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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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まじょのかいぶつたいじ

 クルーズ客船『セレシアンヌ号』の夜も更け、喧騒が波音に溶けていく頃。


 “CLOSE”の札が下げられた『Bar Duchess』には、まだ一人の客が残っていた。


 磨き上げられたカウンターの奥、グラスを拭く館那谷(たてなた)桜花(さくら)のオッドアイが目の前の客を捉え、穏やかに細められる。


「ユメミさん。今宵は随分とお一人での夜遊びが過ぎるのではなくて?」


「つれないことを言うのう、桜花(さくら)。部屋へ戻ったとて、主は夢の世界へ旅立っておるのだ。慣れておっても独りとは寂しいものであろう?」


 カウンターの高い椅子に座り、優雅に足を組むユメミは、片付けをする店主を眺めながらロックグラスを揺らした。

 中身は琥珀色のウイスキー。氷がカランと音を立てる。


 桜花を見る鮮やかな赤色の瞳には、悠久の時を生きる者だけが持つ深淵が宿っている。


「それにしても、貴様を見ておると時折わからなくなるわ。……儂と貴様、どちらが人外の怪物なのかとな」


「まあ、人聞きが悪いですこと。あたくしは正真正銘、か弱き人間でしてよ?」


 桜花は心外だと言わんばかりに小首をかしげた。

 その仕草一つとっても、計算され尽くした完璧な美しさがある。


 とても成人した息子がいるとは思えない年齢不詳の美貌に、均整のとれたプロポーション。


 彼女はただそこにいるだけで、周囲の空気を支配するようなオーラを放っていた。


「か弱い、か。……先ほどの客へのあしらい、見事であったぞ。酔って絡む大の男を指先一つ触れず、言葉巧みに退散させるとはな」


「お客様は神様ですもの。手荒な真似はいたしませんわ。ただ、作法を知らない神様には、礼儀を教えて差し上げるのが淑女としての勤めでしょう?」


 桜花は色違いの瞳を妖しく輝かせ、ふわりと微笑んだ。

 かつて、画面越しに何百万人もの視線を釘付けにしてきた笑み。


 それが今は、たった一人の吸血鬼に向けられている。


「フン。その眼力、吸血鬼の魅了(チャーム)にも引けを取らん。やはり貴様、人の皮を被った魔女であろう」


「ふふふ、魔女だなんて素敵な響き。でも、ユメミさんに比べれば、あたくしなんてまだまだですわ」


 桜花は手を止め、カウンター越しにユメミを見つめ返した。


「ユメミさんこそ、その愛らしいご尊顔でどれだけの酒を飲み干せば気が済みますの? 先ほどからボトルが三本空いていましてよ」


「酒は血の代わりだ。これくらいで驚くでない」


「それに、そのお姿……初めてお会いした時から、貴女は一日たりとも歳を重ねているように見えませんわ。永遠の時を生きるというのは、どのような気分なのかしら」


 桜花の声には、純粋な好奇心と、ほんの僅かな羨望が混じっているように聞こえた。


 美を売る商売をしていた彼女にとって、老いとは無縁のユメミの存在は、ある種に究極の理想形なのかもしれない。


「退屈なものよ。……だが、こうして貴様のような面白い女が注ぐ酒があるなら、悪くはない」


「あら、それは光栄ですこと。では、もう一杯お飲みになりまして?」


「うむ、聞くまでもなかろう。貴様の奢りで頼むぞ」


 ユメミが当然のように言うと、桜花は指先で口元を隠し、冷ややかな視線を向けた。


「……あら? ユメミさん。先ほどあたくしが申し上げたことを覚えていらして? “作法を知らない神様には礼儀を教えて差し上げるのが淑女の勤め”と」


「む? それがどうかしたか?」


「お分かりと思いますけど、随分とツケが溜まっておりましてよ? 永遠の時を生きる吸血鬼様なら、利子も永遠に払っていただけるのかしら?」


 桜花がカウンターの下から取り出したのは、分厚い革表紙の帳簿だった。


 そこには、ユメミがこれまでに飲み明かした酒の代金が日時や注文まで詳らかに記録されている。


「……ぬ、ぬう。儂は金など持たん。桜樹(おうじゅ)にツケておけと言っただろう」


「桜樹ちゃんの教育上、これ以上は看過できませんわ。さあ、どういたしましょう? 今夜は皿洗いでもしていただきましょうか?」


 桜花はニッコリと、しかし目は笑っていない笑顔で迫る。

 その迫力は、吸血鬼の威厳をも凌駕していた。


「……ち、近いうちに儂の自慢の宝をくれてやる! だからその帳簿を仕舞え!」


「ええ、お待ちしておりますわ……期限は次の満月まででよろしくて?」


 ユメミは残りのウイスキーを一気に煽ると、逃げるようにコウモリの姿に変身し、換気口へと飛び去った。


 後に残されたのは、満足げに帳簿を閉じる桜花と静寂だけ。


「まさか吸血鬼を撃退するのが、十字架でも聖水でもなく帳簿だなんて……可笑しな話ね」


 桜花は小さく呟くと、愛おしそうにグラスを磨き続けた。

 その横顔はどんな魔性よりも美しく、そして強かだった。

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