第二話「異世界転移」
――なぜこんな所に……。
詮無きことだが、こんな所に来てしまった理由を考えてしまう。
ゲームを買うため。
ただ、それだけのために外へ出た。
それだけなのに……。
なんで、なんでこんな目にっ!
訳がわからんぜッ!
「俺のじゃないよ、誰のだろそれ」
「えぇー、じゃあ、誰かの、持ってきちゃったじゃん」
イケメン君が、袋に入った俺の“ドキドキぱらだいす 私立 魔導聖女学園”を受け取る。
間の悪いことに、ギャルの声がデカイせいで、みんながその様子を伺っていた。
みな、ことの成り行きを見るため無言。
周囲に音を出す物がないせいで、ものすんごく静か。
黒ビニールを開ける音が、ガサガサパリパリと聞こえる。
――終わった。
「えっ、それって、ドキぱ……」
ギャルが驚きの顔で、袋の中身を見る。
「――ひっ!」
取り出したものを見て、黒髪巨乳が悲鳴をあげた。
「こ、これは――げ、ゲーム??」
イケメン君が顔を引きつらせ、黒い袋からゲームを引っ張り出した。
ステキなゲーム内の画面が箱の至る所にちりばめられてる。
そこにはゲームキャラクター達のあられもない姿が描かれていた。
あー、俺からもソレが見えるわ。
当然、こちらに居る人たちからもソレは見えているのだろう。そこかしこで女子達の「ひッ!」という短い悲鳴があがった。
はい、今、また「ひッ!」いただきましたー。
「なあ、それっておっさんのじゃねーのー」
エグなんとか風のチンピラ三人組が、いつの間にか、俺の側まできていた。
「うんうん、健司くんの言う通りだよ。
なんかさっき、リュック開けて確認してたじゃん。
俺、その時、見てたぜー」
コイツら、いらんことは見てんのな。
ヤツらはニヤニヤしながら俺の肩に手を置く。
俺は三人のチンピラ学生どもに囲まれた。
助けを求めるように運転手の兄ちゃんを見る。
あっ、目ぇそらされた。
え、君、同士じゃないの?
たぶん君もこのゲーム、知って――る、よね? ね?
「おっさんキモすぎね?
平日の昼間っから、エロゲー買ってるってヒヒッ」
「働けよーっ、ウッケルー」
――ドカッ
――げしっ
……おい、やめろ。
俺の尻に蹴りを入れてくるな。
「見た目もキモイうえに、オタクとかやばくねーっ」
俺の頭を小突いてくる。
「キメーんだよ、死ねよ」
腹に鈍い衝撃が走った。
「ぐぇっ」
潰されたウシガエルのような声が、口から絞りでた。
――い、痛い。
親父にも殴られたことないのに。
俺は堪えきれず、地面に膝をつく。
「君たち、やめろよッ!」
イケメン君が割って入る。
「いくらなんでも、それは見過ごせない――
暴力はやめるんだっ!」
い、イケメン君かっこいい、コリャもてるハズだ。
痛む腹を押さえ、少しでも痛みを散らそうと俺は大げさに床を転げまわってやった。
よっし。俺の演技力にみんなどん引きだ。
「あぁ、おめー、神崎悠斗じゃねー?
サッカー部エースの。
試合あるんだろ? 殴れんの??
それに莉奈いるじゃん、莉奈ぁーそんなとこ居ねーでこっちこいよー」
声をかけられたギャルは、チンピラから嫌そうに顔をそらした。
「藤城さんもいるしー、ラッキーなんかこれから、たのしめそーだわーっ」
チンピラたちがゲラゲラ笑っている。
い、今の隙に――
俺はこの場から逃げ出そうと床を這った。
「おっさん、ちょ、まてって!」
健司と呼ばれてた学生が、進行方向を防ぐ。
「あのさーっ、あの階段降りてみてくんない?
先、真っ暗で見えないからさ、あぶないじゃん」
背中を踏みつけられた。
「ぎゅうぅ――」
くそっ、チンピラが!
「神崎、それかせよ」
チンピラはイケメン君から“ドキドキぱらだいす 私立 魔導聖女学園”をひったくり、扉の向こうに放り投げた。
「ほら、取ってこいよキモいおっさん」
チンピラ達は一斉に笑い出す。
「ほら、ほら……」
小突いたり蹴りを入れたりされながら扉に誘導された。
他の生徒――
正義感のある学生たちが、イケメン君を筆頭に抗議をあげるがチンピラB、Cが邪魔をしていた。
「ほら、ホラ、いけよっ! ほらぁよっ!」
勢い良く、尻を蹴り上げられる。
「――いたっ!!」
俺は階段へ、突き落とされた。
――ドカッ
――ド ンッ
――ガガ ガガガ ガッ
階段を転がり落ち、俺は必死に何か掴めるものはないかと手をバタつかせる。
その努力も虚しく、宙を掴むしかなかった。
懸命に足をつっぱり、ガンガンと身体をぶつけながらもどうにか勢いを殺す。
投げられたゲームの側まで落ち、やっとのこと俺の身体は止まった、くっそ、尻が痛い。
「――いってて」
幸い頭から突っ込んだ訳ではなく、意識は失っていない。
痛む尻を撫でながら自分の身体を確認する。
壁、階段は、固い岩を削ったような質感で、体の至る所、擦りむいてはいるが、どうにか大怪我をせずすんだようだった。
――側にあった“ドキドキぱらだいす 私立 魔導聖女学園”を手に取る。
ガキがっ! 大人をなめやがって。
運動不足のこの体が、若いパワーに勝てるとは思えない。
しかし一発でも、ぶん殴ってやらないと気がすまなかった。
いきなりのことで対応できなかったが、ヤツらから離れ思考が脳内で回り始めるとフツフツと怒りが湧き始める。
痛みを怒りで我慢しつつ、階段を上り始めた。
周囲は暗い。
広さも人が一人通れるほど、無理すれば二人並ぶことができるぐらいのものだった。
入口を見上げると、そこから光が差し込んでいる。
――俺は、最初。
ソレが何なのか、まったく理解できなかった。
いや、理解できないわけではない。
しかし「そんなこと、あるはずない」という思考が、理解を拒絶したのだ。
入口いっぱいに広がる、大きな女性の顔。
キレイかどうかなんて分からない。
ソレが大きく目を見開き、無表情で俺を見下ろしていた。
今、それを目の前にしてするべきことは……。
……さっきバスの中に、こんな人は居なかったな。
見過ごしていたのか。
――否、そんなことじゃない。
……コチラを見つめる黒い瞳。
黒が深くて、そこにぽっかりと穴があいているようだった。
――否、そんなことじゃない。
……何を考えているのかわからない表情。
――否、そんなことじゃない。
……黒い髪の毛が階段入口を這い回り、植物のツタのように広がっているのが確認できる。
――否、そんなことじゃない。
今しないといけないことは、観察することではない。
そいつを理解することではない。
今、俺のするべきことは、逃げることなのだ!
しかし、人間。
未知の恐怖に出会うと逃げることができなくなり、蛇に睨まれたカエルのようになってしまう。
そう、これから起こるであろう危険。
苦痛。
死。
そんなものより、未知が恐いのだ。
だから必死に相手を観察して分析する。
知ろうとする。
だがそんなもの……俺が理解できるはずもない。
そんなことより。
そんなことより、矮小な自分にできることは、一刻も早くこの場から逃げ去ることなのだ。
アノ視線から逃げること。
それが最善だと分かっているハズなのに、未知という恐怖がヤツから目を離させてくれない。
音なんか聞こえるはずはないのに。
だけど「ニヤァリ」っと音をたてていると錯覚するように、女の口角が上がった。
――終わった。
さっさと逃げてしまえばよかったのだ。
ヤツの興味を引いてしまった。
俺はそれを後悔する。
知ろうと覗き込めば覗き込むほど、ヤツの気を引いてしまうのはわかっていたのに……。
――ぎいぃ ぃ いぃぃ ぃ。
――ぎいぃぃ いぃぃぃ いいぃ ぃ
ツタのように広がっていた黒髪が扉を絡めとり、ゆっくりとそれを閉じる。軋む音が悲鳴のように響き渡った。
差し込む光は次第に細くなる。
手を伸ばすが、それは止まることがなかった。
光の向こうの黒い穴は、まだ俺を見つめている。
だが、それも細くなる光とともに扉に隠れ、この世界から完全に姿を消した。
漆黒の闇が俺を包んだのだ。
§
――ぎゃぁ ぁぁ ぁ ぁッ
――あ゛あ゛ぁぁ ――い いぃぃ
――ひーっひーっ
――ぶぶぶぶ ――うぅぅぅ
――あっ あっあっ
――ああぁぁぁ ――ひぃひぃ ひぃ
――ひあ゛あ゛ぁぁぁ
――はっはっ
――あぁぁ ぁああ あぁぁ
遠くから、人の声が聞こえてくる。
いや、人なのか、遠くなのか、近くなのかもわからない。
それは、この階段の終点かもしれないし、自分の耳のすぐ側で発しているようにも聞こえる。
その声はボソボソとつぶやくように。
時にはヒソヒソとささやくように。
意味不明な言葉を際限なく発していた。
――どぅぅ ぅ ぅ ん
――どぅぅ ぅん
ベースの弦を弾くような、低い音が空気を振るわせた。
――ぶぶ ぶブブブブっ
――びびっ
――ブぅぅ ぅ ぅぅん
色々な音に混じり、羽虫の飛ぶような――古いテープのノイズのような音が俺の思考の邪魔をする。
考えようとするたびに嫌な音が混ってくる――
――どぅぅ ぅん
――どぅぅ ぅ ぅ ん
低い音が不安をあおる。
手に感じていたざらりとした岩の感触も、今はもう感じない。
一歩踏み出すたびに、このまま床などなく、落ちてしまうのではないかと――ブブ ブぶ ぶブッ
「でぃんぐに だりないごっ あはぅ あはぅ」
――どぅぅ ぅん
――どぅぅ ぅ ぅ ん
どちらが、上なのか下なのかもわからない。
暗闇は身体を溶かし、俺は闇の一部となっているような――
「づぃっぷ だりなぁっ あはぅ あはぅ」
階段の終点なのだろう。
暗闇の中に、たき火のような光が見える。
その周りを、よくわからないモノがチロチロと蠢き、踊り狂っていた。
それは酷く冒涜的で、穢れているように見える。
ゆらゆらとした炎の揺らめきが、よくわからないモノたちの影を不安定にゆらす。
頭の中を飛び回る羽虫が居なくなっていた――
――どおおおおうぅ ぅう ぅ ぅん
――どぅぅ ぅん
――どおおおおうぅぅ うぅ ぅん
――どぅぅ ぅん
身体を震わせる低音が、さらに大きくなっていく。
近くなっているのだ――
その時は近い。
「づぃっぷ! あはぅ! あはぅ!
にぐらはむ! あどらがな どぅおぷっ せけりな!」
愛しい者に、呼びかける声か。
頭がぼーっとする。
聞こえてた声も、相変わらず意味不明だが、今ははっきりと聞こえる。
――どおおおおうぅぅ うぅ ぅぅぅん
――どぅぅ ぅん
――どおおおおうぅぅうぅ ぅん
そのもの達の、願いはなんなのか。
頭の中を、かき回されている気分だ。
「づぃっぷ! あはぅ! あはぅ!
にぐらはむ! せけりな! にゅくす!」
どうなっているのか、わからない。
必死な声は、俺の気分をも高揚させる。
「にぐらはむ! づぃっぷ! にゅくすッ!!」
気がついた時には俺はその者達とシンクロし、暗闇の中でひたすら絶叫して、手足を振り回しながら踊り狂っているのだった。
§
暗闇の中。
スポットライトが当てられた場所に、しゃがんだ女性が泣いている。
黒髪で白いワンピースを着た女性。
俺が近づくと、光とともに、スっと消えた。
後に残ったのは暗闇――
闇の中、一人になると、色々なことを考えてしまう。
――俺はなにも悪くなかったはず。
普通に高校に通い。普通に大学に入った。
彼女――俺は恋人が居たことは、ある。
しかし、手を握っただけの清い付き合いだ。
同級生で幼馴染み。
高校卒業の時、大学が離れるので覚悟を決めて告白し、付きあうことになったのだが、俺の経験が浅いせいか、何をしていいのかわからない。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、あれほど好きで告白までしたのに、大学も違ったせいか疎遠になっていった。
会わない日が続いた後、久しぶりに彼女に会いに行くと、知らない男が彼女の部屋から出てくるのを見てしまう。
――俺はなにも悪くなかったはず。
そんなことはあったが、当時、普通に友達もいたし、新作のゲームの話やアイドルの話などしながら、彼らとつるんでいると、それは、それなりに楽しかったので、そんな嫌なこともすぐに忘れることはできた。
大学を卒業する時もそれほど苦労はせず、就職も思いの他、あっさりと決まっていた。
――いつからだろう。
あれほど好きなゲームやアイドルのことから遠ざかっていったのは。
会社と自宅の往復。
仕事が終わったら寝るためだけに自宅へ帰り、起きたらすぐに出勤。休日は、終わらない仕事達を持ち帰り片付けた。
その会社は、所謂ブラックだったのだと思う。
道理で、すんなりと入れたワケだ――
自分が削れていくのを感じる。
ささいなことで苛つき、周囲に当たり散らした。
――心の余裕がない。
だから仕事の効率もあがらない。
ミスが目立つようになり、叱られ、俺の小さなプライドも削られていった。
そんな生活がしばらく続き、俺はプツリと糸が切れたように会社に行かなくなった。
無断欠勤が続き、解雇される。
――俺はなにも悪くなかったはず。
つかの間の自由を楽しもう。
俺はその時、こんな会社やめてもすぐに次が見つけられるさと思っていた。
しかし、それが甘かった。
そう思い知らされる。
新卒でもない。
たいした技術も無い。
会社をやめてから、しばらくダラダラとすごしていた俺を採用してくれる会社なんてどこにもなかった。
あるのはアルバイトのような、誰でもできる仕事ばかり。
しばらく就職できるまでの繋ぎにでもしようと思っていたが、年齢ばかり重ね、俺はますます就職することが難しくなっていった。
歳を重ねるごとにアルバイトだという惨めさが、俺の残ったプライドを削っていく。
ますます、俺は自分の殻に閉じこもるようになっていた。
なんで、みんなはうまくいっているのだろうか。
俺の人生――主人公は俺じゃないのか?
俺だけが失敗し、立ち上がることができない。
俺だけが。
俺だけが。
俺だけが……
他人と比べれば比べるほど自分が情けなくなり、ついには友人とも会わなくなり、俺は引きこもった。
周囲から他人を遠ざけることによって、この世界の中心は自分になった。
自分がこの世界の主人公なんだと、思いたかったのだ――
§
嫌な夢を見ていたようだ……。
ゲームを買いに外へ出た。
――ふむ、それは覚えている。
変な所に飛ばされて、嫌な目にあった。
――そ、それも覚えている。
変な空間で変な体験をし、そして嫌な夢を見て……。
……かっ……かたい――
ベリベリと涎の乾いた頬を、固い床から引きはがす。
い、痛い。
同じ姿勢で長く居たせいか、硬くなっていた重い体を「よっこらせ」と起こした。
――周囲を見渡す。
まず目に入ったのは、大きなガラス張りの窓。
俺はその光景に息を呑んだ。
ガラス張りの窓にではない。
その先にある光景にだ。
そこには……。
信じられない。
信じられないことだが、そこには宇宙が広がっていたのだった。