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終末は旅客船で踊り続ける  作者: 成多摩せせり


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魔法の指先

 クルーズ客船『セレシアンヌ号』の片隅に、こぢんまりと店を構える『Cafe MAD HATTER』。

 兄妹が営むその店の一角には、店舗の規模にやや不釣り合いなグランドピアノが据えられている。


 “CLOSE”の札が下げられた今の時間、客の姿はない。

 窓から差し込む夕陽を避けたテーブル席で兄妹の片割れである空川(そらかわ)莉華(りか)と、その友人の鷹中(たかなか)茉莉(まつり)は色とりどりの小瓶を広げていた。


「じゃ〜ん! 今日はあたしの自慢のマニキュアを持ってきたよ☆ これで茉莉ちゃんの爪をかわいくしちゃうんだからっ」


「わぁ、どれも綺麗だね。このピンク、なんとなく莉華って感じする」


 茉莉は小瓶をひとつひとつ摘まんでは、持ち上げて眺める。その銀色の瞳は少しわくわくしているように見えた。


 『セレシアンヌ号』の最高級商品としての品位を求められる彼女にとって、イメージを損なう装飾は本来なら御法度だ。

 けれど、すぐに落とせるマニキュアなら……と、今日は親友の提案に乗って、ほんのひと時のおしゃれに興じることとなった次第である。


「ほんと? この中だと、そのピンクが一番お気に入りなんだよね〜。茉莉ちゃんってば、あたしのことわかってる〜☆」


「ふふ、それなりに長い付き合いだもん」


「う〜ん……茉莉ちゃんにはどんな色も似合いそうだけど、やっぱりコレかなぁ〜っ。薄い水色!」


「莉華も私のこと、よくわかってるね。私もその水色が一番かわいいと思ってたんだ」


 茉莉が華奢な手を差し出すと、莉華はその指先を丁寧に自分の手に乗せた。


 華やかなメイクやファッションで飾った外見に似合わず、莉華の爪は手入れこそされているものの、なにも塗られていない桜色だ。

 それに気付いた茉莉は、疑問が口を衝いて出そうになったが、飲食業に従事する莉華が思うままにネイルアートを楽しむのは難しいことなのだと悟り、咄嗟に言葉を飲み込んだ。


「茉莉ちゃんの爪、形が綺麗だよね~。塗り甲斐があるよっ!」


「そうかなぁ? 自分では子供みたいな手だなーって思うんだけど……私は莉華の細くて長い綺麗な指が羨ましいよ」


「え〜っ!? 茉莉ちゃんの小さくて女の子らしい手のほうがかわいくて絶対いいのに〜!」


 軽口を叩きながら、莉華は淡い水色のマニキュアを筆に取る。今し方、彼女が熟考を重ね、茉莉のために選んだ色だ。

 同時に、マニキュア特有の甘いような、少しツンとした香りがふわりと漂う。


「ん……冷たくて、少しくすぐったい」


「動いちゃダメだからねっ。あ、そうだ。この前、(つばめ)くんがウチでピアノを弾いてくれたんだけどさ……」


 筆を動かしながら、莉華は日常の些細なニュースを話し始める。

 先日聴いたピアノ弾きの演奏が素敵だったこと、兄の癒華(るか)が新作ケーキの試食で太りそうだと嘆いていたこと。


「あははっ。癒華くんがそんなこと言うなんて」


「お砂糖の量とか種類をこだわってたら、たくさん作りすぎちゃったんだよね〜。でも、少し食べて捨てちゃうのも勿体無いでしょ?」


 他愛のないお喋りをしているうちに、茉莉の十本の指は、透き通るような水色に染め上げられた。

 さらに莉華は、アクセントとして薬指にだけ小さな銀色のラメを乗せる。


「はいっ、完成~! どう? 茉莉ちゃんの瞳の色とお揃いだよっ」


 茉莉は手を顔の高さまで上げ、照明にかざしてみた。

 指先がキラキラと光を反射する。たったそれだけのことなのに、自分が少しだけ新しく、強くなったような気がした。


「わぁ……すごく綺麗。まるで魔法みたい」


「えへへ〜、あたしにかかればこんなもんなんだから!」


「ありがとう、莉華。落とすのが勿体無いなぁ……」


 茉莉が名残惜しそうに呟くと、莉華は片付けの手を止めて、優しく微笑んだ。


「大丈夫だよ。落としちゃっても、またあたしが塗ってあげるから。次はピンクにする?それとも大人っぽくボルドーとか? 茉莉ちゃんにはネイビーも似合いそ〜っ」


「うーん……どれも捨て難くて迷っちゃうな」


「いっぱい迷っていいよっ。あたしたちは、これからもずっと一緒なんだからね!」


 莉華の明るい声が、店内の空気を揺らす。


 この水色の爪は“商品”としての茉莉にはそぐわないものかもしれない。

 けれど、今この瞬間だけは彼女にとって、なににも変え難い宝物だ。


 ……次は何色にしてもらおうかな。


 そんな小さな楽しみが、茉莉の明日や明後日をなによりも輝かせる、とびきりの魔法となるのだった。

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