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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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スイートシュガードリーム

 視界いっぱいに広がる大きな窓の向こうにどこまでも続く、青い海と空を望むクルーズ客船『セレシアンヌ号』のスイートルーム。

 豪奢な調度品に囲まれた空間を熟れた果実の芳醇な香りが漂っていた。


 部屋の主である夫婦の護衛がどこからか調達し、押し付け……もとい差し入れていったバスケットには瑞々しい桃が鎮座している。

 淡いピンク色の果皮はベルベットのように柔らかく、甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「……いい匂い」


 バスケットを覗き込んだ司條(しじょう)明弥(めいや)の表情が意識の外で僅かに緩む。

 そのまま、そばにあった果物ナイフを手に取ろうとした瞬間、その細い手首が横から伸びてきた大きな手に掴まれた。


「待て、明弥」


「……なに? 食べちゃ駄目なの?」


「そういうわけではない。蓮絆(れん)が持ってきたものに毒などの混入を懸念する必要もないしな」


 伴侶である峠野(とうげや)(じん)は、壊れ物に触れるようでありながら、決して逃しはしない絶妙な力加減で明弥の手首を握りしめている。

 それは同性の明弥を伴侶として公然と迎えた前代未聞の暴君としての側面をそのまま象徴するようだった。


「ただ万が一にも、お前が傷つくような恐れのあることをさせたくないだけだ。俺が剥いてやる」


「……自分でできるよ、果物の皮を剥くぐらい。そんなことまでしてくれなくていい」


「俺がしたいと言っているんだ。お前はただ、そばで見ているだけでいい」


 迅は明弥からナイフを取り上げると、鮮やかな手付きで桃の皮を剥き始めた。


 一国を治める王である迅が手ずから果物の皮を剥くその姿は、本来なら甚だ奇妙な光景のはずだが不思議と様になっていた。

 無駄のない指の動き、真剣な眼差し。彼はどんな些細な行為であっても完璧にこなしてしまう。


「……もっと適当に剥いてくれていいのに」


「お前に食べさせるものに雑な真似が出来るわけないだろう」


 薄く剥かれた皮が一筋のリボンのように皿の上に落ちる。露わになった乳白色の果肉からは、滴り落ちそうなほどに果汁が滲んでいた。


 迅はそれをひと口大に切り分けるとフォークに刺し、明弥の口元へと差し出した。


「ほら、口を開けろ」


「……自分で食べる」


「手が汚れるだろう。お前は口を開けてくれるだけでいいんだ」


 逃げ場はないと言わんばかりの笑み。


 明弥は少しだけ眉を寄せたが、これ以上拒絶すればこの男はさらに強引な手段を取りかねない。

 結局、明弥は観念して口を開いた。


 口いっぱいに広がる果汁の甘さと、とろけるような食感。抗えず、僅かながら自然と口角が上がってしまう。


「……美味しい」


「そうか。それはよかった」


 明弥が咀嚼し、飲み込む様子を迅は満足げに見つめている。まるで、自分が丹精込めて育てた果実を味わうかのような目だ。

 迅にとって、明弥になにかを与えること、そしてそれを受け入れさせることは至上の喜びなのだろう。食事も、衣服も、そして愛情も。


「……フォーク貸して」


 唐突な要求に迅は言われるがまま手に持っていたそれを明弥に譲ってしまう。

 明弥は皿に残った最後の一切れに視線を向け、それを受け取ったばかりのフォークでぷすりと刺すと、今度は迅の口元へと運んだ。


 迅は一瞬、目を丸くしたが、すぐに愉悦に満ちた笑みを浮かべる。


「ほう。お前から差し出してくるとは、珍しいこともあるものだな」


「……食べたくなければ別にいいよ」


「そんなことあるわけないだろう。思わず感涙に咽びそうなのを我慢しているんだ」


「……毒見は僕が済ませたから、安心して」


「ふっ、お前が言うと冗談に聞こえないが……まあいい。愛する伴侶からの施しだ、有り難く頂こう」


 迅は明弥の手ごとフォークを軽く引き寄せ、桃を口に含んだ。

 ただ咀嚼しているだけの何気ない所作でさえ気品を感じさせる。やがて喉仏が動き、果実が彼の身体の一部へと変わる様子を明弥はじっと見つめていた。


「甘いな」


 その言葉は、果実の味への感想か、それとも明弥の行動に対するものか。


 部屋に満ちる空気は、どんな高級な果実よりも甘やかで、どこか危険な香りを孕んでいる。

 この甘美な悪夢からは、まだ覚められそうにない。

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