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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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31/44

上に立つ者として

 優雅な昼下がり。デッキには柔らかな陽光が降り注ぎ、潮の匂いと規則的な波音が午睡を誘う。


 しかし、そんな平穏など知った話ではないと言うように、小さな靴音がカツカツとクルーズ客船『セレシアンヌ号』の廊下を鳴らしていた。


「いい? パパの名代として桜樹がアナタの面倒を見てる限り、スケジュールに一寸の乱れも許さないのよ」


 二つに結い上げた桜色の髪を揺らし、口をへの字に曲げた仏頂面で歩くのは、この船の所有者の一人娘である神集島(かしわじま)桜樹(おうじゅ)だ。


 彼女の数歩後ろには、気怠げな様子を隠さない少年と傍らに寄り添う黒い毛並みをした狼が続いている。


 ちなみに狼は、それが当然であるかのようにきちんとTPOを弁えた服を着ている。

 ネクタイまで締めているのが滑稽にも様になっていた。


「はいはい。わかってるよ」


「“はい”は一回でいいのよ。まったく、アナタって人は緊張感が無いのよ」


 桜樹はくるりと振り返り、小さな指を少年に突きつけた。

 数十センチ上を見上げる形になるが、その態度はあくまで尊大だった。


 彼女にとってこれは単なる世話焼きではない。

 偉大な父の代理として、目の前のピアノ弾きを立派にマネージメントする使命を背負っているのだ。


「今日はホールで演奏する予定になってるのよ。リハーサルまでまだ時間に余裕があるから、その間に腹ごしらえを済ませておくのよ。お腹が空いてるせいで上手に弾けなかったなんて言い訳はさせないんだから」


「はいはい。じゃあ、適当にサンドイッチでも食べてくるよ……」


「駄目なのよ! アナタはいつもそうやって簡単に済ませようとしてよくないのよ。だから今日は桜樹が食べさせてあげるのよ」


 桜樹はフン、と尊大な態度で鼻を鳴らすと、用意周到に手配していた個室へと彼らを案内した。


 テーブルの上に並ぶのは、不摂生なピアノ弾きのために彼女が選んだ上品なランチコース。


 そして床に置かれた大きな銀の皿には――血が滴るような、最高級の生肉の塊が山と積まれていた。


「さあ、遠慮せず食べていいのよ! そっちのワンちゃんには、厨房に無理を言ってA5ランクの牛肉を用意させたのよ。桜樹たちだけ美味しいものを食べて、この子はドッグフードなんて可哀想だもの」


 桜樹はドヤ顔でピアノ弾きと狼に胸を張ってみせた。


 これで文句などある筈がない。

 ペットの食事にまで気を遣って、まさに一流の管理者と言える働きをしたのだから。


 しかし彼女の予想に反して個室に流れたのは、重苦しい沈黙だった。


「…………」


 狼は目の前の高級生肉を見つめ、ピクリとも動かない。

 むしろ、その表情は「マジかよ」と言いたげに引き攣っているようにも見える。


 ピアノ弾きはこめかみを押さえ、深い溜め息をついた。


「……あのさ」


「な、なによ。量が足りなかった? それとも骨付きがよかったのかしら?」


「いや、そうじゃなくて。コイツ、生肉は食わないんだよ」


「は? なんで? ワンちゃんなのに?」


 桜樹の瞳が驚愕に見開かれる。


 何年も前の朧げな記憶だが、祖父母が飼う犬は生肉を美味しそうに食べていた。

 それだから今回こうして用意したというのに、この立派な狼が最高級の生肉に食い付かないなんてことがあるだろうか。


「コイツは……その、なんていうか。お腹がデリケートなんだよ。だから人間と同じものしか食べなくて」


「お、お腹がデリケート……?」


 桜樹は狼を凝視した。


 狼は「そうだそうだ」と頷くかのように大きく縦に首を振り、テーブルの上のパンを物欲しそうに見つめている。


 ……このワンちゃんは、すっかり野生を忘れてしまったようだ。


 桜樹の中で、完璧だった筈の計画がガラガラと崩れていく。


 犬が生肉を食べないなんて計算外だ。

 これでは気が利かない子供だと思われてしまう。父の顔に泥を塗るような失態だ。


「ぐぅ……計算違いだったのよ。すぐに片付けさせるから……」


 桜樹が悔しさに唇を噛み、呼び鈴に手を伸ばそうとした時だった。

 ピアノ弾きがすっとその手を遮った。


「待って。別に食べないとは言ってないでしょ」


「え?」


「生じゃ食べないってだけで……あ、すみません。これ焼いてもらえますか?」


 ピアノ弾きが通りかかった給仕に皿を渡すと、やがて戻ってきたのは香ばしい匂いを漂わせるサイコロステーキだった。


 狼は尻尾を振らんばかりの勢いで、嬉々として肉にかぶりついている。


「……焼けば食べるなんて、随分と人間かぶれなワンちゃんなのよ」


「はは……そうだね。でも、コイツのことまで考えて用意してくれたのは……まぁ、その、礼を言うよ」


 ピアノ弾きが、ふと表情を緩めてそう言った。


 天の邪鬼な彼らしい言い方ではあるが、素直に感謝を示すとは珍しいこともあるものだ。


 桜樹はカッと頬が熱くなるのを感じた。


「べ、別に! アナタたちのためじゃないのよ。仕事のパフォーマンスを上げるための、あくまで投資なんだから! 勘違いしないでよね!」


「はいはい」


「……でも、次はもっとリサーチしておくのよ。淑女として同じ失敗は二度も許されないもの」


 桜樹は咳払いをして自分たちの食事に向き直った。


 焼きたての肉の匂いと、満足げに食事をする一人と一匹。

 予定とは少し違ってしまったが、この穏やかな空気は悪くない。


 目の前で「(ゆい)、野菜も食べなよ」と自分の皿から人参を差し出すピアノ弾きを見て、桜樹は小さく笑った。


(つばめ)、アナタも好き嫌いせずに食べるのよ。子供じゃないんだから」


 目敏い桜樹の指摘にピアノ弾きは顔をしかめると、渋々と皿の隅に寄せられた人参を口に運ぶ。


 こうして奇妙なランチタイムは賑やかに過ぎていくのだった。

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