり。優しく通るその声で姉はよく歌っていたように思う。
しかし素質があろうとなかろうと、彼女の受けた訓練は自らの力を制御するだけの基本的なもので、彼らのように専門に訓練されたものではない。
二人の後を追って行ったとして、自分に何ができるだろう。
それでも……。もし自分が大切なものを失い続ける運命なのだとしたら、少なくとも失うその瞬間には傍にいたいと思う。
彼女の長い髪を撫でてさわりと風が渡る。生ぬるい風は彼女の体力を少しずつ奪っていくようだ。じりじりと時が流れ、立ち尽くすことに体が疲れ、節々に痛みを感じる様になっても、彼女は歩き出すことができなかった。
後を追いたい気持ちと、山を恐れる気持ちが清藍の中で激しく戦っていた。
自分の体を抱くように左手でゆっくりと右腕を上下に撫で擦った。震えと緊張で手の感覚は失せ掛け、ひりひりとした痺れだけを感じようになっている。
常に自分に課して来た制御を解き、清藍は目に力を込める。
今まで見ていた景色に、ぼんやりと別の景色が重なって見える。水の中にいるような緩やかで、けれどしっかりとした質感を伝えてくる何かに山が被われているのが見える。
彼女が立つその位置は、ちょうどその被いの境目だった。
ふたたび、さわりと風が渡る。その音の中に清藍は再びあの声を聞いた。それは歌だ。繰り返し繰り返し聞いた子守唄の一説--。
慌てて周囲を見回す。声のした方と思われる方向を目で探った。と、ぼんやりと白い影が視線の先の角をゆっくりと曲がって消えた。
その間、まるで幻でも見ているかのように彼女は動くことができなかった。
幻だったのだろうか。いや、幻だろう。その影はもうこの世にはいない筈の人に、あまりにも似ていたのだから。
清藍はふらふらと夢遊病患者のような足取りで影の消えた先へ歩き出す。空気の重さも、体の節々の痛みすら忘れて。
入った途端に肌を指す冷気。まるで季節が一瞬にして変わってしまったかのような。薄着にストールしか身に着けていない体にその冷気は酷だった。
けれど今の清藍にはそんなことは頭の片隅にもない。切ないほどに懐かしいその姿を追い掛けること以外に彼女を支配するものはなかった。
その道は数メートル程で突き当たり左に曲がっていた、その先には公園の入り口が見えた。
想像以上に遅い自分の足と、緩やかに歩いているように見えるのに追い付けない姉の幻。
焦れば焦るほど体は思うように動いてくれず、言い表せないもどかしさだけが募る。
「姉さん!」
音のない世界で悲鳴のような自分の声だけが響いた。
藍良の後ろ姿は音もなく進み、緩やかに登りながら左へ……公園の中に消える。先ほどまでの逡巡が嘘のように清藍は公園へ駆け込んだ。
一面の白が彼女を迎えた。目もくらむ様な白--。
ふわりふわりと舞う白いものは雪か。
「嘘……」
かじかむ程の冷気が流れていようとも、昼には汗ばむ陽気だった筈だ。時期はとうに終わっている。
ゆっくりと奥へ歩む藍良の髪をふわりと風が揺らす。何度呼びかけても姉は振り返らず、変わらずゆっくりとした足取りで公園の奥へ向かっている。
公園の中は想像以上に広く、正面に目的地のお山が見えたが直接お山に登る道はなく、道は左右に続いている。その道々に転々と桜が植えられており、わずかな色の差はあれどそのどれもが白い雪の花をつけていた。
追いかけていた速度が落ち、小走りから歩みに変わる。人影を見失い、息苦しさに耐えることができなくなってきたからだ。
突き当たりに差し掛かり、白くわだかまる吐息を吐き出しながら左右を確認すると、右側には先ほどは気づかなかったが、古い鳥居のようなものがあった。
白一色で形成されている世界で、その鳥居だけが鮮やかな朱の色彩を放っている。
雪を含む風に誘われるように右に曲がる。
長い年月を思わせる、朱の色の褪せかけた鳥居をくぐった途端に再び世界は一変した。
先ほどまでは、道も木々も全てが白と黒の濃淡で構成された世界だったが、今は様々な色彩で溢れかえっている。ただしその色彩は淡くけぶる様であり、あまり現実味を感じない。
笑いさざめく子供の声が聞こえる。公園の中を行き交う人々の声。息遣いまでも感じられそうだ。……けれど、人の姿は見えない。
振っていた雪は桜の花びらに姿を変えていた。透き通るように白く、ほのかに紅をさす花びら。寒々しかった景色が、暖かい思い出の中の公園に姿を変えていた。
清藍は度重なる変化に戸惑い、何度も辺りを見回す。
しかし、こぼれる様に咲き誇る美しい花は間違いなく桜。
風に吹かれる度にはらはらと儚く舞い散る様はぼうっと光って見え、夜の闇の暗さと相俟って常世のようだ。
いつの間にか清藍は公園の中央に立ち尽くしていた。
公園の中の様子は桜が満開になっていること以外は現実と何ら変わらず、子供のための遊具とベンチがいくつかあり、あの影も他の誰かもいないようだ。
彼女はゆっくりと中を歩き回った。ここは姉とよく遊びにきた場所だった。姉がいなくなり、自分も年を重ねるうち、いつのまにか存在すら失念していた。
懐かしさに自然と目が細まる。
子供の頃はたくさんの友達がいた。無邪気に真っ黒になって遊んでいた。日が暮れても帰るのを忘れるくらい。
遅くなって帰ると、叱りながらも温かく迎えてくれる両親と姉……。
この公園は幸せだった頃の象徴のようだった。
両親が事故で亡くなり、戸上家の後見を受けるようになり、そのせいで姉は戸上を含め親族の家に出向く事が多くなった。しかし、家を空けがちにはなっても出来る限りそばにいてくれた。食事などの世話や時には遊びの相手にもなり。
不意に強い風が姉譲りの亜麻色の髪を揺らした。ざあっという木の枝の大きく揺れる音が近く聞こえる。また、子供達の笑い声が響いた。
一瞬長い髪に視界を遮られた彼女は、目の端に再び白い影を見たような気がして、慌てて髪をかきあげる。
変わらす桜の舞い散る広い公園。身を切るような寒さは失われ、春を思わせる温かい風がその空間を染めるようだ。
せいら……!と呼ばれたような気がした。彼女の周りを駆け回る、白く淡い光に包まれた人影は三つ。笑いさざめく声さえ本物なのか幻なのか判らない。
三つの人影は追いかけっこをするように公園の中央を右に左に駆け回った後、思い出したように公園の一角に走り去った。
その先には長い髪の女性がいた。変わらず清藍に背を向けている。
子供達は清藍にしたように、藍良と思われる人影の周囲をくるくると走り回りそれからブランコに駆け寄った。
ブランコに走り寄る三つの影は小さく、それを追うようにゆっくりと歩いて行くのは……。目にするのは姉と思われる影の後姿ばかり。それでもその人影が姉だと言う確信は薄れなかった。
「姉さん……!!」
あまりにも小さい声だったからだろうか。今の清藍と似た背格好、似た雰囲気の女性は振り返る事なく彼女から遠ざかる。
きっと振り返ることはないのだろうと諦めにも似た思いもあった。これは多分、過去の映像。その再現を見てるにすぎないと、不思議な確信があった。
最初にブランコに到着し威勢良く飛び乗るのは陸だ。まだ幼いその面差しであるが、生真面目さが伺える。背丈はすぐ後ろを走る女の子の方が高い。走るのが遅く二人を追って走るのは自分。
これは過去の記憶だ。自分の記憶かあるいは他の誰かのものかそれは判らなかったが。
こんな小さな時から自分と陸は昔に出会っていたのだ。
淡く光を放ち笑いさざめく子供の自分は、どう見ても就学する前の年齢だろう。
それでは陸に追い着き、一緒にブランコをこぎ始めた女の子は誰だろう?
徹は何故この場所にいないのか。徹は陸の従兄弟で同じ私塾で学んで……。
顎のあたりで切り揃えられた艶やかな黒髪。瞳も黒く日本人形然とした容姿の少女。色素の薄い子供の清藍と見比べるとその黒さが目立った。
先にたどり着いた黒髪の少女は、何度か大きくブランコを漕ぐと、ぴょーんと高く飛び降りた。ふわりと軽く着地した後、たどり着いた自分のために二つしかないブランコを譲ってくれてた。
少女の代わりにブランコに座ると、自分はにっこりと少女に向けて微笑む。
照れたのだろう、その子供はにかむように微笑み返すと、彼女はくるりと後ろを向き、立ち乗りして激しくブランコをこいでいた陸にちょっかいを出し始めた。
外見にそぐわずいたずら好きらしい。
その様子に微笑んだ清藍は、少女の仕種に既視感を覚えた。
何かがおかしいと告げていた。
彼らの周囲には思い思いに公園で過ごす人々がいた。母親に連れられた子供。陽気に誘われ散歩に出た老夫婦。鬼ごっこをする子供達がいた。彼らと同じく私塾に通う子供達もいた。
穏やかな時を過ごす人々の声が聞こえる気がする。
けれど、何かが違う。何かが足りない。
清藍は未だ公園の中程に立ち尽くしたまま動くことが出来ずにいた。
陸がブランコを降り、悪戯を仕掛けていた女の子にブランコを譲る。少女は少年に対抗するように立ったままブランコを漕ぎ出す。
光り輝くように微笑むその表情はつい最近会った誰かに似ていた。
平和な日常の景色。繰り広げられるのは幸福な過去の映像。なのに、薄ら寒いものが背筋を伝う。
そんな筈はない。私と陸と徹は幼馴染で……徹は子供の頃どんな子供だった?どんな服を好み、どんなことが得意だった?
そんな……馬鹿な事が……。
陸の好みの服の色は青。ニンジンが苦手だった。昔から頭が良く、運動神経だって悪くなかった。
じゃあ、徹は?徹は何色が好きだった?好き嫌いはあった?何が得意だった?
「どうして……。どうして思い出せないの……?」
風が桜の花を散らす。温かい筈の風に吹かれぞくりと清藍は身を振るわせた。
あのこはだあれ?とおるってだあれ?
覚えていないんじゃない……。最初から、知らない。徹なんて男の子は最初から知らない……!
気が狂いそうだった。そんな筈はない。再開した時、確かに徹は言った。
『久しぶり』
と。自分も彼に見覚えがあった筈だ。
なのに、過去の記憶の中に徹はいないのだ。目の前で繰り返されてる過去の映像が偽りだなのだろうか。
彼女の心を代弁するかのように強い風が吹きすさび、目の前で繰り広げられる音のない寸劇を隠すように舞い飛ぶのは雪か……花びらか。
ガンガンと痛みのように響く鼓動。壊れてしまったかと思うほどの速さと力強さで、彼女の心を揺さぶるようだ。
清藍は堪え切れず目を閉じた。
安らぎのように広がる闇にほっと安堵する。
「……思い出して」
声は覚えのない響き。小さく甘く響く、それは子供の声ではないか。
視界を遮断しても、聴覚はまだ外の情報を彼女に与え続けていた。
「思い出して……真実を……せいら……」
歌が聞こえる。幻のように。呪いのように。希望のように……。
姉が振り返ったのだ。
やさしい瞳が真っ直ぐに自分を見る。
「お願い……。二人を助けて……」
いつの間にか周囲の人影は消えていた。
「私も手を貸すから……」
二人とは陸と徹の事なのか。陸とこの少女の事なのか。
考えが頭の中でまとまらぬうちに彼女は頷いていた。他ならぬ大切な姉の頼みならば、断る事など考慮の外だった。
藍良は微笑んだ。
そして、世界は光に包まれる。
その中で、清藍は少女の名前を思い出した。
H30-09-07 ルビ振り済み。
H30-09-17 加筆訂正