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10.嘆きの終わりは

 本日2本目の投稿です。


 疲れました、本当に。でもまあ、あとは最後の締めを残すのみ。この物語の結末をたくさんの人が喜んでくださるといいのですけれど。


 力尽きていなければ本日中に。最悪でも明日には--たぶん(笑)

十織とおる……!」


 しっかりして!と響いた声はどこから聞こえて着たのだろう。優しいあの人の声だったように思う。何度も夢見た大好きな人。それは悪夢でもあったが、それでもなお幸せの残滓ざんしを匂わせていた。


とおる!」


「おまちどうさんっ……!」


 食いしばった歯の間から漏れる声。


 倒れ伏し、今まさにトドメを受けようとしたりくの前に立ち塞がったのは、見慣れた長身にざんばら頭。


 襲い来る人の身では支えきれぬほどの重い水の一撃を押し留めているのは、徹の右手を中心に広がる光。


 瞬間振り返った自分の後方に見慣れた青いシャツがちらりと見えた。光にくらむ目を凝らすと、土砂に埋もれ土まみれになりながら立ち上がろうともがいていた。


 もう一度聞こえた自分を呼ぶ声は、まごうかたなき陸のものだ。幾度もの攻防ののちの更なる大量の水の一撃に周りの木々は、土砂ごと押し流され周囲は様子を一変させていた。疲れ果て一瞬気を失っていたようにも思う。


”……なんだと。……お前は……”


 神と崇められる存在でも驚くことがあるのかと、徹は皮肉気に口の端を歪めた。


 何故か倒れ伏す陸と同じように泥まみれになっている徹は、しかし消耗し切っている陸とは正反対で生気に溢れている。


「陸!そんなトコで寝てる暇ねーぞ!」


 寝てるだと……?ふざけやがって……!


 徹の口調に煽られていると知りながら腹を立て、立ち上がろうともがくが体はなかなかいうことを聞いてくれない。


「馬鹿言うな……。お前みたいな無茶苦茶なヤツと一緒に……」


 それでも起き上がる。


 寸前の地形を変えるほどの一撃で、とうとう放り出してしまった剣を横目で探しながら、ゆっくりと傷を検めるように。


 未だ片膝を立てるに留まる自分の体ではあったが、痛みこそあれ欠損はしていないようだ。


 徹の存在は切り札のようなものだった。


 彼女の力は強大ではあったが、ことこの戦いにおいては最大の欠点があった。


 それは「日上の家に生まれながら、太陽を源とする力を操ることができない」事だ。それはつまり、闇に落ちた存在を消すというただ一つの事柄に対してのみは決定的な欠落だった。それを補うことが出来るのは今やただ一人。


 再び水の力が結集する気配を感じ、徹は注意を正面へ向けた。


「……ちっ」


 舌打ちして徹は手を正面に突き出し、月を掴む。そのまま左手を添えて真横に何かを引き抜くような仕草をした。


 手の中に柄が現れそのまま黒い刀身が何もない空間から引き抜かれる。太く長い刀身と、柄に赤い宝珠。月の光を照り返しきらりと光を反射したそれは気づくと銀色に光を放っていた。闇を集め月の光を吸収したかのようのだ。


 気付くと徹の左肩から肘の辺りまで炎のような紋章が浮かんでいる。


「陸、行くぞ」


 後退などありえない。封じることなどもう出来ない。二人はその術を知らない。


 もし命を懸けて封じたとしても待っているのは一族の破滅だ。今度は、離れて暮らす徹の親族にもわざわいが及ぶことになる。日上ひかみ水上みかみ一族の二の舞にするつもりなどさらさらなかった。生きて帰らなければ。


 陸は疲労に、苦痛に萎なえ掛けた心を奮い立たせ立ち上がった。


”死に損ないが……”


 圧倒的な力を誇っているはずのまがかみに、いらだちにも似た焦りの声が混じる。


 またも襲い来る津波のような一撃も、徹の持つ黒い剣を中心に広がる力で完全に防がれる。


 その黒い刀身は闇を集めるが故の黒さではなく、熱を溜め込んだ黒点のように、光を吸収するための黒さだった。


 剣を携え獰猛どうもうに笑う。それはまるで手負いの獣の瞳。刀身と同質の黒い瞳は、目の前の水の塊を見詰め、その姿に畏怖することなく立ち塞がっている。


 山が崩れ元の池の所在すらも判らなくなっている。それが理由だろうか、水の禍つ神の顔も半分程の大きさになっていた。空にはまだ月が見える。光は徹にとって力の源のでもある。光を遮らない限り月の光は徹に力を与えてくれる。流石に天候を変動させ光を遮るほどの力はこの神にもないようだ。


 背後の陸が再びその剣を構えるのを気配だけで感じる。そのための時間稼ぎだ。


”まだ、息があるか……”


 億劫おっくうそうに禍つ神がこちらに眼差しを向ける。ぶるぶるとその巨顔きょがんを震わせ氷の刃を放ってくる。


 徹は小さく言の葉を紡ぐと、自分と陸の体が淡い光につつまれる。わずかに遅れて陸も同じような仕草をする。


 ふわりと体が軽くなり、二人は氷の刃を避けながら、一足飛びに氷の柱を駆け上がっていく。その刀身には強い光。襲い来る氷の嵐を一閃すれば、氷は二つに割れ蒸発した。


 刀身には炎の加護。二人の身体には風の加護が。炎の術を得意とする徹と風の術を操る陸の連携。左右から切り裂かれ辺りにもうもうとし水蒸気が舞う。苦しげな叫び声が響く。


「まだまだっ……!」


 疲弊ひへいした陸に変わり、風の加護を受けた徹が高く跳躍して切り下ろす。


 冷気と熱がぶつかり合い、砕けるような破裂するような衝撃が二人を襲う。


 しかし……、水蒸気が晴れた後には、わずかに体を小さくした禍神が姿を現していた。


 このまま攻め続ければ消滅されられるかも知れない。


 希望が体を心を軽くする。


 場所を入れ替え、タイミングをずらしながら、絶妙な連携を見せる徹と陸。何度弾かれようと、なんど地に伏そうと。引くことなどできない。敗北など、考えてはいない。


 生きていくのだから。生きて帰ると決めていた。それ以外に、何もない。


 ずるりとくずおれる。


 自らの行動の結果すら痛手として身に受けながら、陸はそれでも倒れてはいなかった。剣を杖のようにしながら、両膝を柔らかくなった土につき、目だけは前を見詰めている。


 諦めてなどいない瞳だ。


 波の様に休むことなく襲い来ていた攻撃がわずかな間緩んだ。


 その、瞳。その、意志。


 陸だけではなく、もう一人の術者も。


 彼の背後でまだ倒れていない木にその背を預けながら、深く荒い呼吸を繰り返しながら、その目だけが死んでいなかった。


 風が吹いた。場のよどを払うかのように。囁くのは甘い痛みを伴うまほろばからの声。もういい、と。


 疲弊した陸をかばい徹が再度切り上げる。


 ――悲しみは痛みと同じものだ。永遠に降り注ぐ悲しみは痛みとなって苛んで、癒えることなどないのだ。


 語りかける声はしわがれて。


 徹と陸はいずこともなく聞こえる声に戸惑うように立ちすくんだ。


 こんな声を聞きたかったわけではない。こんな……声を聞いてしまったら憎むことすら躊躇ためらわれてしまう。


「……許されると、思うのか……」


 炎のようにきらめく瞳で徹は吼えた……つもりだった。その慟哭は、悲しみは、彼の声を詰まらせた。


「その悲しみが深いから、多くの命を奪い取ったと……。オマエにはそれが許されると、本気で思うのか……!」


 罰を受けるのにふさわしいと、そう言うのか。呪いの意味さえ、その理由さえ知らず失われていった数多あまたの命。その全てが、罰を受けるのにふさわしい罪を犯したと。


”許しなど……乞うたことはない”


 ただ、痛みがあるだけだ。滅びを望んだこともない。


 それは、深い……深い嘆き。


 笑いさざめく声が聞こえる。幻のように、既に失われたはずの社の前で戯れる子供達。


 望みは、ささやか過ぎて。誰も気づくことが出来なかった。


 彼の神の望みは――。


”これで……仕舞だ”


 重くのしか掛かるような声が聞こえる。


 残る力を振り絞るように再び凝縮する力。目の前の水の固まりはもう二人を見てはいなかった。


 過去の優しい思い出に思いを馳せていたのは彼らだけではなかった。


 舞い落ちる桜――。いいや雪か。さざめく笑い声と、優しい子守唄。


 ああ、あいら姉ちゃん。ごめん、せいちゃんを守るって約束したのに。


 子供の声が聞こえる。けれどこの声は知っている。陸の、声だ。


 せいら……おれ絶対強くなって帰ってくるからね。姉ちゃんのタカキを取るから。


 子供の時の呟き。声は少女のように甲高くて。ばかそれを言うならカタキだろってたしなめる声は……誰だったか。


 終わるのか……、このまま。


 ペキペキと氷の柱の凝縮する音。一瞬にして冷えわたる空間。


 疲労が二人の動きを鈍くしていた。陸をかばいながらの戦いに、徹にも目に見えない疲労が蓄積していた。襲い来る冷気を含んだ津波に二人の対応が遅れる。 


 あいら……あいら……。死んだら会えるのか。


 せいら……お前をこのまま置いて行くのか。


 嘆く声は誰のものか。


 すまない……おれのせいで……。


 禍つ神の渾身の力で放たれた氷を含む津波のせいで空中に飛び散った水滴が凍り始めたのだろうか、周囲に雪が降り注ぐ。


 その景色に、桜の降り注ぐ公園の光景が重なる。幻のようにあの笑顔が浮かび上がる。


 風が吹く。嵐のように。その場にある全ての思いを飲み込むように。笑い声と桜と雪と子守唄。


 それは誰の望みか。


 歌が聞こえる……優しい声。みんなで声を揃えて歌った春の暖かさを喜ぶ歌。



――水は命の源よ。優しく命を育む神様。この地球の七割が水でできているの。知ってた?


――雨の一つ一つが神様なのよ。そして、小さなひとつにも地球を潤し浄化する力が宿っているの。だからね。忘れてはいけないのよ。世界にはたくさんの神様がいて、いつもみんなを見守って助けてくれているの。水だけじゃなくて、お日様の光とか、土の中とか今吹いている風にもね神様がいるの。


――神様はいつだって、一生懸命みんなを助けて幸せにしてくれようとしているのよ。だから感謝する気持ちを忘れてはいけないのよ。


『あいら…あいら。そんなに神様いっぱいいるのに、何でおれのお父さんはそばにいてくれないの?いっしょうけんめいお願いしたんだよ、おれ。お父さんが帰ってきますようにって。お母さんのところに帰れますようにって』


 困ったように笑う声は誰だったか。


――そうね。どうにもならないこともあるかもしれないね。お願いするだけじゃだめなのよ。


 子供染みた自分の問いに思わず笑みがこぼれる。


 でもどうしたら良かったんだ。あのままじゃ清藍は壊れちまう。どんなに裕福な生活をしてたって人は一人では生きていけない。明日にでも自殺しそうなあいつを見たらもう待てなかった。


『あいらだって悲しそうな顔をしてる時があるじゃないか。他のみんなが幸せで、あいらは幸せじゃなくていいの?そんなのおかしいよ。神さまはみんなを幸せにしてくれるんじゃないの?』


 子供の癖にどこか大人びたような問いをかけるのは傍らの――。


――私はあなた達といられることが幸せなのよ。悲しいこともたくさんあったけど、今はそれが何より嬉しいの。


 嘘だ。と子供の陸が叫ぶ。けれど今の陸なら知っていた。それも真実の欠片だったのだろうと。


 何かを誰かを犠牲にして成り立つ幸福なんておかしい。悲しみの上に乗せられた幸福でしかないならば、いつかはその報いを受ける日が来るはずだ。


 それが今だと言うならば、それを受け入れることもまた幸福であるはずだ。


 こんな、こんな終りが幸福であるはずがない。


 大丈夫よ。りく。とおる。ありがとう、私ずっと見ていたわ。あなた達を。ずっと、ここで見ていた。


 清藍のそばに戻ってくれてありがとう。あの子のために戦ってくれてありがとう。今度こそ皆で頑張りましょう。みんなで幸せになるのよ。


 夢のような声が聞こえる。偽りの、声。そのはずだ……。


 藍良はもういない。聞こえるはずのない愛しい響き。遠く遠く聞こえる子守唄と、囁くような笑い声。光にも涙にも、似た。


”■■■!……もう終わらせて!その悲しみは、その痛みは、私達が受け止めるから……!”


 呼ぶその名前は、風に巻かれて掻き消えた。


 降り注ぐのは光か雪か……花びらか。


――その為にはあなたも戦うのよ、清藍せいらん


「せ…い…ら?」


たどる声は誰の声か。


 歌が聞こえる。綺麗なソプラノ。祈りの歌だ。浄化を願い、鎮魂を願う。豊穣を喜ぶ。感謝を捧げる歌。


「せいらの声…か?」


「この歌…なんで……」


 二人にも馴染みのある歌だった。昔々に祖母から伝えられた豊穣を祝う歌。それは力ある言葉でもなく、複雑な意味を含むわけでもない。ただ安らかであることを願うだけの子守唄だ。


 透き通るような優しい声。まばゆい光のように暖かい。


”お……おお……、この…歌は……”


 ぼやけていた視界が戻り、周囲が見渡せた。


 雪がふわりふわりと舞い降りている。違う……これは桜の花びら。風に乗ってどこからか桜の花びらが舞って来ている。


 雪が解け花が咲くように、力が戻る。支える木から体を離し、立ち直す。膝を突いていた陸も立ち上がり、驚いて目を見張っていた。


「ずっと、ここに来るのが怖かった」


 二人の背後から、水の禍つ神に向かい語りかける声は。


「あなたが怖かった。水の神様……でも……」


 その水の固まりは今や瘴気を失っていた。ただ、痛みと悲しみだけがそこにあった。


「知らなかったの。……あなたが苦しんでいたなんて……」


”水の巫女か……やっと…やっと、会えたのか”


 お前に会いたかったと神は告げた。


 清藍はぎこちない表情で、けれど蕩けるように優しく微笑んでまた歌を詠い出した。


 水上の一族に古くから伝わる浄化の歌だ。けれどこの百年の間、誰が歌ってもこの神を浄化することは出来なかったはずだった。藍良ですらも。


 本当は、ずっと聞こえていた。嘆きの声が。癒されることなく、汚泥を飲み込み続ける彼の神の声が。


 詠う清藍の姿に、藍良の姿が重なって見える。流れるその歌は、二人の力と心が溶け合って、一つの祈りに昇華しょうかするようだった。


 水の力をその身に受けるが故に敏感に感じ取り、神の嘆きは呪いとなって水上の一族を苛んでいただけで、彼の神の意志ではなかったのだと。


「そんな……」


 かつては、この土地の民が歌を捧げて神を浄化していた。歌い手は水上の者である必要などなかった。誰でも歌えば神に力を与えてくれていた。けれど時が過ぎ、人々は純粋ではいられなくなった。


 次第に歌は形骸化けいがいかし、浄化の力は弱まった。


 そして時は過ぎ、歌は儀式となって残ったが、ただの金銭を得るための道具と成り下がった。


 水に力がなくなり、土地が痩せると今度は違う神を崇める様になり、かの神は忘れ去られた。同時に、歌も忘れ去られた。


 時と共にけがれ続ける神の嘆きは忘れ去られた。


「お姉ちゃんが教えてくれたの」


 詠い終わり、静かに清藍が告げた。悲しみと喜びと、二つの感情が胸の中で渦巻いている。


”あの、娘が、か”


 静かな声が聞こえた。深く落ち着いた声。先ほどの怒りと嘆きに震えた声ではない。


”神は、信仰されてこそ。忘れられれば力を失う、そして、よどみに落ちれば魔に落ちる”


「あなたも淋しかったのね」


”……そうかもしれぬ”


「私がいれば淋しくない?」


”だが人の命は短い”


「そうね」


 でも、今は。


 淀んだようなくらい色が抜け、綺麗な水色になった水の神を、徹と陸は感嘆とも安堵あんどともつかぬ眼差しで眺めていた。


 見ると、東の空は白んで来ていた。まばゆい光はみなを祝福するようだった。

H30-09-07 ルビ振り済み

H30-09-17 一部加筆・訂正

H30-10-11 一部改稿

H30-11-27 一部加筆

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