呪いに苦しむ聖女を救えるのは、役立たずと町から追われた俺だけなのでは?③
それから数日、館は重苦しい空気に包まれた。
ルカとリカは古今東西の文献を集めて漁り、シュウは片時もマツリのそばを離れない。
燕は、ただ彼らの世話をすることしか出来なかった。
慣れないながらも食事を作り、洗濯をし、消耗していく彼らを支えようとした。
元の世界でも、ただ遠くから彼女を見つめているだけだった。
そしてこの世界でも、苦しむ彼女を前にただの無力な“役立たず”でしかない自分に嫌気が差す。
現実は無情で、ルカたちがどんなに手を尽くしても、マツリの容態は悪化していくばかりだった。
純白の翼は黒く変色し始め、可憐な唇からは血の気が失せていく。
ある深夜。
燕は書庫に籠もるルカのもとへコーヒーを運んだ。
閉め切られた部屋は空気が澱み、机の上には魔術書と思しき書物が乱雑に広げられている。
開く扉に気付いたルカは疲労の色を隠そうともせず、ページを捲る手を止めて燕を見遣った。
「……燕くんか」
「少し休憩しなよ。あんたが倒れたら元も子も無いでしょ」
「ふふ、君は優しいねぇ……でも、時間が無いんだ」
机の端にコーヒーを置いた際に、ふと、広げられたままの古い書物の一節が燕の目に留まった。
『呪いとは器に定着する穢れなり。解く術無き場合、同等の器への遷座をもって浄化とみなす』
「……せんざ?」
「ん? ……あぁ、呪いを誰かに移すということさ。肩代わりと言ったらわかりやすいかな」
ルカは自嘲気味に笑い、湯気を立てるカップを口に運んだ。
「でも、マツリちゃんのアレは彼女の神聖な魂を持ってして、なんとか抗えている代物だからねぇ……常人が引き受ければタダじゃおかないだろうね」
肩代わり。
その言葉を心の内で反芻する燕には、誰にも明かしていない秘密があった。
この世界に召喚された時、なんの力も持たないと判断されたために彼は城下へ追い遣られることになったが、実際には違う。
彼の身に宿る異能の力。
それは、“接吻した対象の能力を模倣する”というものだった。
元の世界でもこの世界でも役に立つ機会など無いと思っていた能力だが、この力が“呪い”に対してどのように働くのかを考えた時。
呪いを“力”として認識し、この身に書き写すことが出来るのではないか。
また、能力をもって介入することで、上手くいけば苦痛を引き受けることが出来るのではないか。
(……俺は、なんのためにこの世界に来たんだろう?)
間違って召喚され、迫害され、死神などと呼ばれる男に拾われ……。
なんの使命も役割も無い、ただの異邦人。
元の世界に帰ることも出来ず、ここでただ老いるのを待つだけの人生。
この世界に、俺は必要とされていない。
だったら、無意味な人生に一つくらい、意味を持たせてやるまでだ。
燕は静かに書庫を出た。
廊下を歩く足音が、やけに大きく響く。
静まり返る深夜の館。
確かな足取りでマツリが眠る部屋までやって来ると、看病に疲れ果てたシュウが椅子に腰を掛けたまま眠りに落ちていた。
燕は音もなく部屋に入り、扉を閉めた。
月の光がベッドの上の少女を照らしている。
死人のように蒼白な顔。苦悶に歪む眉間。
それでも彼女は美しかった。
枕元に立ち、燕はマツリの顔を見つめる。
こんなことになるなら、恥をかいてもいいから勇気を出して彼女に話し掛けるんだった。
元の世界で、教室の片隅で、ただ見ているだけじゃなくて。
そして彼女に。
「……ずっと鷹中さんが好きだった」
と、伝えるんだった。
燕は身を屈める。
元の世界に残してきた後悔に思いを巡らせながら、祈るように、誓うように燕は目を閉じる。
そして、彼女の吐息が触れるほどの距離まで顔を寄せた。
それは口付けと呼ぶにはあまりに淡く、呪いの受け渡しと呼ぶにはあまりに静かな儀式だった。
その瞬間。
ドクン、と心臓が大きく脈を打った。
全身の血管に岩漿を流し込まれたような、焼き尽くすような熱が奔流となって燕の体内を暴れ狂う。
「……ッぐ、ぅ……!!」
悲鳴を上げそうになるのを必死に噛み殺した。
身体の中をおぞましいなにかが満ちていく感覚。
これが言うまでもなく、マツリを蝕んでいた“呪い”だろう。
視界が明滅し、内臓がねじ切れるような激痛に世界が歪む。
燕は膝から崩れ落ちそうになるのを壁に手をついて支えた。
もう、立っているのもやっとだった。
胸元を掴んだシャツの下で、自身の肌に黒い紋様のような痣が広がっていくのがわかる。
息も絶え絶えにマツリを見遣ると、頬には薄っすらと赤みが差し、苦しげだった呼吸が穏やかなものに変わっているようだった。
黒く染まりかけていた翼も根元から徐々に白さを取り戻している。
「……よかった」
安堵と共に意識が遠のきかけるが、ここで倒れるわけにはいかない。
ルカたちに知られれば、彼らはきっと自分たちを責める。
(これは俺が勝手にしたことなんだから)
燕は最後の力を振り絞り、部屋を出た。
足を引き摺りながら、誰にも見つからないように館の裏手へと向かう。




