あなたに恋をしていたわけではないけれど
相生、勝手に秋の短編祭り3作品目
日間総合すべて1位獲得作品。大感謝。
[日間]総合 - すべてランキング1位(11/14朝、昼、夜)
[日間]異世界〔恋愛〕 - すべてランキング1位(11/14朝〜11/15夜)
サフィアーノ・タイレントは、窓から差し込む午後の光を浴びながら手元の刺繍に目を落としていた。
指先ですべる絹糸の感触だけが、今は頼りになる現実だった。
王城で働く彼女にとって、この静かな時間は貴重な休息だ。しかし、その心は晴れやかな光とは裏腹に、鉛のように重く沈んでいた。
その原因は、数日前に耳にした幼なじみの発言だった。
サフィアーノ・タイレントとシービス・チリテイスティが幼なじみだということはよく知られていた。
王都のタウンハウスが隣で、親同士の交流もあって、物心ついた頃から一緒にすごすことが多かった。
周囲の貴族たちにも二人の将来を疑う者はいなかった。婚約こそ正式には交わされていなかったが、それはただの手続きの問題だと考えていた。
いずれふたりはこのまま結婚するんだろうと、それが当然の未来だと、サフィアーノ自身も思っていたくらいだ。
シービスの隣こそが、自分の居場所なのだと。
あの日の午後も、いつものようにシービスのところへサフィアーノが差し入れのパイを届けにいった。
その時に聞こえてきたのだ。
それは騎士見習いたちと集まっているシービスの他愛もない世間話。
サフィアーノは別に盗み聞きをしようと思ったわけではなかった。
でも、騎士見習いたちは声が大きい。聞こうとしなくても聞こえてくるのだ。
「……だから、オレがサフィアーノと結婚するなんて、誰がいってるんだ?」
「え、ちがうのかよ?」
「いつも差し入れとかもらってるだろ?」
「あれは幼なじみとしてのお世話みたいなもんだ。オレももう大人だからな、そろそろやめてほしいって思ってるくらいなんだ」
その一言が、サフィアーノの足を釘付けにした。
届けようとしたパイの入ったかごをぎゅっと握りしめる。
(そうならそうと、私に直接いってくれればいいのに……)
サフィアーノは苛立った。
確かに、いつかはシービスと結婚するんだろうと考えていた。でも、別にシービスに恋をしていたわけじゃない。
シービスのことを恋人ではなくただの幼なじみだと思っていたのはサフィアーノも同じなのだ。
「おいおい、何を今さら。お前たちふたりは、そういうことになっているだろう。両家の親御さんたちも公認なんじゃないのか」
その言葉にシービスは、低く、しかし明確な声で答えた。
「ああ、親が勝手にそう思っているだけだ。オレたちはただの幼なじみだ。将来を誓い合った仲でもないし、オレには彼女を愛しているという自覚もない。ずっとそばにいたから、周囲がそうみるのもわかるが決めつけないでくれ……」
「へえ、ならオレが彼女を口説いてもいいのかよ?」
「おまえが? サフィアーノが相手にするわけないだろう? 彼女のことはオレが誰よりも知ってる。おまえなんか好みじゃない」
サフィアーノは自分を口説いていいのかといっていた騎士見習いをちらりとみた。
(確かに、好みじゃないのはまちがいない。私のことをちゃんとわかってるのがちょっとくやしい)
「まあサフィアーノは妹みたいなもんだ」
「妹? おまえが弟のまちがいじゃないのか?」
ははは、と騎士見習いたちの中で笑い声が響く。
そこにはサフィアーノも同感だった。
どちらかといえば絶対に私の方が姉だとサフィアーノは強く思った。
そして、その日のパイはサフィアーノの夕食になった。冷めても美味しいはずのレシピだったのに、あんまり味がしなかった。
恋という……そういう自覚がなかったというわけではなく、サフィアーノは本当にシービスに恋をしていたわけではなかった。
ただ、サフィアーノが思い描いていた当たり前の未来は別に当たり前ではなかったという話だ。
それだけのことなのだけれど、そうだと知ってショックを受けないほどシービスを嫌っていたわけではなかった。
よき隣人、よき友人であり……燃え上がるような情熱はなかったとしても、おだやかに夫婦として寄り添っていけるだろう。サフィアーノはそんな風に考えていた。
ただ、だからといってショックが大きかったということもない。
単に、なるほど、そうか、と思う内容でもある。
サフィアーノはシービスを結婚相手として考えていたけれど、シービスはサフィアーノを結婚相手として考えていなかった。
そこで負けた気がするからの苛立ち。
わかってみれば簡単な話だった。シービスに負けた気がしたのだ、サフィアーノは。
(私だってシービスと結婚したかったわけじゃない。ただ、そうなると思っていただけで別にシービス以外の人とだって……)
そう考えてサフィアーノはふと気づいた。気づいてしまった。
愛し合って結婚するわけではないのなら……お互いに尊敬し合って寄り添えるような人はいくらでも周りにいるのだ、と。
ここは王城で……たくさんの貴族が働いている。
しかも王城勤めをしている次男坊や三男坊の文官に独身者は多い。彼らは家を継がないからだ。
見習いではない文官である彼らは収入の面から考えても……騎士見習いよりもずっと、いい。
サフィアーノは思った。
(私、なんでシービスなんかと結婚しようとしていたのかしら……?)
気づいてしまえば早かった。
もともとサフィアーノはシービスに恋をしていたわけではないのだ。
サフィアーノは視界が大きく広がった気がした。
視野が変わると関係も変わる。この瞬間から、サフィアーノにとってシービスは家族の延長線上にいるただの弟のようなもので、取るに足らない存在になった。
別に結婚相手がシービス以外でも問題ないとサフィアーノは理解してしまった。
これまでシービスとの婚約を交わさなかったのは、シービスと結婚することを心の奥底から望んでいたわけではないからではないのか。望んでいたのなら、婚約していたはずなのだ。
そう気づいてから、サフィアーノは自分の結婚相手を本気で探しはじめた。
あの日以来、サフィアーノはシービスに差し入れを届けなくなった。
でもそれはシービスを避けたというほどのものでもなく……どうでもいい弟をかまう時間がもったいないからだった。
「あ、タイレント嬢じゃないですか。お久しぶりです」
声をかけられたサフィアーノが振り返ると、そこには騎士見習いが立っていた。
(誰だったっけ……?)
みたことがある気はするが、サフィアーノにとってはすぐに思い出せない程度の相手だった。
「最近、お顔をみる機会がなかったので、お会いできて嬉しいです」
「はあ、そうですか」
サフィアーノは思いっきり相手にするつもりがないという態度で返事をした。
「シービスとは話してるんですか?」
「はい? 何のことです?」
「あ、いえ。なんていうか……最近はシービスに差し入れをもってきてないので、どうなのかなって思っただけで……」
「それ、あなたに関係あります?」
心の中で本当にそう思ったことをサフィアーノは口にしていた。
「あ、いや……あなたがシービスと特になんでもないというのなら、私と夕食でもいかがでしょうか、なんて思って……」
「無理です」
「え?」
「申し訳ありませんが、あなたは私の好みではないので」
そうはっきりと伝えた時、サフィアーノは思い出した。
(ああ、この人……あの時にシービスと話してた騎士見習いのひとりだ。あの時も私の好みじゃないと思ったっけ)
目の前でガーンというショックを受けた顔をしている騎士見習いのことをサフィアーノはようやく思い出した。
同時にあの時の出来事も思い出したけれど、そのことはサフィアーノに何ひとつ痛みを与えなかった。
「や、やっぱりシービスと……」
「シービス?」
「幼なじみだから、その……」
「ええ、幼なじみですが、何か?」
「あ、あれ……? ち、ちがう? じゃあなんで、最近、差し入れをしてないんだ……?」
サフィアーノはにこりと微笑んだ。その笑顔は十分、男性を魅了できるだけの美しさがあった。性格はややあたりが厳しいけれど。
「私、婚約が決まりましたので。幼なじみとはいえシービスは男性ですもの。あまり近づくものではありませんわ。もちろん、あなたのような方とこうして話すのもあまり好ましくないのですけれど……あなたが私の好みではないことは婚約者もすぐに理解してくださるでしょうし、そこまで不安はありません」
「え!? 婚約!?」
「では失礼しますね」
サフィアーノは呆然とする名前も知らない騎士見習いを放置した。好みでもないからみる気にならない。
「婚約したってどういうことだ!」
いきなり話しかけてきたシービスが大きな声でそういった。
(やっぱりまだまだ子どもね。これでよくも私のことを妹だなんていえたものだわ……)
サフィアーノは呆れながらそんなことを思った。
「どういうことも何も、婚約しただけよ?」
「だからなんで婚約してるんだ!?」
会話が成立しない。
サフィアーノはまるで幼児にいいきかせるような気持ちになった。
「婚約するのは結婚するためでしょう?」
「は? 何をいってる?」
「何って……常識?」
婚約は結婚の前段階で、結婚するための準備のようなものだ。
それはまちがいなく常識である。
「いや、そうじゃなくて! オレと結婚するはずだろう?」
「はい?」
サフィアーノは思いっきり首をかしげた。幼なじみなのでマナーは度外視だ。
「どうして婚約してもないのにシービスと結婚するのよ?」
「だから! オレたちは幼なじみだろう!」
「幼なじみではあるわね」
「それならオレと結婚するのが普通だろうが!?」
どうやらシービスとサフィアーノでは常識がちがうらしい。
「あのね、シービス。恥ずかしいからそういうことを大きな声でいってはいけないわ」
「は、恥ずかしいって……オレたちは今さらそんなことで照れたりする関係じゃ……」
「照れてないです。常識の話」
サフィアーノは頭のおかしい勘違いをしているシービスの目の前で、これでもかというくらい大きなため息をついた。
「幼なじみが結婚するなんて法律はどこにもありません」
「い、いや、そりゃ法律はそうだろうけど……」
「常識よ?」
シービスは固まった。どうやらサフィアーノは本当に婚約したらしい。
騎士見習いたちはシービスの気を引こうとしているんじゃないか、などといっていたがそんなことではない。
サフィアーノのことをよく知ってるからこそ、シービスには婚約が真実だと理解できた。
「お仕えしている王太子妃さまに仲介までしていただいて、正式に婚約したわ。私ももう婚約者がいるんだから、誤解されたくないの。幼なじみだからこそちゃんとわきまえてよね」
そういい捨ててサフィアーノはシービスの前から歩き去った。
それも、堂々と、である。強い。
王太子妃まで関わっているとなるとその婚約が解消されることはないだろう。
そのくらいの常識はシービスの中にもあった。
シービスはその場に倒れそうになっていたが、なんとか心の中で膝をつくだけにとどめた。
それでもどうしてもうつむいてしまう。床がみたいというわけではないのに。
サフィアーノが王太子妃に仲介を頼んだのは親への対策だった。
予想通りではあったが、婚約のことを説明すると親はシービスのことはどうするのかといい出したのだ。
どうもしないに決まっている。そもそもただの幼なじみなのだ。婚約しているわけでもない。サフィアーノにしてみれば知ったことではない。
サフィアーノは切り札として自分の婚約が王太子妃の仲介によるものだと親に説明したのだ。
王太子妃の仲介による婚約だと知って、すぐに親は黙った。
サフィアーノの完勝だった。強い。
サフィアーノがみつけた婚約者はシービスよりもずっと彼女の好みに近くて、シービスよりも収入が安定している見習いではない年上の文官だった。
情熱をもって愛し合うわけではないのはシービスと同じだけれど、サフィアーノは王太子妃という保証があるこの婚約を心から喜んでいた。
サフィアーノは自分の明るい未来を信じていたので、うつむいてしまったシービスを一度も振り返ることはなく歩き去ったのだった。強すぎ。




