アンティーク
ここ数十年にわたって技術革新がもたらされない街がある。ガラスのグラスは海中から差し込む陽の光をそのまま映したような精巧な模様を入れる職人がいて、注がれた年代物のウイスキーが豪雪の日には最も太陽に近い温かさをもたらすだろう。
カウンターに座る無精髭を生やした細身な男は紳士と呼ぶには少しばかり動きやすさを重視し過ぎていた。ベストを着ずにサスペンダーが丸見えの作業着のような服装は、硬い軍用の革靴の重く大きな足音のせいでそれらしくはまとまらなかった。もっともこの街ではこのような男ばかりなので、それは特段大きな特徴とは言い難いが。
男は朝から店に入り浸って、珍しくひび割れも弾痕もないこの店の寄生虫のように居座っている。マスターと思われる別の男は、その仕事柄蓄えられた前腕の筋肉を余すことなく曝け出す袖捲り。何も言わずに彼の仕事をしていた。
今は昼時だろうか、雪と雲の白い深海にはさほど光は届かない。今この空間において、ゼンマイ仕掛けの時計が刻む青くくすんだ真鍮の秒針が進める時間だけが、唯一の正しいものだろう。皆一様に何かしら間違っていると言える。このグラスも例えばこの男が使わなければ、よりもっともらしい使用者が今ここに座っていたのかもしれない。
もっともらしい人物とは何であるかなどわからない。グラスが彼の太陽をなくしていくと、腹の中におさまったその熱量を感じ、次の一杯が手元に戻ってくる。
相変わらず外は降り頻る白い雪の中で、きっとワックスを塗ったような渋い匂いに暖房の暖かさが付随するような逃げ場はないだろう。
器が照らしたブランデーの鈍い茶色の光を机に映していると、突然と扉が開かれる。マスターの小さな挨拶にその人は軽い声で答えたので、朝から飲み続けていた男にとってそれは少し大き過ぎた。軽い声の主は横に座ると飲み過ぎの男を気遣ってか一本どうだと臭い箱をむけてきた。それは男にとっては特にいらない、つまり男にとって現実逃避の手段はこのグラスの中の液体で十分だったので、結構だと断った。
男は次第に今の自分が恥ずかしくなって、のそりと立ち上がり、足元の長柄のモノを蹴り倒してしまった。どうにも少し丁寧さを欠いたようで、面目なさそうにしながら軽口の人にそれを取ってもらった。その長柄のものは男の持ち物で、黒い銃身にはツヤがあり、つけられたベルトを肩からかけた。カウンターに乱雑に置かれたひとまとめの紙幣は、男が釣りは要らないと言って出ていったことからそこにしばし放置されることになった。
外に出てすぐに男は思い知った。逃げ場所と知ったそこを出たら、外は優しさとは無縁の世界であり、一気に現実に呼び戻されたのだ。地面はツルツルとして転ばぬように歩くのが精一杯で、彼は高架下の歩道で壁に手をつく頃には、もう特に何かを考えていられるような余裕は無くなって、そうしてどこかへと歩いていった。
店の中では若い女性が1人座っている。そのアンティークのリボルバーが白いような銀色のような輝きを放ち、先ほどの男とは打って変わって、美しいグラスには何の濁りもない透明な水が注がれた。ここでは全てが正しい。秒針を読む大きな古い時計の動きも、手際の良いマスターが女性に出した料理も、そしてこの女性の仕草までもが何の間違いも持たなかった。唯一間違っていたのは時間にとらわれるという事であり、彼女は時たま忙しないように時計を確認した。
エバーグリーンの上下の服は赤い縁取りを持った厚めのもので、男女を問わない服装と言えた。しかしシワひとつないその丁寧な仕立ては彼女の几帳面さを窺わせた。
長く進展しないこの街で、新しいということがどれほど心躍らせることであるのか、アンティークがどれほど心躍らない言葉になったのか、それは皆が知るところである。
雪は止み、いつのまにか雲の切れ間から光が差し込む。午後は晴れるだろう。




