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作者: 雲鳴遊乃実

 街路灯に黄色く照らされた遊歩道を歩いていると、秋の虫の声色に混ざって、空気を切る音が聞えてきた。

 まさかと思いつつ広場に出れば、鉄棒にぶら下がる君の姿が目に映る。

「何やってんだか」

 呆れて私は頭を抱え、君にちゃんと聞えるように、大袈裟に息を吐き出した。

 君はようやく私を振り向き、元気に手を振るってみせた。

「気持ちいいよ、逆上がり」

 言うが早いか、君はまた地面を蹴る。持ち上がった脚につられて身体が逆さにひっくり返った。スポーツウェアがはためいて、上気した君の顔が元の位置に戻ってきた。

「ね?」

「いや、知らないし」

 ビニール袋からスポーツドリンクを取りだすと、君は弾けるように鉄棒から離れ、私に手を伸ばした。

 適当に放ったそれは不安定な軌道を描きながら、無事に君の片手に捕らえられる。

「わかってるね」

「毎晩のことだしね」

 砂場の脇にある木製のベンチ。そこが私たちの定位置だ。誰もいない公園の隅に二人並んで腰掛ける。

 スポーツドリンクを飲み干す君の、名前さえも私は知らない。

 

 今は夜の十時過ぎ。塾の授業が終わるのはいつもこの時間帯だ。

 深夜の公園は帰宅路のショートカットに都合が良かった。

 学校の授業が終わってから深夜まで続く塾の授業には、中学生の半ばの頃にはすでに慣れてしまっていた。

「いいよね、夜まで用事があるなんて」

「どこがだよ。明らかにめんどいだけじゃん」

「することもなく家にいる方が辛いって」

 私とは違い、君はいつも帰宅を済ませると、夜な夜な家を抜け出している。

 昼の授業中はしょっちゅう寝ていると豪語するだけのことはあり、夜の君は目がさえて、動きもどこか活発だ。眠気混じりの私には刺激が強すぎるくらいだった。

「音楽聴く?」

「……まあ」

 曖昧な返事はいつだって好意的に解釈されてしまう。

 手渡されたイヤホンを耳に挿すと繊細なメロディが聴こえてきた。君が聴くと思うと意外だが、秋の夜には会っている。

 イヤホンのもう片方を君は自分の耳に挿す。目を閉じて鳴らす鼻の微風が私の唇を掠めていった。

 穏やかそうな君の顔は、実は最近になってようやく見えるようになったものだ。


 君と初めて会ったのは夏の初めの夜だった。公園よりも、もっと塾の傍。具体的に言えば駅前のネオン街だ。

 当時の私は今以上に勉強に執着していた。中学校の後半から肌で感じていた受験勉強の大詰めともいえる三年生となって間もない時期。追い込みは大事だと散々刷り込まれていた。

 だからその日、一際大きな声を上げなければ、私は君に気づくこともなかったと思う。

 その頃は金色の髪をしていた君は髪の短い男の子に腕を掴まれていた。二人とも格好が派手で、私と同じように塾から帰ってきた大人しい一派は足早になって君らを避けた。

 明らかなトラブルの現場を大人たちでさえ避けていた。それなのに私の足は動かなかった。理由はいろいろとある。

 私の頭の中がその日の夜に手渡された模試の結果のために放心状態であったこと。潤んだ君の大きな瞳が私を捉えて離さなかったこと。それからそもそも君らが私の通り道にやってきていたこと。

 勢いに任せて振りかぶった私のショルダーバッグは君を掴んでいた男の顔面に激突した。参考書三冊に問題集五冊。紙の辞書も詰め込んでいたそれにより、男は鼻柱を抑えて逃げていった。悪態もなにやらついていたが、語彙力の貧弱さ加減しか印象に残らなかった。

「あの……ありがとうございます」

 大きすぎる目をさらに見開いて、君は私に頭を下げた。自分の行いに驚いていた私は君の言動につられ、気づいたら連絡先を交換していた。

 次の日の夜に君から連絡が来て、その次の日の塾帰りに私は君と落ち合った。駅前の喧噪は早めに離れ、公園を訪れるようになった。

 ひと気のない公園は一見危険そうだけど、表に交番があるためか、チンピラ風情は近寄らなかった。意外と穴場なその場所で、君はいつも私を待ってくれるようになっていた。

 

「受験って今年?」

 君の声が耳に入ってきて、私は回想するのをやめた。

「え……うん」

 質問の意味を汲んでいるうちに自然と眉根に皺が寄る。

「ていうか当たり前でしょ。三年生なんだから」

「そっか、同い年だったんだっけ」

「なんだと思ってたのよ」

「三つくらい上?」

「成人してるって?」

「え、うそ、大人ってそんな近くだっけ」

 うわーそうなのか、と頭を掻いて、君は切なげに空を見上げた。

「なんか悲しい」

「……まあね」

「冷静すぎじゃない?」

「むしろよく今更慌てられるね」

 本気で驚いている風な君の見開いた目はくるくる動いて、それから溜息とともに項垂れた。

「受験したら、どこか行くの?」

「結果次第かな」

「どこ目指してる?」

 東京の大学をいくつか上げると、君が身を乗り出してきた。

「手応えどう?」

「夏前よりはマシになったよ」

「行けそう?」

「……多分」

「私も連れてって」

 私の言葉に被さるように、君が言葉を放った。

「え?」

「東京」

 振り向けば、君の口元が大きな弧を描きつつあった。

「あんたが部屋を借りたら、あたしもそこに暮らす」

「シェアハウスみたいな?」

「そうそう。あんたが学校に行っている間、あたしは家事をする。空いた時間で、バイトでお金稼いで家賃を納める。ある程度お金が貯まったら一緒にどこかに旅行に行こうよ。海外」

「……本気?」

 流暢に話し始めた彼女の顔が歪んでいくのを怖い思いで見つめているうちに、口から言葉が漏れていた。

 君はふと口を噤んだ。笑んでいた口元が一瞬無表情になり、顔が俯いた。

「本気っぽくないよね、なんか」

 口の間から見えた君の歯先が静かに唇を噛んでいた。

 夏の間、同じような仕草を何度か目にしていた。癖なのだろう。君がそうするときはいつも、言いたいことが言えていない。

 私は頬杖をついて、しばらくしてから君の肩を叩いた。

「何もしないと、君は絶対飽きると思うよ」

 きょとんとする君に向かって、私は指を突き立てた。

「鉄棒はさすがにないと思うけど、音楽が好きならバンドでもいいし、何でも、何か目指してよ。家事なんかどうでもいいから」

「それって、良いってこと?」

「……だから、今のままじゃ嫌だっての」

 君の目があからさまに光り出すのを見ているのがつらくなって、地面に視線を落としておいた。君が肩を叩いてきたけど、振り向く気にはなれなかった。

「じゃあ、あたし勉強する」

 頬杖に圧迫されていた口で無理矢理噴いたらじんわりと痛くなった。

「正気?」

「うわ、異常だと思われてる?」

「今まで全く何もしてないのに、甘く見すぎでしょ」

「……どれについてもノータッチだし」

 君は前髪の先を捩り、それからふっと鼻を鳴らした。

「でも勉強なら、教えてくれるでしょ?」

「え? 私、頼るの?」

「だめ?」

「いやでも、私も人に教えられるほどじゃないし」

「大丈夫、落ちても東京行ってからまた頑張るから」

 何を言い出すのかと思ったら、意味がやっとわかった。

 何かを目指したらいいと答えたのは私だった。

「……それならまず、深夜徘徊やめないとね」

「えーなんで? ここでやればいいじゃん」

「ここ!? 嫌よこれから寒くなるし」

「じゃあどこかの個室。ファミレスとか」

「……だからなんで夜にやるのよ」

 スズムシの鳴る公園をあとにして、せっかく帰ってきた道を元に戻っていく。

 遅くなる旨を家族に連絡し終えると、鼻歌交じりの君が寄り添ってきた。

 私より背の高い君の影が、私のをすっかり包み込んでいた。

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