太古の怪物
王宮の廊下を端正な顔を曇らせた子女王が歩く。
目的地は兵士たちが集い、醜い不死者を取り囲んでいるであろう外の広場。
(ディネリント様もおかしなことをおっしゃる……。)
気高き勇者の仲間、英雄の一端である大魔導士ディネリント。
現代に残った唯一の英雄………
その英雄である彼女…それも精霊に最も近い存在とされる森妖精である彼女が、よりにもよって穢れの象徴ともされる不死者を友と呼称するなど………
「ディネリント様はあの不死者も勇者様と面識があるとおっしゃっていました……つまり、あの不死者も300年前の人物……」
ディネリント様にとっては自分と同じ経験を____あの最終戦争の苦難と記憶を共有することのできる最後の一人なのかもしれない。
しかし、相手が誰であろうと不届きにも不死者となってしまったからにはこの世から退場していただかなくてはならない。
リトス司祭の書状には聖属性の浄化が効果がないという話であったが、そんなことは関係ない。
だいたい、加護が聞かない……つまり神に魂が拒絶されている存在など、いったいどれほどの大罪を犯したのか……想像がつかない。
そんな者が大英雄の友人などおかしな話なのだ。
「こんな時……勇者様ならばどうしたのでしょう。」
伝承にある勇者ならば、たとえ大事な友人で会っても…魔に堕ちたものならば、己を律し、脅威が人々に向く前に消滅せしめたことだろう。
無力な人々の盾であり、剣であった彼ならば我が身が……心が傷つこうとも、自身を犠牲にして脅威に立ち向かったはずだ。
「………私もいつか、そんな殿方に…」
そうつぶやくと、聖女王は慌てて咳払いをし、周りに誰もいないことを確認する。
耳まで真っ赤に染めた子女王はそそくさと歩みを速めて廊下を歩く。
彼女には人知れない夢があった。
それはお伽話に出てくる……自身の先祖のように、勇者の様な勇敢な者と添い遂げることだ。
現代で”勇者”ほどの存在など存在しない……。
そんなことは重々承知しているのだ…………しかし、人間、憧れは止めらない。
幼少期、母に勇者と姫の伝承を聞かされてからというもの、すっかり憧れを拗らせてしまっていた。
(いけませんよエリザベート……私はいずれ、国のためにこの身をささげる身……ゆくゆくはリぺリシオン王国の第二王子を婿にもらうのだから………)
聖女王は自らの名を心の中で呼称し、叱咤する。
リぺリシオン王国の第二王子はまだ齢15だという……身体も弱く、剣も碌に振るえないとか……
聖女王があこがれる”勇者様”には程遠いが、その反面頭がよく回り、他者へも自愛の心を忘れないとか……あの最終戦争の時代では露しれず……この平和な世ならば、良き名君として人々を導いてくれるだろう。
この平和を後世に残してくださった勇者様に感謝をささげよう。
そう思っていた瞬間だった。
_______________突然鳴り響いた爆発音が王宮を揺れ動かす。
「_____っ!!何事ですか!!?」
大地が怒りをあらわにするように足元がぐらつき、あたりの部屋からはガラスや花瓶が割れているのであろう破壊音が聞こえてくる。
______敵襲。
その単語が、聖女王の脳裏に浮かび上がる。
どこかの勢力がこの王宮に攻め込んできたのだ。
「兵士たちよ!!直ちに戦闘態勢に入るのです!!」
聖女王は叫びながら兵士たちが集っている広場へと駆け寄っていく。
しかし、兵士たちは皆微動だにせず、ただ一点を見つめている。
空の彼方……巨大なドネラル山脈の頂上………その一点を…………
「なんです………?あれは…………」
聖女王は自身の口から漏れ出る言葉が震えているのを、知覚する。
しかし、そのことを知覚したとて……王としての威厳を取り繕う余裕すらないほどに目の前の光景は異様なものへと変わっていた。
まだ時間は昼頃であり、先ほどまで晴天であった空が……異様に暗い。
暗雲がドネラル山脈から立ち込めており、黒い粉がまるで雪のように降り注いでいる。
その暗雲の中心……ドネラル山脈からは、紅蓮の柱が、まるで神の怒りを具現化したように、大地を揺らしていた。
「世界の……終わりか…?」
兵士の一人がそう呟く。
あまりにも不謹慎な言葉だ……しかし、その言葉を咎める者も、否定する者も、この場には居合わせなかった。
誰しも……聖女王でさえ、心の中でそう思ったのだ。
やがて、紅蓮の柱の中から”何か”が姿を現す。
荒々しい巨躯と、禍々しい頭を持った巨大な蜥蜴……
しかし、紅蓮の柱と同じ色を持った鱗と、背中から生えた下等翼竜の様な巨大な翼が、蜥蜴などというちっぽけな存在ではないことを見る者に知らしめる。
それは神の先兵……悪魔の兵器………炎の精霊を凌駕する息を吐く伝説上の存在………
「火竜………」
現存する”竜”と呼ばれる存在……それらすべてを”偽物”と吐き捨てられるほどの圧倒的威圧感………
これほど離れているこの王宮ですら、足を震わせずにはいられない災厄の化身………
やがて、火竜は咆哮をあげる。
その一声で大地は震え、雲は散り、降り注いでいた黒い雪は消えてなくなる。
周りの兵士はというと、すでに足に力が入らずに、その場で尻もちをついていた。
それは聖女王も同様だ。その場にぺたりと座り込み、ただ一点を見つめている。
…………この中で唯一、両足で立ち、兵士が手放し、地面に転がった剣を持ち上げる………異形の怪物。
首無し騎士は持ち上げた剣を構えると、全員の前に立つ。
「召還:首無し馬!」
彼女の足元から、首のない異形の馬が出現し、いななきをあげる。
颯爽と馬に飛び乗った首無し騎士は振り返り、聖女王に叫ぶ。
「違反の咎めは後で受けよう!!すまない!!」
それだけ言うと、首無し騎士は首無し馬と共に駆け出した。
・
「なんなのだ!!あのバケモノは!!」
騎乗した首無し騎士はドネラル山脈の麓を目指し、颯爽と駆け出していた。
あれほどの脅威を放つ魔物は、最終戦争時の魔王軍にすら存在していなかった。
この不死者の躰でなければ、自分も周りの人々と同じように腰を抜かしていただろう。
「お前も……よく付き合ってくれる。」
首無し騎士はともに向かってくれる首無し騎士に語り掛ける。
こいつも、恐怖を感じぬ不死者でなければ他の馬と一緒に使いものにならなかったことだろう。
「奴は危険だ……あのまま野放しにすれば、どれだけの国…人々が犠牲になるか分かったものではない!」
首無し騎士は首無し馬の進む速度を速めていく。
あの高さに至るには、まだまだ速度が足りない。
身体が壊れるのも厭わずに、首無し馬はどんどん速度を上げていく。
体から悲鳴が上がることなど関係ない、痛みの恐怖も、この身には関係ない。
最高速度のまま、首無し馬はドネラル山脈の麓から頂上まで一気に駆け上がる。
首無し騎士は、その間に首無し馬の背に立ち上がると、頂上にて跳躍する。
「おおおおおおおおあああああああああッ!!!」
雄々しい雄叫びと共に、首無し騎士は剣を火竜へと突き刺そうとする。
しかし、剣は赤い鱗に阻まれ、ポキリと折れてしまう。
「そんなバカな!?」
首無し騎士は咄嗟に折れた剣を捨てると、火竜の足へとしがみつく。
片手に持っている頭を落とすわけにはいかないので、両手でしがみつけないのがもどかしい。
対して火竜は首無し騎士のことなど、眼中にないという様子で、悠々と飛行する。
その眼前にあるのはクリミア聖王国の王宮だ。
やがて、火竜は急に動きを止めたかと思うと、喉を膨れさせている。
カチカチという火打石に似た音を、口から発し、蝋燭を吹き消す前の子供のように、首をひっこめる。
「まさかこいつ_____!!!」
首無し騎士がそう叫べ刹那、高温の炎がクリミアの王宮を襲う。
炎の後方、火竜の足元にいる首無し騎士にさえ、炎の熱気が襲ってくるのだ。
熱気に晒された皮膚が焼け焦げていくのがわかる………直撃でなく、炎の後方にいてさえこの熱気と威力だ……直撃に晒されたクリミアの王宮はひとたまりもない…………はずだった。
「まにあったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
クリミアの王宮から聞き馴染みのある声が響き渡る。
ディネリントが、魔法で構築した防壁を何十にも重ね、クリミア王宮の周りを囲んでいたのだ。
「さすがは勇者一行の大魔導士………!!」
心底ほっとした首無し騎士は両足を火竜の足にひっかけ、よじ登っていく。
片腕が使えない分、こうして工夫をするしかない。
その間にも火竜は破壊の衝動を開放させていく。
魔法防壁をその強靭な四肢と牙で破壊していくのだ。
「私の防壁をそんな易々と……!!!」
火竜が鉤爪を少し振り落とすたびに、ディネリントの魔法防壁は一枚……また一枚と削られていく。
ディネリントも防壁が破壊されるたびに貼りなおしているが、魔力切れを起こすのも時間の問題だろう。
他の魔法使いも加勢とばかりに魔法障壁をかけるが、正直雀の涙だ。
ディネリントの防壁に比べれば、薄皮にもならない。
「首無し騎士ーーーッ!!!」
不意に遠方から叫び声が聞こえてくる。
ジャックだ。
ジャックが王宮に取りつけてあるバリスタに乗って、首無し騎士へと呼びかけている。
そのバリスタに装てんされているのは……
___________首無し騎士の剣だ。
「なぁ!?」
生前の……聖騎士時代から愛用している剣。
この剣には銀が含まれており、お世辞にも熱に強いとは言えない。
そもそも……この火竜の息にはどのような剣も、鎧も、一瞬にして溶けてしまうだろう。
しかし、無慈悲にも首無し騎士の剣は火竜へとうち放たれる。
「ちょ……!ま!!!」
バリスタの勢いにより、首無し騎士の剣は火竜の鱗の隙間を練って突き刺さる。
「グォォォォオォォォォォォォォオォォォッッ!!!!!!!」
火竜は大地を揺るがす方向をあげると、天空へと炎の柱を燃え上がらせる。
巨躯を覆う鱗とは正反対の青い炎を吐き出すと、首の向きをジャックのいるバリスタ台へと向けていく。
「まずい!!!」
ディネリントの防壁があるとはいえ、先ほどと違い、魔法防壁の数は少ない。
無傷でいられるとは言い切れないのだ、首無し騎士は火竜の巨躯を駆けのぼると、自身の愛剣に手をかけ……そのまま深く突き刺していく。
激痛など経験したことがなかったのだろう、火竜は剣から逃れるように、身をよじり、転がりながら、防壁の下へと落ちていく。
人々の叫び声と共に、建物が崩れ、瓦礫の山へと変容していく。
「何をしている!!早く逃げろ!!!」
あまりの恐怖に固まっている人々に発破をかけるように首無し騎士は叫び声をあげる。
逃げ惑う人々を確認すると、首無し騎士は剣を抜き出し、火竜に追撃をいれようとする。
しかし、火竜は有象無象の魔物ではない。
無数の魔法陣を自身の頭上へと展開する。
「まさか……!こいつ魔法を………!?」
知性のない魔物が魔法を使うことなど本来有り得ない。
奴らが駆使してくるのは固有の能力だ……魔法を駆使する魔物は、純血の吸血鬼や死の魔法使いなどの知性だけはある上位の不死者のみ………
つまり、この瞬間……この火竜には魔法を行使するだけの知性があることが確定した。
魔法陣から放たれた無数の火球が首無し騎士へと襲い掛かる。
降り注ぐ火球から身を隠すように、瓦礫の下へと非難する。
外れた火球は火竜へと直撃するが、意にも介さない様子だ。
炎属性では脅威にならないということなのだろう。
やがて、降り注いでいた火球が止んだ頃、瓦礫のしたから首無し騎士が這い出てくる。
その瞬間、火竜と目があう。
先ほどのように、獅子が周りをたかる蠅を意に介さないような雰囲気とは違う。
一点に首無し騎士を見据える……獲物を屠る捕食者の眼だ。
「やっと私に振り向いてくれたか……この唐変木め!!!」
首無し騎士は剣を構え、火竜と向き合う。
この怪物を打倒するのは無理かもしれない。
しかし、それならばせめて暴れなくなるまで体力を消耗させるべきだ。
竜へと挑む騎士の物語など数多あるが、まさか自分がその再現をする羽目になるなど、思ってもみなかった。
「行くぞ!!」
自身へ発破をかける勢いで叫び、首無し騎士は火竜へと向かっていった。
・
漆黒の中で首無し騎士は目を覚ます。
「ここは………」
状況を呑み込もうと、周囲を見回すが、一面の暗闇によって視界が阻まれている。
おかしい……自分は先ほどまで火竜と死闘を繰り広げていたはずだ。
何とも奇妙な状況に、首無し騎士は首をひねり、後頭部に手を伸ばす。
_________そこでふと違和感に気づいた。
______首がある。自身の頭が、しっかりと自分の首の上に乗っかっているのだ。
首を触ってみるが、つなぎ目などなく、しっかりとくっついている。
まるで、初めから切り落とされてはいなかったように………
「………私は、死んだのか。」
唐突に理解した。
正確には死んだのではない。火竜の息によって”火葬”されたのだ。
つまりこのどこまでも続くような暗闇が広がる場所は、『永劫の苦しみ』が待ち受けているとされる場所。
話では怨嗟の声があふれ、身を焦がす苦痛ろ苦しみが充満しているということであったが………なんということはない。
ただ何もない空間が、続いているだけだ。
「私は……こんなところを恐れて…みんなに迷惑をかけていたのか。」
自身のふがいなさに悔いるばかりだ。
こんなことなら、さっさと燃やされればよかったのに……
イライザ・クロスライトは歩き出す。
何かを目的としているわけだはない。
ただ、何となしに足を動かしただけだ。
「そういえば……みんなはどうしただろうか?火竜は、退けることができたろうか?」
自分がどれほどあの怪物を消耗させることができたか定かではないが、あの場にはディネリントがいた。
彼女ならば、何とかしてくれそうな信頼がある。
どちらにせよ、この場に落とされた自分にはもうどうすることもできない。
諦めて、この何もない空間で過ごすしかない。
_______________どれほど歩いただろうか。
行けども行けども視界に入るのは漆黒のみ……いい加減うんざりしてきた。
「何もないっていうのは……結構こたえるものだな……。」
永劫の苦しみの”永劫”とはこの終わりのない空間のことなのだろうか?
しかし、確かに暇ではあるが”苦しみ”というほどではない。
生きた後の休息のように思える。
ただ……歩き続けるのにも飽き飽きしてきたので、ここで一度座ってみる。
また、手元無沙汰になり、何気なく周囲を見回すが、やはり何もない。
暗闇で、無音で、やることも……何もない。
あるのは、この”身体”のみ。
こうやってずっと座っていると、方向感覚もわからなくなりそうだ。
首が切り離されたままだったら、上下の間隔もわからなくなっていたことだろう。
…いや、本当にこの”上”が”上”なのだろうか?もしかしたら、この”上”だと思っている方角こそが、”下”の可能性も……………
「…………何を考えているんだ。」
あまりの”何も無さ”にくだらないことに思考を持っていかれる。
このままでは、頭がおかしくなってしまいそうだ。
「………………なるほど、これが”永劫の苦しみ”か。」
どうしようが、これがこの先、永遠に続くのだ。
真の苦痛というのは、痛みを伴う拷問でも、心の傷を抉るトラウマでもなく………”何も与えられないこと”だと、遅かれながら理解した。
永久に続く”無”が、神に背き不死者となった者への罰なのだ。
「これは………つらいな……何もなさすぎて、こうやって自分の考えていることをそのまま声に出してしまうほどだ………無音というのが、ここまで人を追い込むとは……」
ジワリと、目が熱くなり、涙がこぼれる。
それを知覚すると、イライザ・クロスライトは栓が抜けたようにわんわん泣き出した。
「どうして………どうして私がこのような目に合わなければならないんだ……!理不尽だ………っ!!私は……なりたくて不死者になったわけではない!!故郷の主君も、友人も……家族も守りきり、神の身元へと送った!!!なのに!!何故私だけそこに行けない!!!機会はいくらでもあったのに!!!!!」
イライザ・クロスライトは子供のように泣きじゃくる。
この場には誰もいない、誰に遠慮をする必要もない。
もう意地を張らなくていい、すべて終わってしまったのだから。
「しんだあとも!じしんのしんじるせいぎのもと!!!ひとびとにてをさしのべた!!!それすらしょくざいにならないのか!!!そのきもちすらつみだとでもいうのか!!!!」
イライザ・クロスライトは床に這いつくばり、地面をたたく。
しかし、叩いた音などせず、感触すらない。
ここでは痛みすらも許されない。
「わたしは………いったい…どうすればよかったのだ………っ」
その場にうずくまり、嗚咽を漏らして泣きじゃくる。
誰も答えなど返してくれない。
誰の声も聞こえない。
自身の鼓膜に入り込んでくる怨嗟の声……
それは紛れもない自分の声だ。
誰に対する者でもない………自身が最も信頼を置いた、”神”に対しての。
やがて、自身の嗚咽とは別のチリチリといった音が聞こえてくる。
自身の中でふつふつと湧き上がる、ある感情を増幅していくように……
「神よ……貴方がその気だと…いうのなら…………」
イライザ・クロスライトは身体を起こす。
視界に映る自身の腕からは、小さな火の粉が舞い始めている。
やがてその火の粉は、ふつふつと大きくなり、業火となって彼女の身体を包み込んだ。
しかし、この業火はいつもの神の炎などではない。
彼女の内側から燃え上がる、憤怒の炎だ。
「私は!!私のやりたいようにやってやる!!!!!」
イライザ・クロスライトの決意とも、怨嗟ともとれる怒りの発露は彼女の炎を勢いよく燃え上がらせる。
やがて燃え盛る炎は獄炎となり、この空間から、イライザ・クロスライトは燃え尽き………消えた。




