白い火花《前編》
その日、世界を巡るクルーズ客船『セレシアンヌ号』の巨体は、海底火山が爆発したかのような激しい衝撃によって大きく揺れた。
優雅なランチタイムを楽しんでいた乗客たちは悲鳴を上げ、傾いたグラスや食器は落ちて砕け散る。
船内は瞬く間に騒然となった。
エンジントラブルか、あるいは座礁か。
乗組員たちが青ざめて走り回る中、ただ一人、その衝撃の正体を館那谷幸宗は正確に察知していた。
混乱するラウンジの喧騒を背に、顔色を変えて目的の部屋へ足を向ける。
「……チッ、なにがあったってんだ」
幸宗は舌打ちし、優雅な足取りを捨てて廊下を駆ける。
彼が向かう先は、一般客が決して立ち入ることのできない船の深奥。
選ばれた者だけがその扉を開くことを許される『エデン』と呼ばれる場所だった。
部屋に近づくにつれ、空気は乾燥し、肌を刺すような静電気と熱波が混ざり合い、重苦しい圧迫感となって押し寄せてくる。
廊下の照明が明滅し、壁の装飾が焼け焦げたような臭いを放つ。
「おいおい、冗談じゃねェぞ……船を沈める気か」
途中、『エデン』を監視する付き人とすれ違うが、その二人はただ突っ立ったまま、幸宗を引き止めることはなかった。
ようやく扉の前まで辿り着くと、幸宗は電子ロックを自身の権限で強制的に解除し、勢いよく蹴り開けた。
「やめろ、テメェら……! テメェらの姉弟喧嘩は洒落にならねェんだよ、船が壊れる!」
轟音。
そして、視界を焼き尽くすような閃光。
そこはもはや、見慣れた“楽園”の体を成してはいなかった。
部屋の中央、家具がなぎ倒され、壁紙が焼け焦げた空間で、二つの異形が対峙している。
片方は、背中から純白の翼を広げ、頭上に光輪を輝かせる少女――鷹中茉莉。
さながら熾天使の如きその身からは、陽炎が立つほどの高熱を発し、銀色の瞳は悲痛な怒りに染まっている。
もう片方は、白い鱗混じりの翼と尾が白竜を彷彿とさせる少年――鷹中柊生。
彼の周囲にはバチバチと青白い雷光が走り、金色の瞳は蛇のように鋭く姉を睨み据えていた。
「うるさいっ! 幸宗くんはどこか行ってて!」
茉莉が叫ぶ。
その可憐な唇から放たれたとは思えない粗野な言葉に呼応するように、部屋のあちこちに燃え移った青白い焔が火力を増す。
「幸宗、邪魔すんな。これは俺と茉莉の問題だ」
柊生もまた、引く様子はない。
全身に電光を纏い、バチバチと空気を爆ぜさせながら、姉である茉莉を睨み据えていた。
二人は幸宗の制止など意に介さず、再び衝突しようとする。
「あなたには関係ないのに、なんであんなことするの……!?」
「関係なくねーよ! 大体、あんなガラクタいつまで持ってるつもりだ!」
青白い雷光が嘲るように走り、床に散った青白い焔が揺らめく。
「ガラクタじゃない……! 私の大切なものだってわかってるでしょ!」
「ああ、そうだったな! 俺の呼ぶ声も聞こえないぐらい、あのゴミに愛情を注ぐので忙しかったみたいだもんな!」
会話は成立していなかった。
ただ、互いの日頃から溜まった不満を、破壊的なエネルギーに変換してぶつけ合っているだけだ。
ドン、と再び衝撃波が走り、船体が悲鳴を上げる。
これ以上はまずい。
「……ハッ、いい度胸だ。俺の話を聞かねェってんなら、躾が必要だなァ?」
言葉で説得出来る段階はとうに過ぎている。
幸宗は扇を懐にしまうと、躊躇うことなく嵐の中心へと足を踏み入れた。
熱波が幸宗の肌を焼き、放電が彼の神経を撫でる。
しかし、そんなことに構うことなく彼は顔色一つ変えずにズカズカと二人に歩み寄った。
そして、あろうことか素手で、帯電する柊生の首根っ子と高熱を発する茉莉の肩を強引に抱き寄せたのだ。
ジュ、と皮膚を焼く音と、肉が焼ける異臭が鼻をつく。
同時に、骨の髄まで焼き切るような紫電が幸宗の全身を駆け巡った。
「「なっ……!?」」
双子は同時に息を呑み、動きを止める。
常人であればショック死してもおかしくない激痛。
脳が警鐘を鳴らし、全身の筋肉が悲鳴を上げる。
だが――幸宗は眉一つ動かさなかった。
「……っ、ハハッ、二人揃って鳩が豆鉄砲を食ったみてェな顔しやがって」
脂汗一つ見せず、彼は二人の耳元で不敵に笑って見せたのだ。
「……ゆ、きむね……くん?」
「お前……っ!」
幸宗の予想外の行動に、茉莉と柊生は動きを止める。
彼は焼ける茉莉の肩と痺れる柊生の首根っこに力を込め、二人を自身の顔のすぐそばまで引き寄せると、低く、ドスを効かせた声で囁いた。
「俺が実力行使に出る前にその拳を収めな。それとも、二人仲良く洗脳コースがお好みか?」
甘い、花の香りが漂った気がした。
それが幸宗の超能力の予兆であることを、腕の中の姉弟は理解しているはずだ。
この香りを吸い込めば瞬く間に自我を失い、彼の命に従うだけの操り人形へと成り果てる。
「……チッ」
「……ごめんなさい」
柊生が舌打ちをし、纏っていた雷撃を霧散させる。
茉莉もまた、燃え盛る焔を収束させ、項垂れた。
部屋には、地に足をつける人間の姿に戻った二人と、焼け焦げた臭い、そして静寂だけが残される。
幸宗は二人から手を離すと「やれやれ」と芝居がかったため息をつき、熱傷で赤く爛れた両手をひらひらと振った。
「さて……説教の時間といこうかねェ」




