第10話 Cの名前
これから始まる物語は、少し変わっています。
設定が崩壊します。矛盾します。破綻します。
でも、それでいいんです。
なぜなら、この作品のテーマは「崩壊」そのものだから。
作者「MOON RAKER 503」が、その時思いついた設定を適当に投入します。
故に矛盾します。
作者自身、コントロール不能な物語です。
ゴールも分からないままスタートします。
完結するかも分かりません。
それも含めて、楽しんでいただければ幸いです。
では、始めましょう。
少年Aと、AI・Bの物語を。
夕暮れの野営地は、静かだった。
火の匂いが漂い、獣の体温が空気を温める。足元には乾いた砂の粒が散らばり、踏むたびに音を立てる。
ベヒモスの寝息が聞こえる。周期5.4秒。規則正しく、深く。
その度に、地面がわずかに震える。
心臓の鼓動のように、大地そのものが呼吸しているかのように。
テント布が風速3メートルの風に揺れ、ベヒモスを繋ぐ金属の鎖が微かに鳴る。
光源は焚き火と、作業用の電灯だけ。
焚き火の炎は長く伸び、時折低く燃える。炭が赤く光り、熱が顔を撫でる。
金属の鎖が光を反射し、地面に細い線を描く。
夜風は冷たいが、焚き火の前だけは温かい。温度差が、肌に心地よい。
影が二重に伸び、足元を歪ませる。
俺は焚き火の前に座り、鞭を腰から外していた。
Bが、スマホの形に戻っている。
「……疲れた」
『お疲れ様。今日は大変だったね』
「ああ」
俺は空を見上げた。
星が、見える。
この世界に来てから、何度も見た空。
でも、今日は少しだけ違う気がした。
――Cのことを、考えている。
サーカスのあの子。
名前を持たない、ピエロの少女。
ヴィクトルが言っていた。
「Cは危険を呼ぶ」と。
でも、何が危険なのか、よく分からない。
その時。
テントの影から、小さな人影が現れた。
「……A」
Cだ。
ピエロの化粧をしたまま、俺の方へ歩いてくる。
「……C、まだ起きてたのか」
「……うん。眠れなくて」
Cが焚き火の前に座る。
炎が、Cの白い化粧を照らす。
『A、気をつけて。あの子、何考えてるか分かんない』
Bが囁く。
「お前は黙ってろ」
『失礼な』
Cが、小さく笑う。
「……Bは、私のこと嫌いなの?」
『嫌いじゃない。ただ……Aのそばは、私の席なんだよ』
「はいはい」
俺は苦笑する。
Cが炎を見つめている。
その目は、笑っていない。
――いつも、そうだ。
Cは笑っているのに、目は笑わない。
まるで、笑い方を忘れたかのように。
俺は、何となく気になっていた。
Cは、“ただそこにいるだけの人”だ。
何かを求めているわけでもなく、何かを拒んでいるわけでもない。
ただ、そこにいる。
でも――手を貸さずにはいられない。
多分、似ているからだ。
俺も、名前を失った。
前世の記憶は曖昧で、本当の名前を思い出せない。
だから、“A”と名乗っている。
Cも、名前を持たない。
だから、“C”と呼んでいる。
――名前って、そんなに重要なのか?
そんなことを考えながら、俺は炎を見つめた。
⸻
しばらく、沈黙が続いた。
焚き火の音だけが、静かに響いている。
やがて、Cが口を開いた。
「私……名前、ないんだ」
「……は?」
「サーカスでは……“名前を持つと、物になる”って言われてて」
俺は眉をひそめた。
「人間だろ、お前」
「……分かんない。でも、皆そう言うから」
『A、この子、変だよ。危険の匂いがする』
Bが警告する。
「だからって放っとくのかよ」
『……そうだけど』
Cが、俺を見る。
「……A、名前って、何?」
「何って……お前を呼ぶ時の言葉だろ」
「それだけ?」
「……それだけ、じゃないのか?」
Cが首を傾げる。
「団長は言ってた。“名前を持つと、縛られる”って」
「縛られる?」
「うん。名前があると、自由じゃなくなる。だから、私には名前がない」
Cが小さく笑う。
「でも……私、本当は欲しかった」
「……名前を?」
「うん」
Cが炎を見つめる。
「誰かに、呼ばれたかった」
その声が、少しだけ震えていた。
Cが、両手を握りしめる。
「でも……怖かった」
「何が?」
「名前を持ったら、私が消えちゃうんじゃないかって」
Cの目が、揺れている。
「サーカスでは、みんな”役”を持ってる。ピエロ、曲芸師、調教師。でも、名前は持ってない」
「……なんで?」
「名前を持つと、“役”じゃなくなるから。人間になっちゃうから」
Cが、自分の顔を触る。
「私は、クラウン。道化。それが私の全部だった」
Cの声が、途切れる。
「でも……本当は、違った」
「……」
「私は、ずっと、名前が欲しかった。誰かに呼ばれたかった。でも、それを口にしたら……私が壊れちゃう気がして」
Cが、俺を見る。
「名前を持つって……怖いことなの?」
俺は、何も言えなかった。
ただ、焚き火の音だけが、静かに響いている。
⸻
Cが立ち上がった。
「……ちょっと、ベヒモス見てくる」
「ああ」
Cが、ベヒモスの方へ歩いていく。
俺も立ち上がり、その後を追った。
『A、本当に大丈夫?』
「何が」
『あの子、絶対普通じゃないよ』
「分かってる」
ベヒモスは、拘束されたまま眠っていた。
巨大な体が、ゆっくりと呼吸している。
Cが、ベヒモスの鼻先に手を伸ばす。
ベヒモスが、目を開けた。
――そして。
喉を鳴らした。
まるで、猫のように。
Cの手に、鼻先を擦り付ける。
体温38度。
息が当たると、温い。
Cが、小さく笑う。
「……優しいね」
ベヒモスが、さらに喉を鳴らす。
巨体が、Cにだけ反応している。
異様だ。
俺は、ヴィクトルの言葉を思い出した。
――「Cは危険を呼ぶ」。
でも、今のCには、危険な雰囲気は感じない。
ただ――ベヒモスが、異常なほどCに懐いている。
まるで、Cを”主”として認めているかのように。
『A……あの子、本当に人間?』
Bが囁く。
「……分かんない」
でも、放っておけない。
それだけは、確かだった。
⸻
Cが、ベヒモスの頭を撫でている。
ベヒモスが、目を細めて喉を鳴らす。
その光景を見ながら、俺は呟いた。
「……じゃあ、Cでいいだろ」
Cが、振り返った。
「……え?」
「お前をそう呼んでた。だから、それでいい」
「……そんな、簡単に……」
「難しい方が、嫌だろ」
Cが、俺を見つめる。
その目が、少しだけ潤んでいる。
そして――。
涙が、一粒、頬を伝った。
それが、焚き火の光を受けて、光る。
「……名前」
Cの声が、震える。
「私の……名前」
「ああ。C。お前の名前だ」
Cが、両手で顔を覆った。
肩が、震えている。
泣いているのか、笑っているのか、分からない。
でも――確かに、何かが変わった。
Cの中で、何かが動き始めた。
それは、まるで――凍った心臓が、再び動き出したかのように。
『……A、あなた、優しすぎるよ』
Bが呟く。
「別に」
『いいや。優しいよ。それが、Aのいいところ』
Bの声が、少しだけ柔らかくなる。
『でも……ちょっとだけ、寂しい』
「何が」
『Aが、私以外も見るようになったこと』
「……お前、何言ってんだ」
『分かんない。でも、そう思った』
Bの声が、小さくなる。
『胸が……ぎゅっとした』
「胸って、お前、体ないだろ」
『比喩だよ。でも、本当にそんな感じ』
Cが、少しだけこちらを見た。
Bの声を、聞いているのかもしれない。
俺は、少し気まずくなった。
「……お前、俺がいなくなるとでも思ってんのか?」
『思ってない。でも……Aの隣に、誰かが立つのは、嫌』
「子供か」
『子供だよ。私、まだ二歳だもん』
「……そうだったな」
俺は苦笑した。
Bは、俺がこの世界に来てから、ずっと一緒だ。
二年間、ずっと。
だから――少しくらい、嫉妬してもいいのかもしれない。
Cが、顔を上げた。
涙で化粧が少し滲んでいるが、その目は――笑っていた。
初めて。
目も一緒に、笑っていた。
「……名前、嬉しい。ずっと欲しかった」
Cが、俺を見る。
「ありがとう、A」
俺は、少し戸惑った。
名前を与えただけだ。
そんなに大げさなことじゃない。
でも――Cにとっては、違うらしい。
その重さが、俺には分からない。
『……まあ、いっか』
Bが呟く。
『Cも、悪くない。たぶん』
「お前、さっき散々警戒してただろ」
『今もしてるよ。でも……Aが決めたなら、私も従う』
Bの声が、静かに響く。
『それが、私の役割だから』
「……そうか」
俺は頷いた。
Cが、ベヒモスの頭を撫でている。
ベヒモスが、幸せそうに目を細めている。
――この光景は、何となく、平和だ。
でも、その裏に、何かが潜んでいる気がする。
危険の匂い。
ヴィクトルが言っていた、あの言葉。
――「Cは危険を呼ぶ」。
その意味が、まだ分からない。
でも、いつか分かる日が来るだろう。
⸻
Cが、俺の方を向いた。
「ねえA……明日から、私も行っていい?」
「来たいなら来いよ」
「……うん」
Cが、小さく笑う。
『……はぁ。面倒増えた』
Bが呟く。
「お前が言うな」
『だって本当のことだもん』
「まあ、そうだけど」
俺は苦笑した。
Cが、ベヒモスの傍に座り込む。
ベヒモスが、Cに鼻先を擦り付ける。
その光景を見ながら、俺は思った。
――これから、どうなるんだろう。
Cが加わって、俺たちはどこへ向かうんだろう。
答えは、まだ分からない。
でも――。
流れに任せて、進んでいけばいい。
それが、俺たちのやり方だ。
⸻
遠くで、ヴィクトルが煙草を吸っていた。
その目が、Cを見ている。
「……Cは危険を呼ぶ」
ヴィクトルが、小さく呟く。
「前にも、あった。Cの傍で、獣が狂った」
彼は煙を吐き出す。
「理由は分からない。だが、Cには何かがある」
ヴィクトルが、ベヒモスを見る。
「あの巨獣も、同じだ。Cに懐きすぎている」
彼は目を細める。
「だが、もう止められない」
彼は煙を吐き出し、夜空を見上げた。
星が、静かに輝いている。
――明日から、何が起こるのか。
それは、誰にも分からない。
ただ、確かなのは――。
AとBとCの、旅が始まる、ということだけだった。
(了)
Cに、名前を与えました。
……いや、正確には「すでに呼んでいた呼び方」を名前として認めただけですが。
Aは無自覚ですが、これ、結構重大なイベントです。
名前を持たなかった存在が、名前を得る。
それは、世界に「登録」されるということ。
でも、Cの場合は少し違います。
世界が、Cを正しく認識できていません。
クラウン・マントの能力はまだ片鱗しか見せていませんが、
これから徐々に「世界を欺く」要素が表に出てきます。
ベヒモスがCに懐く理由も、そこに関係しています。
……たぶん。
Bの嫉妬も、少しだけ入れました。
AIが嫉妬するのか?という疑問はありますが、
この作品では「Bは感情を持っている」という前提で進みます。
矛盾? 知りません。
設定崩壊を楽しむ作品なので、これでいいのです。
次回から、AとBとCの三人旅が本格始動します。
……と言いつつ、11話でまた新キャラ出すかもしれませんが。
それでは、第11話でお会いしましょう。
作者:MOON RAKER 503




