第46話:【A】 くれない/他の全てを出し抜いて
自分のルールの文字数制限(4000〜8000)の都合で、かなり駆け足な展開になってしまいました。
刃音が倒れた、その数十分後。文一は小鳥遊の私兵に拘束されていた。
聖も怜哉もそれぞれの用があるらしく、別々に屋敷を離れたのだ。
その際のゴタゴタで、今はまだ刃音も湊も庭に倒れているだけだが――時間の問題だろう。どういう処置がとられるかは分からないが、湊は最終的に、ほぼ確実に殺される。
そしてそれは文一も同じだ。後ろ手を押えられているこの状況、周囲に何十人と私兵が居るので逃れられず、このままだとまずい事になるだろう。
などと考えていたのも三十分前の出来事。
今、ただ周囲はあかいだけ。まっかなだけ。
狂ったように血が飛び交い、誰も死んでいないのが逆に悪夢のような光景。痛い痛いと叫ぶ声の重奏。腕が飛び足が飛び、もう戦えはしない兵士が無数。
刃音も、湊も、そして文一も、咲き誇る紅を身に浴びながら呆然としている。
狂乱の紅の中心はそれ。三人の注視を浴びているのもそれ。
狂ったように壊れたように赤く紅く朱く赫く。
その中心に居たのは、本を小脇に抱えた少女だった。
「葉月……?」
文一が、かろうじて覚えていた彼女の名前を呼ぶ。
葉月 春日。確かそういう名前だったはずだ、と文一は記憶を探りだしていく。
平均的な身長に平均的な体格、平均的な容姿。ただ髪を後ろでまとめているのだけが特徴といえば特徴だ。
同級生だ。あまりに濃い面々の中では普通に見えた女の子、その程度の認識しかない。
その彼女が、どうしてこんな所に居るのか。
「さて、これで終わりですね」
春日はため息をついて、口元にこびりついた血を、異様に紅い舌でべろりと舐める。
そして文一を見、炯々と真紅に輝く瞳を喜色に歪ませた。
「若!」
そして叫んだ。
若、と文一を呼んだ。
それに対して、文一はビクリと身を竦ませた。顔つきがやや怯えたように変化する。
「若……!? え、葉月……アンタ、もしかして師走家の関係者、とか……」
その言葉に対して春日は怪訝そうに首をかしげて、それから納得したようにポンと手を一打ち。普通であれば可愛らしい、とも言える動作だが、血塗れではどうしようもない。
そのまま、春日は文一に近づく。歩いて歩いてゆっくりと。
「そうですねぇ……今の若は蓬様じゃなくて文一様だから覚えていないんですよねぇ」
春日は文一の下まで辿り着き、視線を合わせるようにかがみこむ。
顔は目と鼻の先。しかし文一は動けなかった。
何か、思い出しそうになる。違和感。僕は知らないはずなのに、知っている。感覚で知っている、と。
そして春日は、文一の顔に付着した血を、自分と同じように舐め取った。猟奇的に、冒涜的に。
文一はただ、自分の中の実感に呆然とするだけで、目の前の彼女の行動に実感が持てない。
しばらくすると、一通り舐め終わった春日が、名残惜しそうに口を離す。ただし、距離はほとんど変わっていなかった。
獣の生臭い息すら感じそうな執着の表情、そのまま春日は言う。
「私は冠位十二ヶ月、八月の葉月。師走家に付き従う影であり――」
抱きついてしな垂れかかって、まるで恋人のように。
演じるのが糸の切れたような男と血にまみれた狂気では、喜劇にすらなりはしないが。
そのまま春日は、文一の耳元で囁く。
「貴方の婚約者だった者ですよ」
***
なんだよこれ。何が起きてるんだよ。何で今さら、師走家なんかが出て来るんだよ。
嫌だよ、もうやめたんだ。師走蓬じゃないんだよ、僕は。
――あぁ、お前は師走蓬じゃないな。
違うんだ。違うんだ。僕は天詩文一なんだ。
文紀さんの息子で、真紀の兄で、灯夜の執事で、湖織の友達で、それで、それで、それで!
――あぁ、お前は文一だよ。なんせ、“この体”の生みの親すら、本当の意味で知りはしないんだからな。ハハハ。
もう僕に関わるなよ。嫌だ。なんでヤクザなんか来るんだよ。僕はまっとうにいきるんだ。
必要ないんだ、お前らは。
――……それが文一のシアワセか、難しい注文だな。ハハ、まぁいいさ、やってやる。
だから葉月、僕に関わらないでくれ。アンタが何かは知らないけど、僕はアンタの事なんて知らないから。
――お前はただ嫌だと思うだけで良い。邪魔者は全部僕が……
嫌だ! 僕はただ――友達たちと、いつも通りにしていたいだけなんだ!
――否定する。
***
「葉月の。もういい、人格Aに切り替わった」
唐突に、されるがままになっていた文一だった者が、春日の肩を持って押しのけた。
春日は多少不満そうにしながらも、体を離した。
「良いムードだったのに。“否定”さんのケチ」
「どこがだよ、ハハ。ま、再会を喜ぶのは全部終わってからにしてくれ」
ヨダレまみれになった顔を執事服の袖で拭い――文一のアイデンティティとも言えるそれを脱ぎ捨て、ワイシャツに近い服装になる彼。
ヨモギは、再び文一を押しのけて降臨した。
そしてそのまま瀕死の湊に歩み寄り、その腕を持って立ち上がらせる。
「寝てるなよ、小鳥遊の末子。今回の文一がやりたい事は、お前に関わってるんだからな」
「あ……ぐ……」
しかし湊は息も絶え絶えといった様子で立つ事すらままならない。
不愉快そうに揺らすヨモギに、いつの間にか立ち上がっていた刃音が近づいた。
「俺が背負おう。……お前の腕を消されて、背負いにくい事この上ないが」
「あん? 恨み言ですかぁー? 仕方ないでしょーよ、お前は文一殺しかけたし。ハハッ、僕はその為の安全装置なんだからさ」
壊れた瞳でニタニタ笑うヨモギに、刃音は明らかに嫌そうな顔を見せる。
「失念していた、師走の能力を。お前自体が、それだったのだな」
「ハッハー、ザッツライ、80てーん! ってねぇ。ま、メイン人格が雲隠れしちゃってるからかなり混沌してるんだけどさぁ」
「そこまで強い力を持つ超能力者が、何故野放しになっている」
そこまで聞いた所で、刃音の首元に何かが押し付けられる。視線だけを逸らして見ると、春日が冷たい眼差しで本を突きつけていた。
「冠位十二ヶ月から離反した霜月が、あまり突っ込んだ事を聞かないで下さい。その首刎ねますよ?」
「……そうだな。悪かった」
春日の言葉に、刃音は大人しく従った。
刃音は死乃裂の中で、決して弱い方ではない。しかし、この二人は格が違う。
そう思っての行動だった。保身、あまり踏み込むと消されてしまう。
「んじゃま、交渉しますかー。おい葉月の、文一のやりたい事は“小鳥遊 湊を助ける事”だからな。むやみやたらに殺すなよー」
ヨモギがケラケラ笑いながら言うと、春日は嫌そうな顔で答えた。
「いや、一人たりとも殺すと危ないんだけど、冠位十二ヶ月の都合もあるわけだし……まぁ、殺さなければいいよね」
そんな二人の会話を聞いて、憔悴していた刃音は初めて気づいた。囲まれている。
規模はここに転がっている半分死体のような奴らの5、6倍。おそらく、本邸の警護に集まった部隊の全て。
「刃音クンは下がってやがれぇ、ハハ、お前が死ぬと文一が文句を言いそうだからさ」
ヨモギは言って、いやらしく口の端を吊り上げた。春日は彼に背を預け、涼しい顔で居る。
【消えろ。我が力のカタチは「否定」、我が力のイロは「神」――】
【顕れろ。我が力のカタチは「伝説」、我が力のイロは「武具」――】
唱え始めたのはほぼ同時、魔法ではない何かとしか刃音には分からないもの。
唱え終わるのもほぼ同時だった。
【僕は、お前を、否定する】
【疾く来たれ。炎の巨人より我が袂へ。スルトの火炎!】
そしてヨモギの前に、音も無く光の巨人が現れた。
そして春日の手に、ゴウと空気を裂いて紅い炎の柱が現れた。
「ヒッハ、ま、とりあえず否定対象は武器限定にするぞ。素手の雑魚にやられんなよー、はおーん」
デウス・エクス・マキナは宙を滑るように動く。
警護部隊の面々は銃器で対抗するが、それらは光の巨人に触れた時点で跡形も無く消え去り、一発とてその後ろには届かない。
そしてその爪に薙がれた者は、外傷一つ無く武装無しにされていった。
「手加減が難しいんだけどね、私の力って。業物語って言ってさ、魔力範囲内で神話を召喚できるの」
誰にとも無く春日は説明し、そして手に持つスルトの火炎と呼ばれた“炎”を横薙ぎに振るう。
空気を燃焼させる音と共に炎は伸び縮みし、的確に武装だけを焼く――否、溶かした。
戦力差は圧倒的、例え10倍の兵が居ようと、この二人に勝てはしない。手加減をやめることすらしないだろう。
武器をやられ、警護兵達は負傷者を背負ってその場から逃げていく。殺されることは無い、という事を分かった上での的確な判断だった。
「せぇ、のっ!」
春日は何度も繰り返した動作で、敵の一団を狙う。スルトの火炎はほぼ彼女の身長の五倍に伸び、ヘビのようにうねって武器をそれぞれ撃破しようとした。
【遮れ。熱量を零下へ。壊れ、俯き、腕に終着】
その時、涼しげな声が聞こえた。
ヘビのような火炎の先端が止まられる。止まるではなく、止められる。
警護兵がクモの子を散らすように逃げ去った後、そこには少女が居た。
少女というよりは幼女に近い、その身長は小学生ぐらいだろう。髪は金をマンガのお嬢様のように縦にロールしたもの、服はシンプルなデザインの青いドレス。
「相変わらず、分っかりやすい格好ですね……」
春日が妙な物でも見るように眼を細めると、その背後でヨモギがケラケラ笑った。
もうこの場に警護兵は居ない。居るのは刃音と湊、ヨモギや春日に、この少女だけ。
「派手なご登場だことね。どのような御用向きかしら?」
幼女は口を開く。容姿に似合った可憐な声。
それを揶揄するように、ヨモギが笑った。
「おーいオイおいおい、その歳から若作りして何するつもりなんですかー、鷹子さーん?」
小鳥遊 鷹子。
小鳥遊姉妹長女にして天下無双学園生徒会長、そして“この場所”の最高責任者。
「若作りではありませんわ。自然とこうなってしまっただけの事よ」
「ハハはっ、ずいぶんと楽しい遺伝子してらっしゃいますねぇ」
一通り爆笑した後、ヨモギは真面目な顔になって言った。
「んじゃ、交渉を始めましょか、そのためにアンタを誘き出したんだからな」
***
文一が目を覚ました時、全ては終わっていた。
「あ……れ?」
まず目に入ったのはいつもの天井、自分の部屋だ。
次に見えたのはベッドの隣に控えていた灯夜と湊、刃音の姿。
「お嬢様!?」
「ん――あぁ。ようやく目を覚ましたか」
少し眠そうな声で、灯夜が応じた。
状況が飲み込めない文一に、刃音が声をかける。
「昨日、お前は小鳥遊本邸で倒れた。一日中で寝ていて、今はもう翌日の昼だ。ずっと看ていた嬢と灯夜さんに感謝しろ」
ふぅ、とため息を吐いて刃音は後ろに下がる。
文一が視点を上げると、今一番近くに居るのは湊だった。
「天詩さん……その、ありがとうございました」
湊は感謝の言葉と共に頭を下げた。
困惑したのは文一である。何故、何故感謝されるのかと。
「あの――ぐぇ!」
何なのかと訊ねようとした瞬間、刃音によって無理矢理ベッドに倒される。
その隙にとまくし立てるように刃音は言った。
「お前の交渉のおかげで嬢は灯夜さんと同じ扱い、俺もお前と同じように従者として仕えることになった。これからはこの屋敷で厄介になると思う」
理解できず、質問しようと文一が体を持ち上げた所で、刃音は二人の背中を押して扉から出て行こうとした。
「起きたのだからもう満足だろう、二人とも。文一には客が来ている」
「お、おい! 待てよ!」
文一の制止も聞かず、二人と刃音は扉の外に消えていってしまった。
入れ替わりに入ってきたのは茜。そして魔術結社の三人。
さらに――葉月 春日。
「若! ご無事だったのですね!」
まず口を開いたのは春日、歓声を上げて文一の元に走り寄ろうとする。
ガシッと、その後ろ襟を茜がつかんだ。
「そういうことを出来る立場なのかな、貴女は?」
「黙りなさい役立たず。若を守りきれなかったくせに」
二人の間で火花が散り、ゴゴゴゴゴとなんだか後ろに竜虎のシルエットが。
文一が突然現れた邪悪なオーラに怯えていると、フロルが仲裁に入った。
そんなこんなをしている内に、メギトスが文一に近づいてきた。
「天詩文一、まずはアンタの立場を教えておくよ」
「は? え、何なのいきなり?」
「小鳥遊灯夜の従者兼“青空商社研修社員”。まぁ小鳥遊傘下の零細企業で、魔術結社の隠れ蓑だね。今日から参加してもらうよ」
突然の出来事に、文一は慌てる。
「ちょ、ちょっと! どうして僕の意思抜きにそういうことが決まるんだよ!?」
「ごまかしが効かなくなったからです」
怜悧な声が聞こえた、春日だ。文一がそちらに目を向けると、ケンカを途中で放り出した春日が文一を真摯に見つめていた。
「若の立場は、実を言うとかなり複雑なものなのですよ。師走の当主様が特進市に預けるなんて言わなければこんな事にならなかったのでしょうけど……」
哀れむように春日に言われ、文一は頭に血が上った。
「……なんだよ、複雑な事情って? そりゃ、確かにヤクザと駆け落ちした女の子供て言えば複雑だろうけど……」
「本当の事は、ゆっくりと知っていけばいいよ。いきなり知ると……きっと、壊れるから」
哀れむような声がもう一つ、メギトスだ。
「何だよお前ら……! 言いたい事があるならはっきり言えよ! 僕はなんなんだよ!?」
文一は起き上がる。が、いつの間にか近づいていたフロルに胸を押され、簡単にベッドへと倒された。
フロルは哀れみなど欠片も見せず、いつものように楽しそうに言う。
「魔術結社の目的を満たせる存在で、小鳥遊にとっても手に入れられれば有益で、あなた自身はとても不幸だと言っておきましょう」
ニコリと笑って、フロルは続けた。
「自分が多重人格だという事には気づいていますかぁ?」
「……知るか」
「そのもう一人のあなたが、小鳥遊と契約しましたぁ。小鳥遊湊と死乃裂刃音の安全を保障する代わり、天詩文一は小鳥遊で働くと」
いつの間にかは分からないが、自分が何かを選んでしまった。しかしそれは最善だった。
訳も分からず、文一はイライラと虚空を睨む。
「で、話はそれだけか? 僕は小鳥遊で働くのなんか、適当に済ますぞ。お嬢様さえ守れればいいんだからな」
「いえいえ、あと、この子のことですぅ」
フロルはそう言って、片手で茜を引き寄せて、自分の胸に抱いた。茜は居心地悪そうに身をよじっている。
「この子、刃音くんに壊された時、武器化能力を失っちゃいまして」
「なんだそんな……は?」
「平たく言うと、もうあなたは魔道書に頼った戦い方が出来ません」
突然の出来事に、文一は思考が止まる。
「何だよそれ!? じゃあどうしろって言うんだよ!」
「ご、ごめ……ごめんなさい……」
茜の謝る声を無視して、文一はフロルを睨む。その視線を悠々と受け止めて、フロルは言った。
「だから、自分の特異性を認識してください。その上で戦い方を学びたいというのなら、私たちが教えてあげますよ」
「……お前らの目的のため、か?」
えぇ、とフロルは悪びれもせずに言う。
文一は迷わずに、口にする。
「教えろ。何でもいい、お嬢様を守るためならやってやる」
「えぇ、いい心がけですよ。そろそろ夏休みに入るんですよね? 夏休み一杯はこちらに泊まって頂きますよぉ」
フロルはニコニコ笑ったまま、言葉を続ける。
「頑張ってくださいねぇ? 貴方が生きて、そして守りたい者を守る為には全てを出し抜かなくてはいけません」
特進市も冠位十二ヶ月も魔術結社も、そして外部組織も、とフロルは締めくくる。
もう文一はそちらを向かず、ただ何も無い場所を睨んでいた。
「若、私は冠位十二ヶ月である前に貴方の部下で、婚約者なので……何かあれば、いつでも言って下さいね」
心配そうな春日は部屋から出て行く。不明なはずの単語にも文一は反応しない。
「じゃあ、お大事に。夏休みに入ればこちらから連絡するよ」
「……ふん」
まだ哀れみを残したメギトスと、終始無言だったローラが部屋から出て行く。
「ごめん、なさい……」
「では、戦い方を教える時に、少しずつあなたの事も教えてあげますので」
泣きながら謝り続ける茜と、笑ったままのフロルも出て行く。
最後に残った文一一人。
ただ怒りと混乱を胸に、宙を見つめ続けていた。
文一終了、あえて真主人公だけ最後が戦闘じゃありません。
文一ストーリーの第一案は、
文一も小鳥遊本邸の警護で突入してきた刃音と戦いながら湊の真意を知っていく
って感じだったんですけど、やめておきました。
理由は、後味悪く終わらせたかったから(笑)
ラブコメの連載開始しました。
それは血飛沫舞い散るコッチとは違って平和なラブコメです。……いや、コッチがラブコメかは正直もう自身ありませんが(笑)