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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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夕暮れのオレンジとショコラ

 昼間は陽光が差し込む穏やかなカフェも、夜になればダイニングバーへと装いを変え、大人の社交場としての顔を覗かせる。


 水平線に太陽が沈みかけ、空と海が茜色と群青色のグラデーションに染まる頃。

 クルーズ客船『セレシアンヌ号』内にある『Cafe MAD HATTER』は今日の営業を終え、『Bar Duchess』へと切り替わる間際の時間だった。


「うんっ! イイ感じに固まってる! やっぱりココアパウダーをまぶしたの正解だったな〜、美味しそう☆」


 静まり返ったキッチンで一人、空川(そらかわ)莉華(りか)はルンルンとした様子でバットを冷蔵庫から取り出した。

 その容器には、チョコレートを纏ったオレンジの果皮――オランジェットが等間隔に並べられている。


 そのオレンジは、今日のランチタイムで客からいくつか差し入れされたものだった。


 今回の寄港地の名産だと知って多数購入したが、消費しきれないことに気付いたその人は、馴染みの店を営む兄妹にお裾分けしようと思い立ったのだという。


 瑞々しい果肉は兄妹で美味しくいただいたものの、質の良いオレンジだっただけに残った皮をそのまま廃棄してしまうのも忍びない。


 手間はかかるが、莉華手ずから丁寧にアクを取り、シロップで煮詰め、極上のオレンジピールに生まれ変わらせたのだ。


 そこから更に一手間加えられたことで、オレンジピールは黒と橙色のコントラストが美しいオランジェットへと進化を遂げる。


「……なんだ、果物の皮ではないか」


「うわっ!? びっくりしたぁ! も〜っ、ユメミさんってば驚かさないでよ!」


 背後から不意にかけられた声に莉華はぴょんと肩を跳ねさせたものの、振り返った先にいた人物が見知った相手であることを確認すると胸を撫で下ろす。


 そこに立っていたのは、船主の一人娘に付き従う吸血鬼、ユメミだった。

 音も無く現れることに関して、彼女の右に出る者はいないだろう。


「厨房にネズミでも紛れ込んだと思って覗いてみれば、まさか人間がゴミを飾り付けて遊んでおったとはな」


「ご、ゴミじゃないよっ! これはオランジェットっていう、由緒正しき外国のお菓子なの! お昼に残ったオレンジの皮がもったいないからリメイクしてみたんだ☆」


「フン。果物の皮など、苦くて食えたものではなかろう。わざわざそのような手間をかけてまで食うとは物好きなことよ」


 ユメミは興味無さげに鼻を鳴らすと、キッチンの奥にある酒棚へと視線を彷徨わせた。


 鮮やかな赤色の瞳が怪しく輝く。彼女の目的は明白だった。


「さてはユメミさん、また桜花(さくら)さんのコレクションを狙って来たでしょ〜?」


「儂をまるで盗っ人のように言うでない。偶然にも店主がおらぬ故、失敬する形となっておるだけだ」


「そうなの? じゃあ、一緒にコレ食べながら桜花さんが来るの待とうよ! ちょうど一人で食べるのもな〜って思ってたんだ!」


「き、貴様、なにを言っておる。それでは奴が来る前にと少しばかり早起きした意味が無くなるであろう!」


 莉華はユメミの困惑などお構い無しに、バットに乗ったオランジェットのひとつをつまみ上げ、彼女の鼻先へと差し出した。


「よくわかんないけど、これはただのオレンジの皮じゃないんだからっ! ほら、騙されたと思って食べてみて!」


 拒絶しようと顔を背けかけたユメミだったが、ふわりと漂ってきた芳醇な香りにピクリと眉を動かした。


 それは、カカオの甘い香りの奥に潜む熟成された琥珀色の液体の香り。


「……む。この香りは……」


「あ、もしかして気付いた? 流石ユメミさん! 風味を立たせるためにラム酒を振りかけてあるんだ〜」


「ほう。酒を吸わせた果皮とな……むぐ」


 半ば押し付けられるようにして、ユメミはオランジェットを口に含んだ。


 パリッとしたビターチョコレートの歯触り。

 シロップで煮詰められたオレンジピールはしっとりと柔らかく、洋酒のコクや香りがジューシーな柑橘の甘味と苦味に奥行きを出している。


 口内の温度で溶け出したチョコレートが、噛み締めるとじわっと香りが染み出すオレンジと混ざり合う。


 それはまさに、大人の嗜好品と呼ぶにふさわしい味わいだった。


「こんなもので儂を餌付けしようとは……」


「え〜っと……お口に合わなかったかな……?」


 不安げに覗き込む莉華を尻目に、ユメミは口の中に残る余韻を愉しむように目を細めた。


「これをゴミと称したことは詫びよう。この味わいはジンやウイスキー……ブランデーとも良き相棒となりそうだ」


「でしょ〜! あたしの自信作なんだからっ☆」


「では、此奴を肴に一杯やるとするか。これに見合う洒落た皿などは無いのか」


「いいねいいね〜! でも待って! あたしたちで全部食べちゃう前に……」


 莉華はトングで器用にオランジェットを掴むと、用意した透明な袋へと手際よく詰めていく。


 最後に桜のようなピンク色のリボンをキュッと結んでラッピングを完成させた。


「はい、これ。桜樹(おうじゅ)ちゃんへのお土産!」


「桜樹にだと?」


「うんっ。桜樹ちゃんにも是非食べてほしいな〜って! 糖分補給にもちょうどいいと思うし☆」


 差し出された小袋をまじまじと見つめるユメミ。

 中には艶めくオランジェットが宝石のように収まっている。


 いつも仏頂面で踏ん反り返っている小さな主を思い浮かべたのか、ユメミはほんの一瞬、口を噤んだ。


「……フン。あやつにはまだ、酒の風味の良さなどわかるまい」


「そーゆー意地悪言わない! ユメミさんが美味しいって認めた味なら、きっと桜樹ちゃんも喜ぶと思うんだっ」


 莉華の屈託のない言葉にユメミはバツが悪そうに視線を逸らした。


「……まあよい。貴様がどうしてもと言うのなら預かっておいてやろう」


「そう言って、一人で食べたりしたらダメだからね?」


 ユメミが莉華から小袋を受け取ったその時だった。


 店の外の廊下から、コツ、コツ、と規則正しい足音が近づいてくるのが二人の耳に届く。


 ユメミの眉がピクリと動いたかと思えば、さっと顔色が変わった。


「……む、この足音と気配は……あの女狐か!」


「えっ? 桜花さん? もうそんなに経ってたんだ〜」


「くそ、奴の不在時を狙って忍び込んだことが露見すれば、厄介なことにしかならん……儂は退散させてもらうぞ!」


 ユメミは言うが早いか身を翻すと、文字通り煙のように姿を消してしまった。


 あまりに突然の出来事に莉華は呆然と立ち尽くすが、我に返ったように彼女の本来の目的を思い出す。


「あれっ? ユメミさん、お酒はいいの〜!?」


 莉華が声を上げるが、返事は無い。


 直後、カランコロンとドアベルが鳴り、店の玄関が開く。


「あら。随分と賑やかね、莉華さん。さっきまでどなたかいらっしゃったのかしら」


「いえ! なんにもないですよ! ただちょっと、お菓子のお裾分けをしてただけです!」


「ふふ……そう。それはそうと美味しそうなオランジェットね。あたくしにもおひとつ分けてもらえるかしら?」


「もちろんです!」


 今頃、あの気ままな吸血鬼は主のもとへ思わぬ戦利品を届けているだろうか。

 その光景を想像し、莉華は独りでに笑みを溢した。


「さてと! あたしも片付けをして上がりますねっ、桜花さん」


 『Cafe MAD HATTER』から『Bar Duchess』へ。

 ほろ苦いオレンジの香りを残して夜の帳が下りていくのだった。

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