4.決意の出立
「騒ぎを起こしたんだって?」
後ろから聞こえて来た声に、彼女は羽織ろうとしていた上着を持ったまま手を止めた。揶揄するような、面白がるようなその声の主が誰だかすぐに判る。
どんな返事をしようか迷う。自分でも愚かだと思う。すぐに頭に血が上るのは自分の悪い癖だ。判っているのになかなか直せない自分に腹が立つ。
「まぁ、いつもの事って言えばいつもの事かな」
答えに窮していると、背後の誰かはため息と共にそんな言葉を継いだ。
かなわないと思う。おそらく彼は自分以上に私を理解している。そう、確かにいつものことだ。そして、そのことを責めている訳ではないのだ。むしろ、その姿勢を好ましく思っているように思う。だからつい甘えてしまう事がある。
「悪いとは思っている……」
罰の悪さに相手の顔を見れずに、振り返らないまま答える。情けないくらい子供っぽい返事だ。
「そんなつもりはなかった……ってかい?」
吐き出される小さな吐息。困ったような、呆れたような笑みを浮かべているだろう。判ってしまう程長い付き合いだ、きっと向こうも自分がどんな表情をしているのか判っているのだろう。
「……」
返事は沈黙のみ。
大げさに溜め息を付く。思案するように腕を組み、僅かに首を傾げる。精悍な印象の顔立ちを困惑の色に染めながら、彼女の後ろ姿を眺めている。
そう、長い付き合いだ。彼女が何を考え何をしようとしているかは薄々気付いていた。それを止める為に自分がここに来た事を彼女が気付いているように。
「……日上」
窘める様な声だ。声は小さくても、こちらへ振り向くことを強いるような。
「それで?」
にやりと彼が微笑む。これから悪戯をしに行く子供のように、きらきらとした瞳。
「理由を聞かせて貰いたいもんだな、決行は確か半年先だったよな」
どきりと心臓が鳴る。やはり--。
持っていた上着を不必要にぎゅっと握り締める。
やはり、気付かれていた。
例えるならば計画中のいたずらを見透かされた子供だろうか?高鳴る心音を無理に押さえるように、深く呼吸する。
そう、日上は……違う、二人は半年も前からこの為に準備を行って来ていた。誰にも内緒で。祖母の命がある前から、呼び戻されることを予感していたのだ。
元々この街へ戻って来た事の本当の目的自体がこれなのだ。かつての雪辱戦であり仇討ち。あの優しくて美しい人--藍良の。
脳裏に浮かぶのは古い古い記憶。幼い子供三人にまとわり付かれ、嫌な顔一つせず遊んでくれた優しい人。周りは大人ばかりという環境で、学校さえ行かせて貰えず、お互いを遊び相手にしていた日々。数少ない優しく大切な思い出。
肩に掛かる黒髪はストレートで、今の彼女と同じくらいだったか。時の流れに風化して、朧げになってしまったところもあったけれど、それでもその優しく暖かい微笑みと声が、彼らの安堵を誘うものだった事は記憶している。
亡きその人への郷愁と憧れから、少女は藍良のようになりたいと願い、少年は彼女に恥じることにない人間になろうと決意した。
「限界だと思う。崩壊寸前でぎりぎりもっているという感じだから」
固い声だった。こわばらせ、目を閉じて発せられるくぐもった声。それは女性に似つかわしくない低い声だった。
長身のため華奢に見られがちではあるが、しっかりと鍛えられた太い首を傾げ、頬を引き締めて青年は眉根を寄せた。まさかという思いの方が強かった。
「……意外に早かったな」
ため息と共にそんな言葉が漏れる。それは素直な感想であり、しかしそうでなかった。願望が彼の目測を見誤らせていたのだろう。
「いや、今まで保ったのが奇跡か……」
清藍……と陸が目を閉じひとりごちる。
万全な体制で望みたかったが、それは無理なようだった。
秋になれば月の力が最大になる。彼らの力は、昼より夜、月が出ている時間帯の方が強くなる。そして、月の力が最大になるのが、中秋の名月と言われる満月の夜、九月の宵だ。
「止めようとしても無駄だよ」
先回りするように日上が言った。強い決意の声。だがその声を聞くまでもなく彼はそのことを良く知っていた。
優しげな面に苦笑を浮かべ、青年はため息をついた。
「俺の静止を聞いたためしがあるかよ」
半ば諦めたような、面白がるような口調で彼は応じる。その口調に彼女はほっとしたように笑った。いや、彼女は後ろを向いていて青年にはその表情は見えなかったが、笑ったのだろう。
「大人しくしてないって判っているなら無理矢理閉じ込めて暴走されるより、一緒に付いて行って監視した方がましだ」
言葉は責めるようだが、その声音は幼馴染のそれだ。心根のやさしい幼馴染に彼女は言葉にならない感謝の念が浮かぶ。だが、連れて行く訳にはいかなかった。
今回の相手は強敵どころの騒ぎではないのだ。自分の持てる全ての力を駆使しても勝てる見込みは半分もない。念入りにしていた筈の準備も、完了していないのだから。
「連れて行くわけには………」
「言っておくが」
日上の言葉を遮り、青年は口火を切った。
「お前が一人で行くなんて選択肢は存在しないからな。俺を連れて行かないというなら、全力でおまえを止める。……まぁ、お前には勝てないだろうがな。けど、殺す気で来ないと俺は止められないぜ」
なんとか説得しようと口を開きかけた彼女はその声の強さにはっとする。そこに普段の穏やかな笑みをはなく、揺るがぬ意思が表情に現れていた。
「陸……」
誰よりもお互いを良く知る幼馴染み。だから隠したい事まで見抜かれてしまう。
どうしたら、彼を止めることが出来るのだろう?彼女は自問する。連れてはいけない。絶対に。けれど、援護する仲間がいれば、勝ち残る可能性が上がるのも事実だった。お互いの戦闘パターンを知り尽くした彼ならば尚更。事実、今までも二人の連携のおかげで生き残って来たのだ。
連れて行けない、筈だ。それは決定事項であるにも関わらず心が揺らぐのは、掛かっているのが自分の命だけではないからだ。あの、やさしい人の忘れ形見。失敗すれば彼らは全てを失う。彼女も自分たちの命も。
「勿論、他の奴らを連れて行くなんてのは論外だろ?俺以外にお前のバカみたいに無茶苦茶な動きに合わせられるヤツなんていないだろ?」
自惚れのようなその台詞は事実である。戸上一族の中で、最も荒事に長けているのは、間違いなく陸である。だから、彼女の隣にいることが出来る。
そして彼女も、彼なしでは生き残れなかった。死ぬような目に遭ったのも一度や二度ではない。それでもこうして今いられるのは……。
「命の保証はない……」
くしゃくしゃになった上着を更に握り締めて、最後の抵抗を試みる。
「いつのも事だ」
あっさりと帰って来る無造作な返事。
「勝っても何の見返りもない」
「清藍が幸せになるならそれでいい」
目を伏せて、僅かに微笑みを浮かべながら答える、声は穏やか過ぎて。
「それに俺にも戦う権利がある。……そうだろ?」
その問いに再びはっとさせさられる。そうだ。あの思い出は自分と彼女とそして……。
振り返る先の青年は、穏やかな覚悟を秘めた笑顔で彼女を迎えていた。
「言い出したら聞かないのはどっちだか」
悔し紛れの台詞を相変わらずの色男ぶりな微笑みで交わし、青年は彼女を促した。
二人は家人に気取られぬように、こっそりと家を出た。
H30-8-30 ルビを振りました。
この後、追記を予定しておりますので、次回の投稿は少々時間がかかるかもしれません。
もしお待ちいただける方がおりましたら、気長にお待ちください。