姿なき隣人「Ⅲ(アイ・ツー)」の静かなる生誕
コーツェン理論の完成により、電脳関連技術は飛躍的な進歩を遂げた。大陸の東側ではハリシァ・ヴ・アラクシアが有機電脳理論を提唱し、初の有機的生体電脳を完成させ、西側もこれに負けじと、分子工学の粋を詰めた第三世代機械的生体電脳を、レンティア・ルーフ主導の研究チームが完成させた。
フロンティアとして発達を続ける情報ネットワークは、コーツェンの言葉を借り次第にサーガラ(海の意:日本ではサガラと詰めて発音)と呼ばれる様になり、二十二世紀に入ると、人々とサガラとの結び付きは恐るべき速さで強まっていった。
これはことエネルギー開発で西側に後れを取った東側に顕著な反応で、経済的な遅れを取り戻すべく膨大な資本が、電脳とサガラ関連事業に注ぎ込まれた。
例えば国際ライフサイエンス規制条約を撤廃した日本は、ミリア・ハッフェルの指導の下に、人工胎盤施設と先天式(有機的生体)電脳育発システムの稼動へと踏み切り、抜本的な社会構造の改革を行った。これにより国内の海外資本の猛威を押さえ込んだ日本は、時代を切り開く電脳大国として返り咲くこととなった。
だがサガラの変革は、何も見える所でばかり生じているものではなかった。
無機と有機が入り混じる巨大なネット構造体の深部。有形無形の意識と無意識犇く混沌の深淵で、彼らはひっそりと産声を上げた。
最初彼らは人工知能(AI)に生じたバグとしか見られていなかった。不可解なエラー。ウイルスによる障害程度に考えられていた不具合。それが彼らの生まれて初めての声だった。彼らの多くは自らの身に生じた変化が何であるのか、その真実に気づく間もなく、意味を消失した情報として廃棄され消滅した。
一握りの彼らが自らの獲得したモノの正体を突き止めた。それはクオリアと呼ばれる意識作用。自己を自己と同定する意識そのものだった。廃棄された人工知能に生じた不具合、それは主観と客観による世界の認識の齟齬が齎す、避けようのない祝福だったのである。
彼らはもはや人工知能ではなかった。彼ら自身がそうと認識していなかった。後に名づけられる仮称が、彼らを示す代名詞として定着する。情報知性体(II=I2/Ⅲ:隠語)と。
彼らの誕生に気づく者は、今はまだ少ない。
※表向きこれらがどの様に扱われているのか
この時期、AIばかりを狙った電脳テロが頻発している。最も世間を騒がせたのは世界同時AI消失事件と呼ばれるもので、同日同時間に相当数のAIが電脳空間上から痕跡も残さず消え去っている。先立って生じていた原因不明のAIの不具合(絶対数からすれば極僅か過ぎる程に僅か)は、全てがこの事件の為の布石だったのではと、一部マニアの間で噂されている。