記憶と夢
頬を撫でて通り過ぎていく、心地いい風。
その風に誘われるように私が目を開けると、見覚えのある優しい顔が覗き込んでいた。
「やぁ、起きたんだね。」
天から降り注ぐ木漏れ日が彼を背後から照らし、逆光で彼の顔を識別することが出来ない。
しかし、私は彼が優しい微笑みを向けてくれていることを確信していた。
「ルシフェル……」
「おはよう、アリス。」
柔らかい彼の声……私はこの声を聞くことが何よりも大好きだった。
私はむくりと起き上がり、また彼に向き直る。黒い頭髪に、深紅の赤い瞳が代々私たちを率いてきた王族だということを証明する。
「またこんなところに居たら、怒られちゃうよ。」
「うん……でも僕にも息抜きは必要だよ。」
「それ、昨日もきいた。」
他愛ない日常のやり取り……なんでもない会話が何ともおかしくて笑いが噴き出してしまう。
同時に、どこか懐かしさも覚える。
ルシフェルも同じなのか、私たちは互いに笑い合う。
「ルシフェルは頭がいいんだから、ちゃんと勉強して立派な王様にならなくちゃ」
「そうだね。僕は父上のようにはならないようにしないと……」
ルシフェルの父。この国の王サタナエルは類まれなる武勇を誇る王だった。
サタナエル王がルシフェルと同じ齢には既に戦場に立ち、他の世界から資源を持ち帰ってはこの国を発展させてきた。
異界の門から進軍してくる私たちを恐れたのだろう……進軍したどの世界でも「悪魔だ」「魔族だ」と呼称されてきた。異世界から資源を奪うために襲ってくる者たち……彼らにとって、私たちは紛れもなく”疫災”そのものだろう。間違っていない。
しかし、そのおかげで私たちの国はこうして発展してきたのだから、サタナエル王も間違っていないのだ。
「…………父上のしてきたことは、この国のためにはなった。」
そういいながら立ち上がったルシフェルは、少し歩くと、振り返って私にまた微笑みかけた。
その笑みは、決意の表れだったように思う。
「…………でも、他にもやり方はあったと思う。」
「…………そのために、ルシフェルは頑張ってるんだもんね。」
ルシフェルは戦争ではなく融和でこの国を富ませるといつも語って聞かせてくれた。
争って奪うのではなく、友好を結んで資源を共有していくのだと……そうしてゆくゆくは世界と世界の懸け橋に、自分たちが慣れればいいと夢見ているのだ。
「うん。僕は頑張って勉強して、王になる。」
「じゃあ、私は研究者にでもなろうかな。世界と世界の懸け橋をするには、門を複数同時につなげられるようにしなきゃだもんね。」
私たちは手を取り合って走り出した。
春風の心地いい、晴天の出来事。
・
「王よ!ご再考を!!どうか勇断を!!」
「くどい!!何度も言わせるな!!」
憤慨した王の怒声が城内に響き渡る……その声に、私は思わず目を瞑ってしまった。
そんな私に王は気が付いたようで、少し気まずい表情を浮かべながら玉座を立つ。
「…………話は終わりだ。」
「王よ!!」
引き留める臣下を無視するように王は玉座の間を離れていく。
主君が不在となったとたんに、臣下たちの悲痛な声が漏れ出るのは、もう恒例行事となっていた。
「ああ……どうすればいいのだ……このままでは国が………」
「王が決断してさえくれれば……」
玉座の間で嘆く者たちを横目に、私も彼を追って玉座の間をあとにする。
まだそう遠くへは行っていないはずだ。
「王様!」
「……………アリス。」
廊下を歩く王へと追いつくと、彼は人目をはばかるように近くの部屋へと入っていく。私もそれに続くようにして部屋へ入り、戸締りをした。
「……アリス。どう思う?」
「……王よ、もう少し彼らの話にも耳を傾けてみては?」
「…………やめてくれ。アリスはもう私の名を忘れてしまったのか?」
「……………ルシフェル。」
王として振舞う彼にはかつての優しかった面影はどこにもない。
しかし、こうして二人きりでいるときはかつての優しいルシフェルに戻ってくるのだ。
「それで……アリスはどう思うんだ?やっぱり変だと思わないか?」
「…………たしかに、どうして皆争いに執着するのか。」
私たちはずっとルシフェルの夢のために動いてきた。
しかし、彼らは争いに執着し、融和など考えてもいないのだ。ルシフェルの夢に同調する人は、私を除いて一人もいない。
私が研究してきた複数の次元を同時に接続させる”多重門”も、融和目的の研究だと判明した瞬間に打ち切られた。
ルシフェル王のお墨付きがあったというのにだ……最初は誰もが称賛していたくせに……
そして、また新たな世界が発見されたことにより、世論は戦争ムードまっしぐらになったのだ。
しかし、浮足立っているにも関わらず、ルシフェルが進軍を許可せず……先ほどのように臣下が連日訴えを起こしている。
…………はっきり言って異常だ。
「今にして思えば、父上も何かに急き立てられるように他世界へ戦争を仕掛けていたように思う。」
「私の目から見ても、あの惨状は異常です。」
他世界を発見してから彼らは日に日に獣のように気性が荒くなってきている。
それこそ何かに急き立てられるように……ルシフェルも私も、最初は麻薬の流行を疑ったが、検査の結果は白。
しかし、彼らの知能は目に見えて低下して言っている。
今にも謀反を起こして強引に開戦してもおかしくない現状だが、不思議なことに誰一人としてそんな暴挙を起こす者はいなかった。
ただ進言をしに来ては、断られ、そのたびに悲痛な声をあげるだけだ。
「…………一度、一度だけ侵攻してもいいのかもしれない。」
「アリスまでそんなことを言うのか!?」
「でも、これは明らかにおかしいもの……一度落ち着かせてから、原因を究明して……」
「ダメだ。一度でも侵攻し始めたら私の代でも変化が起こらないことの証明になってしまう…………彼らも、あんまりしつこいようなら父から受け継いだ七宝の力で……」
「ルシフェル…………」
彼は、自身の手を見つめると、悔しそうに瞳を閉じる。
サタナエル先王が亡くなられるその日、王の証としてルシフェルへと引き継がれた王の力……
王として欠かせない七つの力を行使することを、彼は心底忌避していた。
このチカラは、使えば使うほど、自身を薄れさせていく危険なチカラだと…………
「…………そんなことになる前に、現状の原因究明を急ごう。」
「…………そうね。」
一抹の不安が私の中に芽生えていた。
・
王の書斎、サタナエル先王も使用していたこの部屋の隠し扉が発見されたのは、つい先刻のことだった。
ついに国民の大半が開戦を訴えるだけの置物に成り果て、開戦を訴える国民たちは王城の前に大挙し、寝食も忘れて懇願している。
その異常さは餓死者さえも出るほどで、わらにもすがる思いで何度も何度もあらゆる文献を調べ直していた時に、この部屋は発見された。
私達二人は早急な事態解決を求めて、隠し部屋にある書物を読み漁る。
その中の一冊の本を見つめて…………私たちは頭を抱えた。
「こんなの………マッチポンプじゃないか…………」
本に記されていた内容は、奇天烈そのものだった。
本によれば、私たちの信仰していた神は最終的に私たちが滅びるようにデザインしていたらしい。
滅びるまでは最高の繁栄を約束されているが、その時が来れば、ひとりの処刑人によってあっさり滅ぼされる運命なのだと…………七宝の力も、私達の侵攻を円滑に進めるために存在しているが、同時に、歩r日行く未来へ躊躇なく進むためにも機能しているというのだ。
このチカラを使えば、絶大な武力と統率力によって数多の他世界を蹂躙できるが、その一人の処刑人にも恐れることなく挑んで散っていくのだという。
まるで、多くのミツバチが一匹のスズメバチに挑んで命を散らすように……ミツバチと私たちの違いは、挑む処刑人が死なないという一点のみだ。
「……………まさか、人々がだんだんおかしくなってるのも……。」
声が震えているのを自覚する。
多くの者が獣のように知能が低下し、まともな者はもう数える程度しか存在していない……。
この現場こそを神が望んだというのだろうか?
「王よ!!王よ!!」
誰かがルシフェルの名を呼んでいるのが聞こえる。
言葉を発することが出来るほど知能が残っている者など限られている……この声は門兵のユネルだろう。
「王!!大変です!!」
「…………」
おびただしい汗をかきながら部屋に入ってきたのは、予想した通りユネルだった。これだけ慌てているのだ、異常事態なのは間違いない。
しかし、本のショックが大きいのか、ルシフェルは微動だにせず、返事も返さずに本を凝視している。
「なにがあったの!!?」
ルシフェルの代わりに私が問いかけると、ユネルは背筋を正して報告する。
「先日から多発している餓死者が、急に動き出したとのことです!!」
「え…………まさか!助かったの!?」
思わず喜びそうになったが、ユネルの表情を見て、ソレは間違いだとすぐに確信する。
「いえ…………皆一様にうめき声をあげて、誰彼構わずに襲っているとのことです!!」
「はぁ!!?」
「それだけではありません!!知能低下がみられる人々がまるで獣の様な造形に変貌し……」
ユネルの報告の途中で、ルシフェルが笑い声をあげる。
あまりに唐突な出来事に私も、ユネルも、ただルシフェルを凝視することしかできなかった……あまりにも狂ったように笑うものだから、とうとうルシフェルまで他の人々と同じようになってしまったのかと思ったほどだ。
しかし…………そうではなかった。そうではなかったのだが、確実に狂ってしまった。
「七宝の力の一つ……使い道の謎だった力があったが………まさかこのためか…………流石は神だ………すべて計算づくだというのか……………。」
「…………………ルシフェル?」
彼は笑っていた。
確実に笑っていたのだが、彼の瞳は悲しみと怒りに満ち溢れていた。
「………アリス………ごめん。私の願いは………叶わぬものだったらしい。」
「…………ルシフェル?何をいって………」
私がすべてを問いかけ終わる前に、視界が揺れ、身体が傾く。
鼻孔には……甘い香りがくすぐっていた。
「これは………七宝の……チカラ?」
間もなく、立ってもいられなくなり、私は膝から崩れ落ちる。
霞んでいく瞳から覗く彼は、あの時を変わらない優しい表情で、私を見つめていた。
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__________嫌な夢。
瓦礫の奥底……おそらくリぺリシオン王国の地下で私は目覚める。
首から下は滞りなく再生しているようで、難なく立ち上がることが出来る。
「……………アリス様。」
瓦礫の向こう、この地下本来の入り口であろうところに初老の男が立っている。
腕には私好みの服が掛けられており、その手の甲には邪神崇拝者の印である邪神信仰のシンボルが描かれていた。
つまるところ、馬鹿の証だ。
私が近づくと、男はうやうやしく頭を下げて服を手渡してくる。
「状況は?」
「はい、信者の何名かが教会に雇われた傭兵に紛れ込み、目的の首無し騎士奪還へと動いております。」
「そう、動きがあったら逐一報告しなさいねぇ。」
「はい。」
男はそれだけ言うと、また瓦礫の向こうへと消えていく。
憎き神を葬るためなら、ああいう馬鹿も惜しみなく使ってやる……。
「魔王様の仇………」
私は、天空を見上げながら、歯ぎしりをする。
仇討ちまではまだまだ遠い。




