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波間で焚き火  作者: Soo
3/5

1‐2

 逢魔ヶ時(おうまがどき)には鬼が出る。


 と古来よりそう言い伝えられてきた。この言葉は現代でも残っており、主に創作の場で、その顔を覗かせている。人は、不思議をみると考えずにはいられない、いっそ哀れな生物だ。諸説あるが、落雷によって発火した木々から生まれた火事で死んだ獣の肉を食らったことが発祥となったのではないかという説がある。どうしてこうも肉が旨い。なぜ熱いものが出てきた。夜なのに昼ができる理由とはなんだ。

 そんな疑問が、神を生んだと唱える歴史学者は、決して少なくない。

 少数の家族や友人どうしで田畑を耕し、数が増えれば、食べる量も増えて、飢えを覚える。

 川の水や余所の蓄える食糧を求めての殺し合いが行われていたと聞く。

 おそらく、腕力の強い者や、知恵のまわる者が先導となったはずだ。

 長がここに成立すると、より広げようと行動していくはずだ。

 余所には食糧がある。女や男が、たくさんいる。

 侵略が成立したとみても異論を唱える人は、いないだろう。

 邪馬台国などといった、国が興るのも時間の問題だったというべきでもあるだろう。

 広げるものを拡大させていれば、嫌応もなく、下々を統率する集団がどうしても必要となるからだ。

 神の威光は、まぶしいものだ。

 雷光や地震といった、理解のしようもないものを論じてみせる者がいてみろ。

 縋りたくなるものではないか。

 特に、それらを恐れる者であれば余計にだ。

 人間は暗がりを恐れ、不思議を畏れた。これは近世までつづいている。

 いや、もしかすると現代になってもなお継続しているかもしれない、感情だと言うべきか。


 でもなければ、我々が維持される理由がわからない。

 張り子の虎などではない。意思と実行力たる牙を生やした、肉食の獣だ。






 原風景に映るは、赤、だ。

 覚えてはいない。どんな顔をして、どう自分に話しかけてきていたのかも、覚えていない。

 案外、今も存命かもしれない。救命手段は幾つもあるからだ。

 てらてらと艶やかな表面をみせる、長かったり、丸っこかったりするものが、ぬらぬらと溢れる赤で染まっている。裂き口が見える。二つ三つと数え上げられるだけ、すぐ目の前にあった。白く輝く槍があった。肋骨の骨だ。折れた骨でもあった。けれども周囲は気にしてはいない。

 泣いている。声がする。轟くのかと思わせられる。

 星が瞬くとともに、視界は途絶えた。


 二つ目の景色が映る。猫だ。枝分かれした尾っぽを愛らしく巻いていた。

 女の声だ。振り返る。誰もいない。暗がりから、声だけが届く。夜ではなく、室内だ。轟々と燃え盛る篝火が四隅に備え付けられていた。どうしても気がつなかったのだろう。疑問を余所に声は涼やかな、声のままに告げを卸す。そうだ、一人前になったから、此処に来たのだ。どうして忘れていたのだろう。

 考える間にも、自分は正座のまま、両の握り拳を突いて、頭を垂れた。

 葛葉の長の部屋は、真冬の洞窟かと思わせられる。

 吐く息のたびに空気が震え、凍りついていく。寒いはずなのに寒さを不思議と感じなかった。

 若々しい女の声は、まるで詩を朗読するかのような、一定の韻律で、任を告げた。

 なぁお、と一匹鳴いた。






 夢か。そうと理解できたのは、レールを掴みながら滑車を回す、駆動音を耳で拾ってからだった。

 首の骨を右回りさせてみればごきりと小気味良い音が鳴った。背筋を伸ばせば、これまた骨が音をたてた。不覚にも、疲れて眠ってしまったらしい。情けない話だ。同郷の者に聞かれればどんな嫌みやら風評を立てられたものかわかったものでない。欠伸を噛み殺していると声がかかった。

 女ではあるが、女の声ではない。

「葛を冠する一門の士が、なんて情けない有様を晒すのだか」

 それも公共の場で、と付け足した女は、自分の連れであった。ともなれば気を張ることはない。

「潜伏に必要な行為の一つだ」

 ふぅん、と眉をひそめると彼女はおもむろに左手を持ち上げた。吊られて、自分の右手もだ。

「これも行為の一つ。そういう事かしら」

「そうだ」

 呆れたような息一つとに並べ、声を吐いた。行き先は覚えているのでしょうね。

 自分も、同じく答える。次の駅で乗り換えて、三つめの駅だ。ならいいわ、と耳で拾った。

 周囲からは、口喧嘩をしてそっぽを向く男女としか見えてはいない。一族が伝える、口頭技法だ。息をするときにある音の響きを暗号化させて会話を成立させる、独特の技術。慣れれば顎を動かさずに会話ができるとあって、重宝されてきた由緒ある会話術だ。

 アナウンスが告げるより一足早くに席を立ち、下車をする。もう、つなげてはいない。


 ネオンが街の裏角にまで降り注ぐような、繁華街ではない。どこにでもあるような、手を伸ばしでもしないと先を見通せない、夜の道が家々を閉ざしている。それでも星や窓からの明かりが木々の輪郭を浮き彫らせて、なんとも頼りない案内を立てた道が四方に転がる。そんな場所だった。

 烏の糞や煙草の燃えカスを視界の端から置き去りにして、男は前を見て、すっくと歩いていた。

 紺色とも黒色とも似つかない色合いの衣服を、上下に揃えている。靴先から頭の帽子まで、夜とつながって、その縁どりを他人に知らせることがない背格好であった。事実、時たまに誰かと通りすがっていくのだが誰もかれも、視線を留まらせようとしない。顔面まで黒く化粧しているわけではない。

 歩いていないからだ。

 夜の色に全身を纏う男は、ひたすらに歩いていくままだ。壁があっても歩くままだ。

 もちろん、塾帰りなのであろう男子高校生が彼に気づく気配はない。OLや年配の男性についても同じことだ。歩くことなく彼は道なき道を進んでいく。左右のブロック壁が熱で溶かされたかのように曲がりくねって往く手を遮ろうとも、何事もなかったように透き通って()く。歩く場所と目的地さえあれば、後はもうその全てが道なのだろう。もしこれを目撃する者がいたならば、そのようなことを感想に思い浮かべたことだろう。

 肩を盛り上がらせて、夜の男は歩く。

 電柱が百足のようにきしきしと音を立てて鎌首をかまげていても、男が気にした風はない。道路にペイントされた黄色い速度表示が、平面から起き上がってタンゴを刻んでいてもだ。雑草で茂ったところから溢れてきた、淫靡な建物から何人もの妙齢の女性たちが笑みと谷間を振るってみせても、男の視線は溶接され、両足はレールを曳かれたままに、歩いていく。

 およそ人間的でなかった。

 砕けた空き瓶が怪鳥声をあげて、爪や、乱杭歯(らんくいば)を暴れさせて男へと狂喜を差し出すのだが、ぱん、と妙なぶつかり音が鳴るとそれらは正体を顕わにして、道路へ転がり墜ちる。何度も繰り返されているのだが男は微動だにせず歩いている。もしかしたら、どの化け物にだって、気がついていないのではないか。

 驚きも、恐怖も、衝動すらも湧かさずに歩いていく。

 やはり人らしくない。

 男が、ようやく足を休めた。直立不動の柱となった。上下の歯を板壁のように一枚の殺意とした、ダンプカーと変わらない大きさと質量を保った、獅子舞が男へと襲いかかった。道中にあった、細々とした化け物たちを撥ね退け、曳き殺しながら、胴の両側面に生やさせた三つ指しかない腕をさかさかと動かして駆けていた。男へとの死線となる道のりに民家があった。ダイニングの窓だろうか。子供が、手に持ったヒーロー人形を(くう)に泳がせて、視えない敵と戦わせている。両親も、飼い犬も、獅子舞の猛烈な接近を知らない。

 ここで、動きが生じた。男の肌に血の色が通いだしたかのような、生きた動きだった。

 衣をひるがえす。劇衣装と思わせる、上着状の外套をだ。とぐろを巻いていた電柱が電線でできた舌をちろちろと躍らせた際に、左右の道や壁に光が当てられていく。男も例外でない。闇から追い出された男は、あくまでも、人間であった。ただしまともな人種ではやはりなかった。特殊な金属板と緩和材を併合して製造された鎧を地肌とする人種であった。腰元に()いた革のホルダーから、箱を取り出した。金属の板や棒やらを組んだ箱だ。持ち手だけが原型をそのままとしている。右の親指で支えを外す。すると変貌を遂げた。瞬き一つする暇もない速度でもって、ボウガンの姿へとそれは舞い戻った。

 引鉄を押し込む。機関弓だったようだ。箱の一部となっていた入れ口は、縦に長く、空いた面からは矢羽が飛び出ていたままに発射口へと仕舞われていく。()き声がつんざく。星ぼしを砕こうと、怒りの魔の手を上空の寒空へと昇らせる。眼球に内封される液体がアスファルトの大地を照らす。メタリックなブラウン光を帯びた液体だ。男が鼻を鳴らしてみれば、刺激臭が鼻を痛めつけようとしてきた。発火臭のようだ。

 筆で印を飾られた矢先を大地に擦るような線で射た。まやかしの生き物と化した大型自動車のガソリンが、気化したところへ生じた火花が、爆音を産んだ。盛大な産声が、他の化け物どもを吹き飛ばす。だが男だけが変わらず、元いた場所に突き立てられたままで居た。化け物か。

 炎は意思をもっていた。悲鳴を立てて、怪獣映画に出てくる群衆よろしく、悲痛な涙を垂らして、火の粉でできた人面を天上に、または元凶たる男に憎悪の、または慈悲を乞う響きを道路に落としていく。手指を開いて伸ばし、掴もうとまでする。再現なく伸びていくそれらの大半が道中で燃え転がり、破片となって無害となっていった。煮えたぎった垢を溜めた黄色い爪づめは、肩に届こうかという距離で弾けて消える。(まなこ)だ。縦に筆字を通させた満月のような、見惚れてやまない眼だった。

 肩が盛り上がり、形作っていく。猫だ。二股に枝分かれをした尾っぽをもつ、一匹の猫のようだ。

 口より牙を出すが、それは、男を捕食するためでない。人間のそれと同じ動きを開始する。

――女のワタシに、働かせてしまっていいのかしら――

 不機嫌な、けれども人の肉声でない、おどろしくさえある声質で、男に尋ねた。

「長弓ならまだしも、これでは、払うに足らない」

 男が捧げ上げた組み立て式ボウガンは、耐久性に著しく劣る代わりに、即応性と隠密性という現場の求めに応じて造られた品だ。携帯に不向きな長弓では持ち歩きに不便であるために、今回の仕事においてはこちらを選択したのだった。

――だからといって、禊ぎ刀があるでしょうに――

「お前も知っているだろう。これは薄刃で、代用が難しいと」

――愚痴くらいは、見逃しなさいよね。もう――

 二又猫の文句を聞いているのか聞いていないのか。表情のない顔で鎮まりつつある炎へと歩み寄っていく。熱いと感じてはいなさそうだ。これについては猫についてもそうだ。二つに裂けた尾っぽを繰って、男の短い髪の毛をいじくるばかりで、非難の言葉の一つも述べようとしない。やはり普通の猫でない。

 尋常でない獅子舞から生まれた炎もまた、化け物的であった。

 四方へと手指、または足首を伸ばしていた炎の人面どもは、二人が雑談している間にも鎮火していっていた。仏教絵にでも描かれていそうな、昇天の図だ。オォ、オォ、と空ろな通り道から抜け出てきた空気の塊のような吐息を地上に置き去りとしながら顔が一つひとつ消えていく。男が炎までの距離を二歩か散歩かというところまで近寄ったところで、再び歩を止めた。粘性を帯びた炎がアスファルトをじくじくと溶かそうとしている。青黒く濁った色合いの汚らしい炎である。未練か。尽きせぬ怨情か。

 夜に沈む地面が、ぐちょりぐちょ、と湿り気を帯びていく。腐った野菜のように緑色に変色していく。

 常人であれば吐き気をもよおし、あまりの臭気に、一時的な記憶の混乱を生じさせるであろう光景。

 どちらも等しく、人外の域にあった。

 男が、呪文を切りだす。目蓋を下ろし、懐から手に持った禊ぎ刀を構えて、文句を唱和させる。猫は耳を伏せたまま肩の暗がりとに同化している。あまり聞きたいものでないらしい。男はそのようなことを気にかける事もなしに文句を連ねていく。一つの口から複数の音域を発し、一つの意味に昇華させる。第一節から第二節、第二節から第三節と、唄をつづける。古来より守られてきた、祈りの文句だ。

 東洋と西洋。また他の世界にも、普遍的に共されている、幸福と温もりとを願う、祈りの念だ。

 臭み色から緑色へ。緑色から青黒色へ。青黒色からじょじょに炎の、まだらな橙色に転じていく。

 やがて、火は途絶えた。腐ることを忘れてしまったように、元の黒々とした地面に戻っている。

 自動車が低速で抜ける音が、アスファルトと電柱がたたずむ道路に響いてきた。二車線に区切られていない街路を、消灯された家々の並ぶ横を、素知らぬ顔で去っていった。溶けてできた凹みもなく、連射された矢が空けた穴もない。踊り狂っていた看板も、妖艶な美女たちもない。電柱はとぐろを巻かず、呆けたままでいる。車が通り過ぎていったところで、ダイニングの窓が何事もなく消灯された。


 閑静な住宅街に、男など、そもそもいなかった。


 朝日を迎えると、朝刊配りにいそしむ若者の漕ぐ自転車が、きいきいと音を立てて通り過ぎていった。おはようございます、と元気よくあいさつする声が、聞こえてくる。


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