第1話「蔦の城」
これから始まる物語は、少し変わっています。
設定が崩壊します。矛盾します。破綻します。
でも、それでいいんです。
なぜなら、この作品のテーマは「崩壊」そのものだから。
作者「MOON RAKER 503」が、その時思いついた設定を適当に投入します。
故に矛盾します。
作者自身、コントロール不能な物語です。
ゴールも分からないままスタートします。
完結するかも分かりません。
それも含めて、楽しんでいただければ幸いです。
では、始めましょう。
少年Aと、AI・Bの物語を。
ジャングルを歩くのは、想像以上に大変だった。
木の根が地面を這い、蔦が足に絡みつく。
湿った空気が肺に張り付いて、呼吸するたびに喉が痛い。
「……暑い」
俺――Aは――額の汗を拭った。
汗が、ぼたぼたと地面に落ちる。
『暑いよね。でも、もうちょっとだから頑張って』
Bの声が、ポケットの中から響く。
相変わらず、軽い口調だ。
「もうちょっとって……どれくらいだよ」
『んー、あと500メートルくらい?』
「500メートル……」
遠い。
この状態で500メートルは、かなり遠い。
『大丈夫。君なら歩けるよ』
「根拠は?」
『ないよ』
「……最悪だな」
『褒め言葉として受け取っておくね』
Bは、また笑った。
俺は、ため息をつきながら歩き続けた。
木々の隙間から、時折、灰色の影が見える。
あれが、Bの言っていた建物なんだろう。
「なあ、B」
『なに?』
「あの建物って、何なんだ?」
『さあ? でも、面白いものがあるかもよ』
「面白いもの……」
『そ。たとえば、食料とか、水とか』
その言葉に、俺の足が止まった。
「食料……?」
『君、お腹空いてるでしょ?』
言われて、ようやく気づいた。
腹が、減っている。
それも、かなり。
「……空いてる」
『だよね。だから、あの建物に行こう。何かあるかもしれないし』
「何かあるかもしれない、って……」
『保証はしないよ。でも、ここでじっとしてても何も変わらないでしょ?』
その通りだ。
ここで立ち止まっていても、状況は好転しない。
「……分かった。行こう」
『はいはい。じゃ、出発ー』
Bの声に背中を押されるように、俺は再び歩き出した。
木々が、徐々に疎らになってくる。
光が、少しずつ強くなる。
そして――。
「……うわ」
開けた場所に出た瞬間、俺は思わず声を上げた。
目の前に、巨大な建造物があった。
灰色のコンクリート。
ひび割れた壁。
蔦が、建物全体を覆い尽くしている。
まるで、自然が建物を飲み込もうとしているみたいだ。
『すごいでしょ?』
Bの声が、誇らしげに響く。
「……これ、何だよ」
『昔の建物。たぶん、人間が作ったもの』
「人間が? こんなジャングルの奥に?」
『そう。不思議だよね』
不思議、なんてレベルじゃない。
異常だ。
だって、ジャングルの真ん中に、こんな巨大な建物があるなんて。
「……いつ頃のものなんだ?」
『さあ? 100年前かもしれないし、1000年前かもしれない』
「適当だな」
『適当じゃないよ。本当に分からないんだもん』
Bの声が、少しだけ沈んだ。
『でも、古いことは確かだよ。蔦の厚さを見れば分かる』
言われて、改めて建物を見る。
蔦は、建物の表面を完全に覆っている。
その厚さは、少なくとも数十センチはある。
「……何年かかったら、こんなになるんだ?」
『何十年、かな。もしかしたら、もっと』
「もっと……」
俺は、ごくりと唾を飲んだ。
建物は、三階建てくらいの高さだ。
窓は、ほとんどが割れている。
扉も、片方が外れて地面に転がっている。
『入ってみる?』
Bが、問いかけてくる。
「……危なくないか?」
『危ないかもね』
「かもね、って……」
『でも、入らないと何も分からないよ』
その通りだ。
外から眺めているだけじゃ、何も分からない。
「……分かった。入ろう」
『いい返事。じゃ、慎重にね』
俺は、崩れた扉に向かって歩き出した。
近づくにつれて、建物の異様さが際立ってくる。
壁には、無数のひび割れ。
窓枠には、錆びた金属。
地面には、コンクリートの破片が散乱している。
そして――。
「……骨?」
地面に、白い物体が転がっていた。
動物の骨、だと思う。
たぶん、鳥か何かの。
『ここ、動物が住み着いてたのかもね』
「住み着いてた……」
『過去形だけどね』
Bの声が、また軽くなった。
俺は、骨を避けながら扉に近づく。
扉の向こうは、真っ暗だ。
「……中、見えないんだけど」
『スマホのライト使えば?』
「ライト?」
『そう。画面の横にボタンがあるでしょ』
言われて、ポケットからスマホを取り出す。
画面は、相変わらず真っ暗だ。
「どこだ?」
『右側。上の方』
指示に従って、右上のボタンを押す。
すると、スマホの背面から光が漏れた。
「おお……」
『便利でしょ?』
「ああ……便利だ」
俺は、スマホを前に掲げて、建物の中を照らした。
光が、内部を浮かび上がらせる。
廊下。
壁には、剥がれたペンキ。
床には、崩れた天井の破片。
奥の方に、何かが見える。
部屋、だろうか。
『行ってみよう』
Bの声が、俺を促す。
「……ああ」
俺は、一歩、中へと踏み込んだ。
足元で、何かが軋んだ。
床が、腐っているのかもしれない。
「……大丈夫か、これ?」
『多分ね』
「多分って……」
『崩れたら教えてあげる』
「崩れる前に教えろよ!」
『無理言わないで』
Bは、また笑った。
俺は、慎重に足を進める。
スマホの光が、廊下を照らす。
壁には、何かの跡がある。
文字、だろうか。
でも、判読できない。
「B、これ……何て書いてある?」
『んー、読めないね』
「読めない?」
『文字が古すぎて、消えちゃってる』
「消えて……」
俺は、壁に手を伸ばした。
触れた瞬間、ざらりとした感触。
そして、指に何かがついた。
「……苔?」
『そう。壁全体が、苔で覆われてる』
「どれだけ放置されてたんだ、ここ……」
『さあね。でも、かなり長い間、誰も来なかったんだと思うよ』
誰も来なかった。
その言葉が、妙に重く感じた。
俺は、再び歩き出した。
廊下の先に、部屋がある。
扉は、半開きになっている。
『あの部屋、入ってみよう』
「……ああ」
俺は、部屋の扉を押し開けた。
軋む音。
埃が、舞い上がる。
咳き込みながら、中を覗く。
そこは――。
「……何だ、これ」
部屋の中は、広かった。
そして、奇妙なものが散乱していた。
金属の板。
配線。
何かの機械。
まるで、研究室のような雰囲気。
『面白いでしょ?』
Bの声が、弾んでいる。
「面白い……って、これ、何なんだ?」
『機械だよ。古い機械』
「機械……」
俺は、部屋の中に入った。
足元に、何かの部品が転がっている。
拾い上げると、それは小さな金属の塊だった。
用途は、まったく分からない。
「これ、何に使うんだ?」
『さあ? でも、昔は何かに使われてたんだと思うよ』
「昔……」
『そう。ずっと昔』
Bの声が、少しだけ遠くなった。
俺は、部屋の奥へと進む。
そこには、大きな机があった。
机の上には、紙の束。
ボロボロで、触れたら崩れそうだ。
「……これ、何だ?」
『資料、かな。たぶん、ここで何かの研究をしてたんだよ』
「研究……」
『そう。人間は、昔からいろんなものを研究してきたから』
人間。
その言葉が、また引っかかった。
「なあ、B」
『なに?』
「お前、この場所のこと、知ってるのか?」
問いかけると、Bは少しだけ沈黙した。
そして――。
『……知ってる、かもね』
「かもね、って?」
『曖昧なの。記憶が』
「記憶?」
『そう。私も、完全じゃないから』
完全じゃない。
その言葉が、妙に引っかかった。
「お前も……記憶が曖昧なのか?」
『うん。君と似たようなもんだよ』
「似たような……」
俺は、スマホを握りしめた。
Bも、俺と同じ。
記憶が曖昧で、自分が何者なのか分からない。
「……なんか、変だな」
『変?』
「ああ。俺も記憶がない。お前も記憶がない。そして、ここは誰もいないジャングル」
『確かに、変だね』
Bは、あっさりと認めた。
『でも、それが現実なんだよ、A』
「現実……」
『そう。だから、受け入れるしかない』
受け入れる。
その言葉が、胸に刺さった。
俺は、ため息をついた。
そして、再び部屋を見回す。
機械。
配線。
紙の束。
ここで、誰かが何かを研究していた。
それは、間違いない。
でも、なぜ?
何のために?
答えは、どこにもない。
『A、あっち見て』
Bの声が、俺を呼ぶ。
「あっち?」
『部屋の隅。何かあるよ』
言われて、視線を向ける。
部屋の隅に、何かが置いてあった。
箱、だろうか。
俺は、近づいて箱を見る。
金属製で、錆びている。
「……これ、開けていいのか?」
『開けてみなよ』
「でも……」
『大丈夫。爆発したりしないから』
「爆発って……」
不安になりながらも、俺は箱に手をかけた。
蓋を持ち上げる。
軋む音。
そして――。
「……これ」
箱の中には、小さな物体が入っていた。
円盤状の、金属の物体。
表面には、細かい文字が刻まれている。
「何だ、これ?」
『……記録媒体、かな』
「記録媒体?」
『そう。データを保存するための装置』
「データ……」
俺は、それを手に取った。
ひんやりとした感触。
「これ、読めるのか?」
『どうだろうね。試してみないと分からない』
「試す……って、どうやって?」
『それは、また今度考えよう』
Bの声が、また軽くなった。
『とりあえず、持って行こう。役に立つかもしれないし』
「……分かった」
俺は、円盤をポケットにしまった。
そして、再び部屋を見回す。
他に、何かあるだろうか。
『A、外が騒がしいよ』
不意に、Bの声が緊張した。
「外?」
『うん。何か、動いてる』
動いてる――その言葉に、俺の背筋が凍った。
「……何が?」
『分からない。でも、大きい』
大きい。
俺は、慌てて窓に駆け寄った。
外を覗く。
そこには――。
「……猿?」
巨大な猿が、建物の前を横切っていた。
普通の猿じゃない。
身体の一部が、金属で覆われている。
まるで、機械と生物が融合したような――。
『あれ、やばいやつだね』
Bの声が、珍しく真剣だった。
「やばいって……」
『動かない方がいい。気づかれたら、面倒なことになる』
「面倒って……」
『殺されるかもね』
その言葉に、俺は息を呑んだ。
猿は、ゆっくりと建物の周りを歩いている。
何かを探しているような動きだ。
俺は、息を殺して様子を見守る。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
そして――。
猿が、建物の入口に向かって歩き出した。
「……嘘だろ」
『嘘じゃないよ』
Bの声が、冷静に響く。
『隠れて。今すぐ』
「どこに!」
『机の下。急いで』
俺は、慌てて机の下に潜り込んだ。
スマホのライトを消す。
暗闇。
そして、足音。
ズシン、ズシン。
猿が、建物の中に入ってきた。
俺は、息を殺す。
心臓が、口から飛び出しそうだ。
足音が、近づいてくる。
廊下を歩く音。
そして――。
部屋の前で、止まった。
『……動かないで』
Bの声が、耳元で囁く。
俺は、必死に身体を固くする。
猿が、部屋の中を覗いている。
気配で分かる。
時間が、止まったように感じた。
そして――。
猿が、去っていった。
足音が、遠ざかる。
俺は、ようやく息をついた。
「……助かった」
『ね。言った通りでしょ?』
「言った通りって……」
『面白いものがあるって』
「面白いもの……じゃなくて、危険なものじゃないか!」
『どっちも正解だよ』
Bは、また笑った。
俺は、机の下から這い出た。
全身が、汗でびっしょりだ。
「……もう帰ろう」
『帰る? どこに?』
「どこでもいい。とにかく、ここから出よう」
『賛成』
Bの声が、珍しく素直だった。
俺は、部屋を出て廊下に向かう。
猿の姿は、もうない。
外に出ると、ジャングルの空気が肺を満たした。
生きてる。
今、俺は生きてる。
「……なんなんだよ、あの猿」
『さあね。でも、この世界には、ああいう生き物がいるってことだよ』
「生き物……」
機械と生物の融合。
そんなものが、この世界には存在する。
「……ますます、分からなくなってきた」
『いいじゃん。分からないまま進もう』
Bの声が、また軽くなった。
『そのうち、何か分かるかもしれないし』
「かもしれない……か」
俺は、ため息をつきながら歩き出した。
ジャングルの奥へ。
建物から離れて。
Bの声に導かれながら。
この世界が、何なのか。
俺が、何者なのか。
答えは、まだ見えない。
でも――。
それでも、俺は進む。
前へ。
一歩ずつ。
(了)
機械と生物の融合体。
出てきましたね。
これが、この世界の特徴の一つです。
……たぶん。
設定は、流動的です。
次回以降、変わるかもしれません。
それも含めて、お楽しみください。
次回は、Aがジャングルで生き延びる方法を模索します。
食料、水、寝床――。
生存のための第一歩です。
それでは、また。




