廃墟の王国
「あちゃー……やっぱこうなったか。」
男は《リデオン森林》の前で倒れている盗賊の少年を見下ろし、頭を掻く。
男は荷馬車を使った輸送業をしているのだが、その途中で必ずこの《リデオン森林》まえの街道を通るルートを使っている。
理由は簡単、この場所の前を誰も通りたがらないから。不死者……しかも首無し騎士が出るとされる森林近くの道を好んで使う者などそういない。
しかし、だからこそ男はこのルートをいつも使っている。何故なら人がいない分早く着くからだ。
しかし、そのせいでこの《リデオン森林》へ行こうとする冒険者パーティなどが必ずと言っていいほど彼に話を持ちかけるのだ。「送って欲しい」と……
小遣い稼ぎになるので毎回承諾しているが、その次の帰りのルートで必ずと言っていいほどその人々を拾って帰路につくことになる。
何故なら昨日送ったこの少年のように、毎度《リデオン森林》外にその人達が捨てられているからだ。
「おーい、生きてるかぁ?」
男は一応少年に近づかないよう、遠巻きに声をかける。
連れ帰った全員が生還しているので今回も大丈夫だとは思うが、挑んだ相手は不死者だ。
もし殺されていたらこの少年も不死者になっている。不用意に近づき、襲われでもしたらたまったもんじゃない。
男は遠巻きに声をかけて応答がないと、こんな時のためにいつも荷馬車に常備している長い木の棒を使って少年を叩く。
すると、少年は呻き声をあげながらゆっくりと目を覚ます。
「まさか……動死体に……?」
「生きてる………生きてるよ…………」
御者の男はほっと胸を撫で下ろすと、駆け足で少年に近づく。
「だから忠告したんですよ、やめといた方がいいって……あの首無し騎士が獲物を仕留め損なうだけで、普通なら死んでしまいやすから!」
御者の男の話に盗賊の少年……ジャックは心の中で否定する。
(仕留め損なう……?違う、見逃されたたんだ……!)
戦ってみればわかる。
あの首無し騎士は異様に強かったし、ジャックはその場で気を失った……ならばその後殺さなかったわけがない。
そもそもあの頭突きだってそうだ……何故握っていたメイスを手放して、わざわざ頭を両手に持ち、頭突きしたのか……。
そこには明確な手加減があったのだ。
「ほら、これに懲りたら町に戻りましょう……正直、あっしもこの馬車にゃあ止まりたくないんですわ。」
男が馬車へと走っていくのを横目で眺めていると、ふと自分の手の近くに何かボロ布で覆われた柔らかいものがあることに気がつく。
ジャックは不審に思い、ソレを手に取ると布を開いて中を確認する。
「おーい!どうしやしたー!?」
背後で男がこちらに向かって叫んでいるのが聞こえる。おそらくもう馬車に乗り、ここから離れるだけになっているのだろう。
「なんだ……これ…猪肉?」
布に包まれていたのは採れたてであろう、立派な獣の肉であった。
「なんで……こんなもの………」
・
《リデオン王国》跡地……その崩れた外門前……
一体の不死者が微動だにすることなく、立っていた。
「あ゛ー…………」
ひどく濁った呻き声が首無し騎士のすぐ後ろから聞こえてくる。
首無し騎士は振り返ると、その近づいてくる人影の肩を抑え、話しかける。
ボロボロではあるが、ひどく凝った装飾のマント……汚れてしまい、既に輝きを失ってしまった冠……
「王よ……またですか………いけません外出をなさっては…………」
首無し騎士はその動死体に話しかけるが、言うことを聞くことなく、ただ呻き声をあげながら前進しようとしている。
「王………」
首無し騎士のくぐもった声がひどく悲しそうに漏れ出てしまうが、その声を気にかける者など一人もいなく、この王国の内部に蔓延る掠れて濁った呻き声の中に消えていく。
「王、王妃様もご心配なされているでしょう……お送り致します。」
首無し騎士は片手で王の肩を抑えたまま、門の脇に立てかけていた杭柵を門を塞ぐように設置する。
城壁上部に造られたものと同じ作りのその杭柵は制作者が同じ人物であると雄弁に語っていた。
「王、参りましょう。」
首無し騎士はその汚れてもなお気品のある衣服に身を包んだ動死体の背中を押しながら、ボロボロの衣服を見に纏っている動死体や骸骨兵の中を掻き分けていく。
しばらく歩けば、崩落した王城の入り口に辿り着き、その入り口には一生懸命枯れ草を噛んでいる麦わら帽を被った動死体がいた。
「相変わらず精がでるな、庭師。」
首無し騎士の言葉に何も返さない動死体の横を素通りし、玉座の間へと直行する。
玉座の間の前ではボロボロのメイド服を纏った2体の動死体が、小さな動死体に噛みついていた。
「こら!やめろお前達!!王子に対して無礼だぞ!」
首無し騎士はその光景を目撃するや否やその3体の動死体の方へと駆け出し、メイド服姿の動死体を引き離すように突き飛ばす。
すると、その衝撃で突き飛ばした片方の動死体の腕が千切れ落ちてしまった。
「ああっ!すまない………!そんなつもりじゃ…………!!」
首無し騎士は慌ててその動死体に駆け寄り、腕を拾い上げ、メイド服姿の動死体へと返す。
すると、メイド服姿の動死体は自らの腕だと言うのに貪り食い始めてしまった。
「腕が……なくなってしまうぞ………」
首無し騎士から発せられるヘルム越しのくぐもった声はひどく哀愁を帯び、その哀愁を自覚する間もなく、王と呼ばれていた動死体が突き飛ばしたもう片方のメイド動死体に噛み付く。
「王よ!!お怒りはごもっともですが、どうか落ち着いて!!」
慌てて首無し騎士は王と呼ばれている動死体を押さえ込み、引き離す。
すると、目の前の閉ざされた玉座の間の扉から豪奢なドレスを見に纏った青白く半透明な魔物である彷徨う霊体がすり抜けてくる。
「ああ!王妃様……!王が………」
首無し騎士の声に反応することなく、彷徨う霊体はそのまま廊下の暗闇はと消えていく……。
王子と呼ばれた動死体はその後を呻き声をあげながらひどくゆっくりとした足取りで歩いて行った。
「はは…………王子殿はまことに母君が好きでいらっしゃる………」
首無し騎士は閉ざされていた玉座の間へと続く扉を開けると、その中に王と呼ばれている動死体を入れ、扉を閉める。
出てこないように、外から棒きれで施錠した後、定位置である崩れた城壁門のところへと向かっていた。
廃墟となった王国内にいる国民達はどこを見ても動死体か彷徨う霊体……共に訓練を重ねてきた兵士達は皆骸骨兵へと変わってしまった。
唯一首無し騎士となってしまったのは自分ただ一人だけ……。
首無し騎士は崩れた城壁門へと辿り着くと、杭柵を外し、定位置に立つ。
(そういえば……あの少年は無事に帰れたのだろうか……)
もう時間も定かではないが、この王国内に侵入を試みていた少年……あんな子供が墓場荒らしなど余程追い込まれていたに違いない……
何かの足しになればと思い、近郊にいた猪を狩って置いておいたが…………
「違う……!ここは墓場などではない………!!」
自分の心の中の声を自分で声を出して否定する。
ここは墓場などではなく、栄誉ある《リデオン王国》なのだ……いち騎士として自分はこの国を護る責務がある。
そして……万が一にもこの地へ誰も足を踏み入れないようにする責任も……
国民達を外に出すわけにもいかない……近々城壁上部にある杭柵の補修、補強と増設を行わねば……
「おお……神よ………………」
首無し騎士は自身の頭部を覆っていたヘルムを外し、1日も欠かせたことはない神への祈りを捧げる。
この身を卑しい不死者に堕とした自分を責めるように全身に激痛が走る……しかし、“彼女”がこの祈りを辞めることなど出来はしない。
もう祈ることすら叶わなくなった祖国の民衆、我が王が救われるためにも祈り続けなければならないのだ。
大丈夫……まだ希望はある…勇者が魔王を倒してくれさえすれば魔王の幹部に皆殺しにされ、不死者にされた我々も浄化され、神の元へと帰ることができるだろう……。
あの青年ならばきっと魔王を退けてくれるはず、その時まで祈りを欠かすことは出来ない。
「頼んだぞ……勇者…」
あれから何日過ぎたかもう把握もできないが…いつまでも待っている。
民が…王が……浄化され、安息のままに休息に入れるその日を……ずっと……………
「だからどうか神よ………私のことは赦して下さらずとも良い……だが…皆のことはどうか………」
首から揺れる炎が断罪の業火の如く全身を包み、焼く。
火傷などはなく、ただただ焼かれる激痛だけが彼女を責め立てるのだ。
彼女はその痛みを受け入れ、耐え、祈り続ける。
「不死者が自分が焼かれるのも厭わず祈り続けるくらい敬虔な神の信徒とか……冗談でも笑えないんだけど。」
不意に聞こえてくる言葉に首無し騎士は瞬時に頭を持ち上げて、立ち上がる。
神への祈りを邪魔するなど、非常識にも程がある。
「誰だ!!」
憤りから思わずあげてしまった声に自分でも驚く。
こんなに大きな声が出るものだったろうか、死んでから長いこと声を張り上げたことがなかったためわからなくなっていた。
「今度は隠れて不意打ちなんてしないから安心しなよ。」
首無し騎士の声に誘われて、正体不明な声の主は姿を現す。
その正体は先程追い出した少年だった。
「なんで……どうしてまた来た!!?」
首無し騎士はすぐに剣を構えると、臨戦体制に入る。
2度も挑みに来たのはこの少年が初めてだ。
「どうしてって……あんた、今まで誰も殺してないし、俺に猪肉をくれただろ?そんで決めては俺を気絶させる時にした頭突き、その後の声だ。確信したね、あんた不死者のくせに生前の感覚のまま意識があるね?」
首無し騎士は少年……ジャックの言葉に歯を食いしばった。
これ以上不死者を増やさないためにしていた不殺の対策が仇となったのだ。
「調べてみると、上位不死者の中には稀に意識と知能が残る奴がいるらしいな?それでも大抵の奴は魔物や不死者に精神を引っ張られるってのに生前の精神のまま保ち続けられるのはごくわずか……その秘訣は神への祈りだったりするのかい?」
ジャックの言葉に首無し騎士は舌打ちすると、剣を向け、吠える。
「そんなこと知るか!それより早くここから立ち去れ!ここはお前みたいな生者が来て良い場所じゃないんだ!!!」
首無し騎士はジャックに向かって警告を発する。
何度も来るものが現れた以上、この地の危険性を理解してもらい、立ち去ってもらうしかない。
町に戻ったら噂を広め、来てはいけないと知らしめてくれると助かるのだが………
「そうはいかない、俺はアンタに取引を持ちかけに来たんだ。」
首無し騎士は驚きながらもジャックから目を逸らさない。
取引……?自分は不死者だぞ?恐くはないのか………??
「アンタはそこを護ろうとしてるみたいだが、財宝を差し出せば、《リぺリシオン王国》が保護してくれるかもしれない……幸い、アンタは誰一人として殺しちゃいないしな。」
《リペリシオン王国》……?聞いたことがない国だ………だが、勇者が魔王を倒す間、何処かの国がこの地を保護地にしてくれるのはありがたい申し出だ……。
我々はもう勇者が魔王を倒し、浄化してくれるのを待つだけの身、国の財宝などもう惜しくもない。
「不死者がアンタ一体くらいなら死霊術師の庇護下に入るのも……」
ジャックのその言葉に首無し騎士は目を見開き、続けて申し訳なさそうに目を伏せる。
「10万人だ………」
「え?」
首無し騎士の言葉にジャックは思わず聞き返してしまう。
「この……この《リデオン王国》王都内部に取り残された民衆……不死者となった人々の数は10万人で、意識のある者は私以外一人もいない……すまないが、君の申し出は現実的じゃない……」
首無し騎士は震える声を押し殺しながら発言する。
甘い申し出に乗せられそうになったが、そもそもこの少年が庇護を決定できる上位層とコネがあるように見えない。まず聞いたことのない国名の時点で怪しい。
「すまないが帰ってくれ……私を倒すと、10万人の不死者がこの地に解き放たれてしまうかもしれないんだぞ。」
「10万………っ」
ジャックはひどく戦慄した。
金銀財宝どころの話ではない、国の脅威が国内にそれほどの数ひしめき合っていたというのだ。
「これは……ギルドは把握しているのか……?」
「ぎるど……?なんだそれは」
ジャックは恐怖心を抑えることが出来ず、その場から逃げ帰ってしまった。
そして、《リデオン森林》内の旧《リデオン王国》内部に10万の規模の不死者がひしめき合っているというジャックの話からギルドと教会が動くのにそう時間はかからなかった。