第8話 産業都市ギアハート
これから始まる物語は、少し変わっています。
設定が崩壊します。矛盾します。破綻します。
でも、それでいいんです。
なぜなら、この作品のテーマは「崩壊」そのものだから。
作者「MOON RAKER 503」が、その時思いついた設定を適当に投入します。
故に矛盾します。
作者自身、コントロール不能な物語です。
ゴールも分からないままスタートします。
完結するかも分かりません。
それも含めて、楽しんでいただければ幸いです。
では、始めましょう。
少年Aと、AI・Bの物語を。
蒸気の音が、街を満たしている。
巨大な煙突から白い煙が立ち昇り、歯車の回転音が遠くから響いてくる。石畳の道には鉄のレールが敷かれ、蒸気機関車が火花を散らしながら走っている。
街の中心には、巨大な時計塔がそびえ立つ。その内部では無数の歯車が噛み合い、正確な時を刻んでいる。
通りを歩く人々は、誰もが手に小さな機械を持っている。ガラケー――旧人類の通信技術を再現した端末だ。画面には文字が表示され、遠く離れた人々と会話ができる。
魔道都市では魔法陣で通信していたが、ここでは電波を使う。見えない波が空を飛び交い、情報が行き交う。
工場からは金属を叩く音が響き、労働者たちが汗を流している。蒸気エンジンが唸り、プレス機が火花を散らす。
ここは、産業都市。
魔法ではなく、機械で動く街。
魔道都市を離れて、一年が経った。
俺は今、この街の外れにある廃工場の前に立っている。
腰には、黒い鞭が巻き付いている。
それが、Bだ。
『A、準備はいい?』
鞭のグリップ部分から、Bの声が響く。
「ああ。いつでも」
俺はグリップを握る。その内部には、アンリミテッド・シェルが挿入されている。
鞭型――これが、この一年で俺たちが辿り着いた形の一つだ。
Bは様々な形に変化できる。拳銃、ナイフ、槍、盾。
でも、今回の任務――生獣の捕獲には、鞭が最適だ。
遠距離から拘束でき、傷つけずに制圧できる。
そして、必要なら――爆発させることもできる。
『ねえA、今日は何発詰めてる?』
「……5発」
『少なくない?』
「十分だろ。お前、詰めすぎると動き鈍るって言ってたじゃないか」
『そうだけど……まあ、いいか』
Bの声が、少し不安そうだ。
鞭型システムの弱点は、弾数制限。
グリップ内部のシェルに詰められる弾は、最大でも10発程度。
それ以上詰めると、Bの形態維持が不安定になる。
「……行くぞ」
俺は廃工場の扉を押し開けた。
⸻
産業都市に来たのは、一年前のことだ。
魔道都市での生活に飽きたわけじゃない。ただ、流れに任せて歩いていたら、この街に辿り着いた。
最初に驚いたのは、街の風景だった。
魔法陣の代わりに、歯車と蒸気機関。
光球の代わりに、電灯。
魔法士の代わりに、技師たち。
そして、人々が手に持っているのは――ガラケー。
そう、携帯電話だ。
魔道都市では見たこともない代物。旧人類の技術を独自に進化させた結果らしい。
街の技師たちは、魔法を知らない。
代わりに、機械を知っている。
蒸気の力でピストンを動かし、歯車で力を伝え、電気で光を灯す。
魔法とは全く違う原理で、同じ結果を生み出している。
「すげえな……」
俺が呟くと、Bが笑った。
『ね。この街、面白いでしょ』
「ああ。魔法とは全然違う」
『うん。でも、どっちも”旧人類の遺産”を元にしてる。魔法文明は魔法回路、産業文明は機械技術』
『それに、この街の人たち、すごく活気があるよね』
「……ああ」
確かに、魔道都市とは雰囲気が違う。
魔道都市は静かで、落ち着いていた。
でも、ここは――騒がしくて、熱い。
Bの説明を聞きながら、俺は街を歩いた。
工場が立ち並び、労働者たちが汗を流している。蒸気機関車が走り、商人たちが荷物を運んでいる。
活気がある。
そして、どこか――懐かしい。
前世の記憶が、微かに蘇る。
機械の音。工場の匂い。
俺は、こういう場所を知っている。
⸻
この街に来て、すぐにドリフト・ギルドの支部に登録した。
そこで出会ったのが、サーカス団だった。
団長は、痩せた男。名をヴィクトルという。
「君が、噂の流れ者か」
ヴィクトルが俺を見つめる。
「噂?」
「ああ。魔道都市から来た、不思議な武装を持つ少年、とね」
彼は葉巻を咥え、煙を吐き出した。
「実は、頼みたい仕事がある」
「……何?」
「生獣の捕獲だ。それも、かなり大型の」
ヴィクトルが地図を広げる。
「この街の周辺には、様々な生獣が生息している。大抵は機械獣だが、稀に”生きている獣”も現れる」
「生獣?」
「ああ。機械でも魔物でもない、純粋な生命体だ。サーカスの演目として、そういった獣を展示したい」
ヴィクトルが俺を見る。
「君なら、できるんじゃないかと思ってね」
「……報酬は?」
「捕獲一体につき、3000シルバー」
悪くない額だ。
「分かった。やる」
俺は頷いた。
それが、一年前。
あれから、俺は様々な生獣を捕獲してきた。
狼、熊、巨大な鳥、奇妙な爬虫類。
その度に、Bは形を変えた。
拳銃で威嚇し、ナイフで牽制し、鞭で拘束する。
そして今――。
俺たちは、一年以上追い続けている”何か”を探している。
⸻
廃工場の中は、薄暗い。
錆びた機械が転がり、壊れたパイプから蒸気が漏れている。
『A、足元注意』
Bの声に従い、俺は慎重に進む。
地面には、巨大な足跡が残っている。
――これだ。
「……やっと、見つけた」
『うん。でも、まだ姿は見えないね』
「ああ。慎重に行くぞ」
俺は鞭を解き、右手に握る。
鞭の全長は約3メートル。黒い革のような素材でできているが、これはBが形成した”擬似物質”だ。
グリップ内部には、アンリミテッド・シェルが挿入されている。
このシェルに、Bが”弾”を詰める。
そして――。
「トリガー」
俺が呟くと同時に、グリップのトリガーを引く。
瞬間。
鞭の先端が、爆ぜた。
轟音。
廃工場の壁に、穴が開く。
『おっと、今のは空撃ちだよ』
「分かってる」
これが、俺たちの”鞭型システム”だ。
鞭の先端に、Bが生成した”爆発性の弾”を詰める。
トリガーを引くと、先端だけが爆発する。
そして、もう一つ。
「ボタン同時押し」
グリップに埋め込まれた二つのボタンを同時に押す。
すると――。
鞭の全身が、光り始める。
『全身爆ぜモード。使う?』
「いや、まだだ」
俺はボタンを離す。
全身爆ぜは、最終手段だ。
鞭全体が連鎖的に爆発し、周囲を一掃する。
でも、その後はBの再構築に時間がかかる。
「慎重に行くぞ、B」
『うん。任せて』
俺たちは、廃工場の奥へと進んだ。
⸻
足跡は、どんどん大きくなっている。
最初は人間の手のひら程度だったのが、今では俺の頭ほどの大きさだ。
「……こいつ、成長してるのか?」
『たぶんね。サーカス団が言ってた”謎の巨大生獣”って、これのことだと思う』
「一年以上も追いかけてるのに、まだ姿を見せないなんて……」
『逃げ足が速いのか、それとも俺たちを避けてるのか』
Bの声が、少し緊張している。
俺は足を止めた。
――気配がする。
廃工場の最奥。巨大な扉の向こうに、何かがいる。
「……いるな」
『うん。大きい。すごく、大きい』
俺はゆっくりと扉に近づく。
手を伸ばし、扉を押す。
きしむ音。
扉が開く。
そして――。
そこには、何もいなかった。
ただ、壁に巨大な穴が開いている。
外へと続く、逃走経路だ。
「……逃げられた」
『また、か……』
Bの声が、落胆している。
俺は穴の向こうを見つめた。
遠くで、何かが動いた気がした。
巨大な影。
それは、森の奥へと消えていった。
「……次こそは、捕まえる」
『うん。次こそは』
俺たちは、廃工場を後にした。
⸻
夕方。
サーカス団の野営地に戻ると、ヴィクトルが待っていた。
「どうだった?」
「……逃げられた」
「そうか」
ヴィクトルが葉巻を吸う。
「まあ、一年以上追い続けてるんだ。そう簡単には捕まらないさ」
「……あれ、一体何なんだ?」
「さあね。俺も見たことがない」
ヴィクトルが空を見上げる。
「ただ、足跡と痕跡だけは残っている。確かに、そこに存在している」
「……」
「A、焦るな。流れに任せろ。お前はそういう奴だろう?」
ヴィクトルが笑う。
「ああ。そうだな」
俺は頷いた。
野営地を歩きながら、ふと、サーカスのテントが目に入った。
そういえば――。
『ねえA』
Bが囁く。
『サーカスのあの子、最近見ないね』
「……ああ。そういえば」
サーカスのあの子――ピエロの衣装を着た、小さな少女。
この街に来て、サーカス団と契約した時に初めて会った。
名前は、知らない。
いや、正確には――名前がない、らしい。
最初に会った時、あの子はこう言った。
――「私には、名前がありません。私は、クラウン(道化)です」。
ピエロの化粧をした、小さな顔。笑っているのか、泣いているのか、分からない表情。
でも、その目だけは――まっすぐに、俺を見ていた。
それから、時々、話すようになった。
あの子は動物が好きで、サーカスの獅子や象と一緒にいることが多い。
人間には怖がられるけど、動物は怖がらない――そう言って、小さく笑う。
でも、目は笑っていなかった。
ある日、俺があの子の頭に手を置いた時。
あの子は、初めて――目も一緒に、笑った。
『A』
Bの声で、俺は現実に戻った。
『あの子のこと、考えてた?』
「……ああ」
『最近、見ないね』
「ああ。ヴィクトルに聞いてみるか」
俺はヴィクトルのテントに向かった。
「なあ、ヴィクトル。サーカスのあの子――ピエロの子、最近見ないんだけど」
「ああ、あいつか。別の街で公演中だ。来週には戻ってくる」
「……そうか」
ヴィクトルが、ニヤリと笑う。
「お前、あいつのこと気にしてるのか?」
「……別に」
「ふーん。まあ、あいつも珍しく誰かと話してたからな。お前たちのこと、気に入ってるんじゃないか?」
「……」
俺は何も言わずに、テントを出た。
『A』
「何だよ」
『あの子、来週戻ってくるって』
「……ああ」
『楽しみだね』
「……別に」
『ふふ、素直じゃない』
「うるさい」
俺は鞭を腰に巻き付けた。
Bの温もりが、腰に伝わる。
――来週、か。
あの子に、また会える。
『ねえA』
Bが囁く。
『次こそ、捕まえようね』
「……ああ。次こそ」
俺は鞭を腰に巻き付けた。
Bの温もりが、腰に伝わる。
――次は、逃がさない。
そんなことを考えながら、俺は野営地のテントに戻った。
明日も、追跡は続く。
一年以上追い続けた、“謎の巨大生獣”。
その正体を、俺たちはまだ知らない。
(了)
今回は、魔道都市とはまったく違う場所での一幕でした。
蒸気と歯車の音が響くギアハートという街は、細かい仕組みよりも、雰囲気で引っ張るタイプの舞台です。世界観そのものも、はっきりした線で決めず、“なんとなくこういう場所なんだろう”くらいで読んでもらえたら十分だと思っています。
巨大な生獣の正体も、サーカスの子のことも、この段階では曖昧なまま。
どれもまだ形が定まっていない存在として扱っています。後で変わっても、つじつまが合っても合わなくても、それはそれで自然に物語へ溶けるはずです。
ギアハート編は、細かい設定よりも空気感と流れを楽しむ章。
ゆるく読んで、ゆるく続いていく感じで見てもらえれば嬉しいです。




