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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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楽園

 重厚な扉が音もなく閉ざされると、外界から遮断された空間は甘美で淀んだ空気に満たされる。


 『エデン』。


 クルーズ客船『セレシアンヌ号』において、ごく一部の好事家たちだけがその名を口にする。

 船旅の喧騒が決して届くことのないこの部屋は、金と欲望で塗り固められた背徳の楽園だ。


 鷹中(たかなか)柊生(しゅう)は鏡の中に映る己の姿を冷ややかな目で見つめた。


 整った顔立ちを縁取る白い髪。

 髪の隙間から覗くのは、最早人のものではない瞳だった。

 虹彩が縦に裂けた金色の双眸は、爬虫類のように冷酷な光を宿す。


 はだけたシャツの襟元から覗く胸元や頬には白く硬質な鱗が薄っすら浮き上がっている。


  『白蛇の侵蝕』。それが彼に与えられた能力であり、呪いであり、そしてこの船における最高級の商品価値だった。


 特注のシャツは肩甲骨のあたりが大きく開いており、そこから純白の皮膜を持つ翼が広がっている。

 鱗と羽毛が混じり合ったその翼は、聖なるものとも魔なるものともつかぬ異様な美しさを放っていた。


 臀部から伸びた尾が苛立ちを表すように床を叩く。


「……準備出来てるか、茉莉(まつり)


 柊生が鏡越しに短く問いかけると、部屋の中央、天蓋のレースに覆われた広いベッドの上に佇む鷹中(たかなか)茉莉(まつり)は「うん」と小さく頷いた。


 彼女の背には柊生のものとは似て非なる、鳥のそれを思わせる純白の羽毛に覆われた翼が広がっている。


 一枚一枚の羽根が柔らかに輝く白き翼と、頭上に浮かぶ淡く光を放つ光輪は彼女の能力『熾天使の顕現』によるものだ。


 天使と悪魔、あるいは聖女と竜。

 本来であれば対極にあり、相容れるはずのない二つの異形が双子の姉弟としてこの高貴な鳥籠の中に並び立っている。


 その光景は神の悪戯と呼ぶにはあまりに残酷で、芸術的なまでに完成されていた。


 柊生は鏡から視線を外し、無造作な足取りでベッドへと歩み寄ると茉莉の顔を覗き込む。

 儚げで、触れれば壊れてしまいそうな硝子細工のような少女。


 彼女の乱れた前髪がわずかに瞳にかかっているのが気になり、柊生は自身の指先でそれを直した。


 彼女はなにも言わない。

 ただ、透き通るような銀色の瞳を少しだけ潤ませて弟を見上げただけだ。


 指先が彼女の滑らかな肌に触れると、柊生の胸の奥でどす黒い感情が渦を巻く。


 ――茉莉を、誰にも触らせたくない。


 それが本音だ。

 この柔らかい肌に、甘く香る白い髪に、無垢な翼に触れていいのは自分だけであるべきだ。


 姉を守りたいという純粋な庇護欲と誰の目にも晒したくないという昏い独占欲が、体内で疼く竜の本能と混じり合って暴れそうになる。


 だが、今の彼らは商品だ。

 二人が平穏無事に過ごすためには、客に奉仕し、欲望を満たすことの他に選択肢は無い。

 その事実が柊生の矜持をささくれ立たせる。


「……顔色悪いぞ。しっかりしてくれよな、姉貴。俺たちは二人でひとつの商品なんだからな」


 湧き上がる感情を押し殺し、わざとらしくぶっきらぼうに告げると茉莉はふわりと微笑んだ。


 それは教会の聖画から抜け出してきたかのような、慈愛に満ちた、しかしどこか諦観を帯びた空虚な笑みだった。


 彼女はそっと手を伸ばし、柊生の頬に薄く浮いた鱗に触れる。

 人間ならざる冷たい感触に彼女は怯むことなく、ただ愛おしげに指を滑らせた。

 

「柊生だって、人のこと言えないよ」


 冷たい頬に伝わる、肌を焦がすような彼女の温もり。

 その指先に込められた弟を思う姉としての痛いほどの気遣いは、柊生の欲心を無邪気につつく針先のようだった。


 彼女にとって柊生はいつまでも守るべき大事な双子の弟なのだ。


 コン、コン、コン。


 不意に『エデン』の扉を叩く音が響く。

 重く、無遠慮で、品の無いノックの音。


 それが双子を二人だけの世界から現実へと引き戻す合図だった。


 客が来る。

 多額の金を払い、この閉ざされた楽園で神の真似事をして遊ばんとする愚かな人間が。


 瞳孔がすうっと細まり、全身を巡る血が急激に冷えていくような感覚。

 感情のスイッチを切り替え、"最高級商品"としての臨戦態勢に移行する。


 白竜と天使はいつものように客を出迎えるべく、示し合わせたように扉の正面に並んで立った。


 ……来いよ。相手してやる。


 この身が異形に蝕まれようと、商品として消費されようと、魂まで売り渡すつもりはない。


 柊生は口元を歪め、獰猛な笑みを浮かべた。


 それは客への媚びではない。

 愛する姉を傷つけ、奪おうとする世界すべてに対する、声の無い咆哮だった。


 ガチャリ、と重い金属音を鳴らして扉を開くと、不快な香水の匂いが鼻腔を突いた。

 廊下から差し込む照明の光が二人の異形の姿を照らし出す。


 今宵も『セレシアンヌ号』の最高級商品としての時間が幕を開ける。

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