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一限目
「xxxxx x xxxx xx」
教壇で教師が板書しつつ英語らしき言葉をしゃべっている。
「清水アヤコ」として生きると決意して初めてのの授業であったが、早くも心が折れてしまいそうだ。
聞き覚えのない単語が並ぶ黒板を忌々しく凝視するも答えはわからない。
「xxxx xxxxx xxxxxx xxx xxx xxxxx xxxxxx xx xxx xxxx xxxxxx」
教師が関係詞らしき単語をまるで囲む。文章の意味はわからない。
授業に向けての予習復習などしていない。俺は元理工学部だったからというわけではない。人間10年も経てば一度しか勉強していない内容なんてサッパリである。
会社で推奨されていたTOEIC、受験しとけばよかった。わからないのが英語だけで済めばよいのだが。
こうしている間も授業は進む。指名されないことを願いつつも簡単にノートを取る。
ノートにはかわいい文字で過去の板書が記録されていた。
女子というものはよくもまあ限られた時間でかわいく書けるものだ。自分の文字と色使いの堅苦しさとはまるで違う。
ノートの取り方も真似しなければならないのだろうか。いや、そこまでなりきったところで意味はないだろう。
人はそこまで他人に興味はない。俺だってそうだった。
「それではMs.清水。ここ翻訳して」
「えっ?は、はい!?」
唐突に名前を呼ばれた。俺の願いは届かなかったらしい。
しばらく考えたが「わかりません」としか答えることはできなかった。単語からして意味が分からないのである。答えられるわけがない。
「Ms.清水。……あなたにしては珍しいですね。それではMr. 佐藤!」
アヤコ、英語得意だったのか。
一限目でこれでは先が思いやられる。俺はこの女子が優秀でないことを祈りつつも引き続き授業を受けるのであった。
昼休みとなった。一限目の英語ではわからないことだらけであったが、予想していたより普通に過ごすことができている。
とりあえずではあるが正体がバレるといったことはなさそうだ。
未だに俺がここに転生した理由はわからないが、生活することに不都合は出なさそうだ。
午前中の学校生活を生徒手帳に簡単にメモしながら確認をする。
1つわかったことがある。この学校はおかしい。人生でここまで出来すぎたクラスに合ったことはない。
イケメン陸上部(女子)と秀才眼鏡学級委員。遅刻して登校してくる不良にバスケ部エースの熱狂的なファンクラブ。大金持ちの御曹司に帰国子女。
一つ一つはいい。全国探せば一人二人はいるだろう。しかしすべてが揃うことなどあるのだろうか?
そもそも生徒のファンクラブなぞ聞いたことがない。いつの時代だ?
挙句の果てに、我がC組はB組とライバル関係で運動会で決戦を行うとのことだ。
なんだそれは。ゲームの中でしか見たことないぞ。
これからこんな学校で過ごさないといけないのか。疲れる。
「ねぇ?昼ごはん食べないの?」
考えすぎてたようだ。正面の席に座られるまで存在に気づくことができなかった。
話かけてきたのはハルカという女子だ。まだ顔と名前が一致していないが、ハルカとのやり取りが携帯電話に残っていた。昼休みに席に来たことから推測しても、おそらくは仲のいい友達なのだろう。
「なんか真剣にメモしてるから何かと思っちゃった」
「ははは……ちょっとね」
見られてた。生徒手帳の中身は見られないよう気を付けよう。
「昼ごはん、昼ごはんは……」
鞄を漁るが弁当を準備した覚えはない。
「昼ごはん……無い…?」
「はぁ?あなたいつも用意してたじゃない?」
「購買行ってくる」
「今から購買は自殺行為だと思うけど」
購買のパンがすぐ売り切れするのはどの学校でも常識のようだ。
すでに昼休みが始まって3分は経っている。すでに購買は昼食を求める生徒であふれていると予想できた。
「なら、なおさら急がないと!」
「本気?」
財布を手に、勢いよく教室を出る。「骨は拾ったげるよ!頑張れ!」背中越しにかけられた激励に親指を立て返す。覚悟は決まった。
購買までのルートを頭に浮かべ廊下を疾走する。
出遅れた分挽回をしないといけない。階段を段飛ばしで駆け降り、踊り場のカーブは手すりをつかみ急旋回。
このスピードなら3階の教室から1階の購買まで2分とかからない。これなら多少の遅れであれば取り戻せ――
「あっ…」
階段下の予定着地点から声が聞こえる。人がいると気づいた時にはもう遅かった。
購買から戻り、階段を登る人がいることを想定していなかった。
避けようとあがこうにもすでに体は空中。勢いも殺せず、足からぶつかりそのまま押し倒す形となる。見知らぬ男子からマウントポジションを奪ってしまった。
「大丈夫?そっちケガはない?」
先に声がかけられる。ぶつかったのはこちらなのだから、俺から謝るのが筋だろうに。
「そっちこそ大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。こいつはよくトラブルに巻き込まれるから慣れてるんだ。現に自ら倒れて衝撃殺してるし、受け身もしてる」
もう一人いたらしい。横からもうひとりが軽い調子で話しかけてきた。
確かに思いっきりぶつかったにしては衝撃はなかった。勢いがついた上に階段5段分の高さからの飛び蹴りだ。普通であれば無傷で済むわけがない。
「ははは……おかげ様で」と照れたよう返してくる。何がおかげ様なんだろうか。
「ごめん、購買に急いでて」
「いいよ。慣れてるから」
簡単に謝罪し、倒れている男子の手をつかみ引き起こす。体格差はあったがあっさりと起こすことができた。倒され慣れてるのも本当のようだ。
「こいつお人好しだから気にしないでいいぜ。っと、そろそろ屋上に急ごう。チナツ姉の機嫌が悪くなっちまう」
「生徒会長なのにチナツ姉はすぐ怒るからなぁ……。じゃあ僕たちは行くから。清水さんも早く購買に行かないと売り切れちゃうよ」
階段を登り去っていく背中を眺め、一つ理解した。
よくトラブルに巻き込まれる運の悪さ。お人好し。
調子のいい友人。腐れ縁の生徒会長。
何よりなぜか止まらない胸の動悸。
出来すぎている。
そうか、あいつがこの世界の主人公か。
ここは恋愛ゲームの世界で、俺はあいつに攻略されることが目的なのだ。