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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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水面に映る月の下

 夜の帳が下りた『セレシアンヌ号』のデッキは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 視界に広がるのは、黒く冷たい果ての無い水平線。


 規則的な波音だけが響く中、峠野(とうげや)(じん)は眉間に僅かな皺を寄せ、伴侶の姿を探していた。


 ほんの少し目を離した隙にふらりと姿を消してしまったのだ。


 元来、彼が人混みを好まないことを知っている迅は、人気の無い静かな場所に目星を付けて船内を巡っているところだった。


「まったく……隠れんぼが好きだな、あいつは」


 呆れながらもどこか楽しそうに優雅な足取りで角を曲がったその時、迅の視界に見覚えのある白い影が飛び込んできた。


 海風に煽られる白い髪、銀色の瞳。

 小柄で儚げなその少女は、迅の姿を認めると驚いたように目を丸くする。


「えっと……迅さん、こんばんは」


 鷹中(たかなか)茉莉(まつり)だ。彼女は恭しく一礼をするが、その表情には微かな緊張が見て取れる。


 迅は瞬時に表情筋を制御し、無意識に緩んでいた顔に好青年然とした笑みを浮かべた。


「茉莉か。こんなところで会うとは奇遇だな」


「ふふ、そうですね。迅さんはこんな時間にお散歩ですか?」


 上目遣いで小首を傾ける目の前の少女を値踏みするように、迅の瞳が細められる。


「そんなところだ。ついでに明弥(めいや)を探しているんだが、見かけてないか?」


「明弥くんは見てないですけど……私も弟の姿が見えなくて、探してたところなんです」


 彼女の弟。それは迅の伴侶にとって唯一の友人と言ってもいい、鷹中(たかなか)柊生(しゅう)のことだ。


 迅は内心で舌打ちをしながら、ひとつの仮説を立てる。


 ……伴侶と彼女の弟は今頃、自分たちの目を盗んで二人でどこかへ潜り込んでいるのだろうか。


「そうか。もしかすると、俺たちの探し人は一緒にいるのかもしれないな」


「確かに、そうかもしれないですね。柊生と司條(しじょう)く……明弥くんは昔から仲がいいから」


 弟の友人関係を微笑ましそうに話す茉莉とは対照的に、迅の心は次第に冷え込んでいく。


 迅は一歩、茉莉との距離を詰めた。


「とは言え、俺たちから隠れて密会をしているとなると、少し行き過ぎな気もするが」


「二人とも自分のことを他人に話すタイプじゃないですからね……こうやって勝手にいなくなるのは心配だからやめてほしいけど」


 困ったように眉を下げながらクスクスと笑うような仕草をする茉莉。

 そんな彼女に向かって、迅はさらに一歩踏み込む。


 それに気付いた茉莉は徐々に近づく迅から距離を取るように、さりげなく数歩後ずさった。


「まったくだ。俺たちが軽んじられているのではなければいいんだがな」


「あんまり構い過ぎても子供じゃないって怒られちゃいそうですし、難しいですね」


 会話の裏で繰り返される一進一退の攻防は長くは続かず、茉莉をデッキの手摺りへと追い詰める形で決着がついた。


 迅の長身が小柄な彼女を影のように覆い隠す。


「あの……迅、さん?」


 自分の状況に気付いた彼女の頬が朱に染まっていく様子を、迅は静かに見下ろしていた。


「なんだ、茉莉」


「その……ちょっと、距離が近いんじゃないかな……と」


 伴侶の親友の姉。

 迅にとっては有象無象の一人でしかないが、彼女の弟にとってはそうではない筈だ。


 ――お前が俺から明弥を奪うというのなら、こちらはお前から姉を奪わなければ礼儀に欠くというものだろう。


 迅はふっと微笑んで、茉莉の頬にかかった白い髪を指先で掬い上げた。


「置き去りにされた者同士、少しばかり彼らに焼き餅を焼かせてもいいとは思わないか?」


 まるで貴重な宝石に触れるかのような指先とは裏腹に、その瞳の奥は冷え切っている。


 茉莉は身を固くし、逃げ場を失った小動物のように視線を彷徨わせた。


「焼き餅って……そんな、子供みたいなこと」


「お前は可愛らしいな。柊生が囲いたくなる気持ちもわからなくはない」


「えっと……揶揄わないでください……どう反応したらいいか」


「揶揄ってなどいない。俺は思ったことを述べたまでだ」


 確かに嘘ではないが、本心でもない。ただの事実の羅列。


 今の迅にとって彼女の価値は意趣返しのための道具、それ以上でもそれ以下でもない。


「俺の伴侶とお前の弟が戻ってくるまで、こちらも仲良くさせてもらうとしようか。二人きりで」


 迅の手が茉莉の華奢な肩を掴み、引き寄せる。

 その力加減は優しく、しかし拒絶を許さない強引さを孕んでいた。


 茉莉の心臓が早鐘を打つ。

 彼女は“最高級商品”という立場上、多くの視線を浴びてきたが、この男の視線は異質だ。


 熱を帯びているようでいて、どこか底知れない空虚さがある。


「お茶をするぐらいなら……付き合います、けど……」


 目を伏せ、震える声で答える茉莉に、迅の口元は満足げに弧を描いた。


 もしも伴侶がこの状況を知ったらどのような反応を見せるだろうか。


 そんな期待に胸を膨らませながら、迅は慣れた様子で目の前の女の手を取り、エスコートするのだった。

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