白と黒の二重奏
「兄ちゃん、兄ちゃん! 試作のケーキがチョーいい感じに出来たから見て!」
昼と夜が入れ替わる空白の時間帯。店内に流れるジャズの調べに、食器の触れ合う音と少女の弾んだ声が重なる。
クルーズ客船『セレシアンヌ号』の一角にある『Cafe MAD HATTER』。
そのキッチンから揚々と顔を出し、空川莉華は兄を呼びつけた。
カウンターでカトラリーを整えていた空川癒華は、わざとらしく小さく溜息をつくと、手元の作業を止める。
「……莉華。片付けをしてたんじゃないのか」
「まあまあ、固いこと言わないでよ〜。兄ちゃんがコレを見てくれたらするから! ほら、早くっ」
癒華が仕方なくキッチンの入り口を潜ると、勢いよく皿が差し出された。
その皿の上には、雪のように真っ白なムースケーキが鎮座している。
癒華はその手のひらサイズの白い円柱状の塊をまじまじと観察した。
「……随分と白いね。まるで雪原だ。これはなにか意図があるのかい?」
「よくぞ聞いてくれました! コレはね〜、今を時めく五人組のスーパーアイドルグループ『Alice』の金剛泪くんをイメージしてるのっ!」
腰に手を当てて、莉華は得意げな表情で天井を仰いだ。
彼女が『Alice』、その中でも取り分け“金剛泪”というメンバーにご執心なのを、癒華は嫌というほど知らされている。
暇さえあれば動画を見せられ、新曲の歌詞を解説され、挙句の果てに、こうして彼のイメージに合わせたケーキの感想を求められるのだから。
「泪くんのメンバーカラーは白! だから、純白のムースにしたの。雪みたいに儚げで、でも芯のある甘さが、まさに泪くんそのものって感じでしょ?」
「はいはい。それで、味にもちゃんと気を遣ってるんだろうねぇ? 見た目だけ凝ったハリボテのケーキなんて論外だよ」
「も〜。兄ちゃんってば、あたしを甘く見過ぎ! そんなの言われるまでもないんだからっ」
癒華はスプーンでムースを掬い、口へと運んだ。
滑らかな舌触りと共に、濃厚なミルクの香りとバニラの風味が広がる。確かに美味だ。
しかし、癒華は表情を動かすことなく淡々と評した。
「ただただ、甘いね」
「そんなの、ケーキなんだから甘くて当たり前じゃん」
「味が単調なんだよ。泪くんがどれほど素晴らしい王子様なのかは知らないけど、これじゃあただの甘ったるいだけの夢だ。現実味がない」
癒華の容赦ない言葉に、莉華は頬を膨らませた。
「む~……だって優しくてカッコいいのが泪くんだもん」
「それでも、光と影は常に表裏一体だ」
癒華はそう言うと、棚や冷蔵庫から材料を取り出した。
それは、ダークローストのコーヒー豆が入った瓶と、ビターチョコレートのシロップだった。
「白を際立たせるには、対になる黒がなくてはならない」
癒華は手際よくエスプレッソを抽出し、それを別の器に移すと、ゼラチンを溶かして急冷し始めた。
莉華はその様子をきょとんとして見つめている。
「兄ちゃん、なにしてるの?」
「君の甘ったるい王子様に、少しばかり刺激を与えてあげようと思ってねぇ」
しばらくして、癒華は固まりかけのブラックコーヒーゼリーをクラッシュし、莉華の作った白いムースの周りに散りばめた。
さらに、上からビターチョコレートのソースを糸のように細くかけると、白一色だった皿の上に漆黒のコントラストが生まれた。
「ほら、食べてみて」
促され、莉華はおずおずと白と黒、両方をスプーンで掬って口に入れる。
瞬間、彼女の鮮やかなピンク色の瞳が大きく見開かれた。
「ん〜〜っ、おいしい!!」
ミルクの濃厚な甘さをコーヒーの苦味が引き締め、チョコレートの香りが全体をまとめ上げている。
単調だった味わいに奥行きが生まれ、次の一口が欲しくなる味へと変貌していた。
「確かにさっきよりずっと、泪くんのよさが引き立ってる気がする……!」
「それならよかった。黒があることで白の純粋さが際立つ。味覚も視覚も同じだよ」
莉華は感動したようにムースを食べ進め、やがてハッとしたように顔を上げた。
「そうだ……! 黒って、『Alice』のリーダー、桐符田唯くんのメンカラじゃん!」
「ふぅん、そうなのかい?」
癒華は気の無いふりをして首を傾げる。
「そうだよ! 唯くんはね、今は活動休止中なんだけど、圧倒的なカリスマ性があるリーダーなの! 泪くんともすっごく仲良しで、二人が揃うと最強なんだから!」
莉華の熱弁は止まらない。
癒華は薄い笑みを浮かべ、聞き流すふりをしながら妹の話に耳を傾けた。
「……それで、このケーキ、お店で出してもいい? お客さんにも泪くんと唯くんのよさを知ってもらわなきゃ!」
「それなら、ピアノ弾きのあの子にもぜひ食べてもらわないとね。聞くところによると、彼は唯くんの幼馴染なんだろう?」
癒華は許可を出すように、莉華の頭をポンと一度だけ撫でる。
「メニュー名は“純白と漆黒の二重奏ケーキ”ってところかな」
「え〜っ! なにそれ、ダサい!」
嬉しそうにムースを頬張る莉華を眺めながら、引き攣りそうになる顔を抑え、癒華は静かに目を細めるのだった。




