3:貧民窟 ≪スラム≫
サザーランドの話をまとめると、こうだ。
桟橋のこちらの地区とは反対側に、小規模な集落がある。密航者だったり、けがや病気が元で働けなくなったり、そもそも人間の社会で暮らしていけない者だったりの集まりが住んでいる場所だそうだ。
ある程度の数が港湾労働に従事していたり、この辺の商店で働くものもいるらしいが、大半が食うに困る、その日暮らし。
そのエリアはシティーからは「存在しない場所」として扱われており、シティーガードも来ることはない。
そして、その集落内の知り合いの一家が突然行方知れずになった。ここまでならよくある話とサザーランドも思うらしいが、続きがある。
その知り合いの子供の声を港にいるときに聞いたそうだ。三回も。
もちろん初めは聞き違いか気のせい、で片づけたがそれが続き、さらに3回目は「助けて」とはっきりと聞き取れたという。
さすがに気分が悪くて、無視もできないし、それで僕を訪ねてきたそうだ。
彼は、その子供はすでに死んでいるのではないかと思っているようだ。
「お話は分かりました。それで、私にどうしろと?」
「シティーガードは干渉しないし、干渉させたくもない。あそこにはあそこで暮らしがあるんだ。かといって冒険者を雇うほどの金もない。どうしたら良いかも分かんねんだよ。神官さん、助けてくれ」
目を閉じて考えるポーズをとる。このサザーランドって奴は善良な男なのだな。そんなことを思いながら少し間を作る。
そして目を開いて彼に言った。
「なるほど、一つ考えを正して頂かねばなりません。私もまた冒険者なのです。
金を積めとは申しませんが、働きの対価はいただきます。
さて、あなたは私に何を支払っていただけますか?」
サザーランドは少し愕然としたように固まった。彼が想像していた答えとはかなり違ったのだろう。僕としては一文にならなくても、この話を放置するつもりはなかった。そういう意味でサザーランドが僕を頼ったのは正解だ。
ただし、僕は彼の覚悟を確認したかった。可哀そうだからとか、声が聞こえて気持ち悪い、とかの話を簡単に解決できると思っているなら自分で解決すべきだ。
何に関わるにせよ、依頼するにせよ、覚悟が求められるのは当然だと僕は思っている。
「神官さん、申し訳ないが、少し時間をくれないか?」
「ええ、構いませんよ」
「すぐに戻ってくるんで、ちょっと待っててくれ」
そう言い残すと、店の外に出て行った。
僕は席を立ちカップ2つを運びながら、カウンターに向かうと
「お姉さん、これありがとうございました。あと少しお願いがあるのですが」
僕のお願いに彼女は銀貨3枚で応じてくれた。
「神官さん!」
10~15分くらいだろうか、サザーランドが息を切らしながら店に戻ってきた。
肩で息をしている何をしてきたのだろうか。
「まず、報酬として金貨12枚と銀貨4枚。もちろんこれじゃ足りねえのはわかってる。だから俺とスラムの連中があんたの仕える神に忠誠を誓う。これで引き受けてくれないか」
彼は真剣な目で僕に言った。うん、彼の覚悟は伝わったし、満額回答と言っていい。
「引き受けましょう。ただし、もう少しだけ条件があります」
僕の言葉にサザーランドの表情が引きつった。が、僕は気にせずに続ける。
「第1に、忠誠を誓うという言葉は、早々使うものではありません。あなたにも祈る神がおられましょう。ですので、私の仕える月の神にも欠かさずに祈りを捧げてくださればそれで構いません。
第2に少しばかり労働のお手伝いをお願いします。
第3に報酬は全てが終わった際に頂きます。それまではあなたがお持ちください。僕の予想が正しければ数日で解決するでしょう」
引きつったサザーランドは笑顔に変わり、その場に跪いて言った。
「風の神よ月の神よ。感謝を申し上げます」
その言葉を聞き、僕は笑顔で祝福の印を切った。
「さあ、始めましょう。早速ですが働いてもらいますよ」
宿の裏手に回ると、荷車があり、その上に鍋が一つと籠が4つばかり載せてある。先ほど宿のお姉さんにお願いした今朝の食事の残りだ。全部買い取らせてもらい、その他にも少量の薪と他にもいくつか道具の類と荷車を借りたのだ。サザーランドに案内がてら、これを引いてもらう。
道すがら、空の樽を2つと、まとまった量のパン、ボトルに詰まった薬を2ケースほどを仕入れる。
荷物を増やしながら桟橋へと下っていき、奥へと歩いていく。
船からの荷下ろしをしていた船員たちが、こちらを見ていたが、どうやら彼らは、事態を把握しているようだった。
そのまま端まで進むと、行き止まりだと思っていた場所に細い道があった。
人が二人並ぶのがやっとという感じで、引いてきた荷車はギリギリ通れるか通れないか。借り物の荷車でハマって動けなくなったりとか、壊してしまうわけにもいかないので、ここからは担いで運ぶか、と思案していたところ、船の休憩していたと思われる港湾労働者たちが、何人か小走りにやってきた。
「牧師さん、お手伝いしますよ」
皆よく日に焼けていて、小汚い身なりで、汗や体臭が結構強い。良い所で育った人で、こういう所が初めての人は、たぶん、胃の中のものをリバースするレベル。
僕は慣れたものだ。冒険の旅に出れば、場合によっては自分がこうなる。自分でもわかるくらいの匂いと言うのは、なかなかキツイんだけど、そんな状況でも他人の匂いはもっときつく感じたりする。
それは置いておいて、日頃から肉体労働で鍛えられた労働者にとって、この程度の荷物は軽いものだったようだ。
サザーランドを筆頭に合計4人で荷車ごと持ち上げるとそのまま道を進んでゆく。
少し開けたところまで3分ほど、彼らは手伝ってくれた。
「帰りはまた声をかけてください」
僕は彼らに短く礼を言うと、そこの状況を確認する。
もともと波の自然浸食でできたと思われる大きな洞窟だ。入り口は幅20メートル高さも10メートル、と言ったところか。海面から少し高いので、地震か何かで少し隆起して海面から上に出たのだろう。潮が直接流れ込むことはなさそうだが、ひどく海が荒れたりすると、ここにも届きそうだ。桟橋からは岩場が影になり、直接は見えない。奥は結構あるが、50メートル以上100メートル未満。両壁面に足場を組む形で小屋が並んでおり、2段、場所によっては3段の屋根が見える。
今いる入り口近辺は比較的平らで広場の体を為しているが、周囲より一段低いことを考えると、高波なんかの緩衝地帯として機能しているのだろう。。
…200人以上は住んでいるかな…入り口は恐らくここ1か所のみ。火をかけられたりしたら大惨事になりかねない。
とりあえず、準備をしなければ。
「サザーランドさん、お知り合いがいるのですよね?教会の神父が食料を持ってきたと、けが人とか病気の者も診るから集まるようにと、触れてもらってください」
そう言うと僕は空の樽を地面におろす。
二つの樽の片方の前に立ち、樽の空中に神のシンボルの一つを書きながら
「私たちに、清涼なる命の水をお与えください」
そう告げると宙に書いたシンボルが淡い光を放ち現われ、すぐに消えた。樽に半分ほどの水が現れた。
それももう一度繰り返し、一つの樽を水で満たす。
その次は火だ。そこらに転がる岩で簡単なかまどを作ると、小さな麻の繊維を焚き付けに、火打石で火を起こす。かまどには空の鍋をのせ、樽から水を入れる。
荷車を挟んで反対側に、もう一つかまどを用意する。朝のスープの鍋をあためるためだ。
そこまで終わった時にはサザーランドが戻ってきていて、その向こう側には結構な人数が集まってきている。ちょうどサザーランドが並ばせているところだった。
「皆さんこんにちは、僕は教会から来た聖職者です。あまりたくさんではありませんが、食べるものと、綺麗な水があります。これから配りますので、必要な方は容器をお持ちになって並んでください。あと、もし病気や怪我でお困りの方がおられれば、こちらにお集まりください。」
パンの数は切り分ければすべての人に行き届く数があるが、スープはどう見ても足りない。
「サザーランドさん、配給をお願いします。スープは残念ながら全員分は無さそうなので、子供だけという事でお願いします。あと水が足りなくなったら教えてください」
集まった病人やけが人を順番に見ながら、そこに来た人たちには少し待ってもらい、配給を受ける人たちにもう一度話しかける。
「皆さん、この場に来ることのできなかった病人やけが人をご存じの方、おられませんか?」
そう言うと列の中から3人ほど出てきて、それぞれ病気と怪我をした家族がいる事を教えてくれた。
「申し訳ないが、その方の所まで案内していただけませんか?」
そう言うと彼らは僕を手招きして口々に「お願いします」と言っていた。道すがら3人の症状を聞き、けが人が一人と、病人が二人であることがわかる。
勿論想定してはいたが、今日だけでは治療は終わらない事を確認できた。理由は簡単で今日使うことが許されている神の力では、明らかに病気の場合は一人しか治療できない。最初にけが人の所から行くことにした。
最初の患者は働き盛りの男性。港湾での作業中に荷物が落ちてきて、一命は取り留めたものの、両足を骨折して動けないそうだ。
その人の小屋に入り状況を確認する。
両足の骨折、あとその後の治療状態が良くなくて、壊疽を起こしかけている。
バックの中から清潔な布を2枚取り出し、膿のたまった部分を拭く。そして患部を確認してから少しだけ痛いかもしれません。と告げ、バックの中から取り出したダガーで患部の一部を裂く。すると粒状に固まっている黒くなった血と、緑色の膿が流れ出してきた。先ほど拭いた布を使い膿を出し切ると、小瓶の聖水を傷口にかける。
骨折の状況は両足とも単純骨折だと思われる。これなら何とかなる。
今度はかなり痛いですが、我慢してくださいね。と告げてから足を正しい確度に戻す。彼はたまらず悲鳴を上げたが、僕は手を止めない。
下準備はこれで大丈夫そうなので、神への祈りを始める。ゆっくり彼の上にデミムアのシンボルを描きながらつぶやく。
「願わくば御身の奇跡の御業にて、この者の傷を癒しください。中度の治療」
シンボルを書き終わった右手を彼にかざし、祈りの言葉を終えると、彼の体が淡く輝く。数か所にあった裂傷がふさがっていく。先ほど切開した部分も綺麗になって、壊疽になりかけていた部分の色もほぼ正常と言える。折れた骨も完全ではないが繋がり始めているのを触って確認した。
完治には治療力が足りなかったようだが、少し時間がかかっても完治するだろう。
骨折部に添え木を当てて、少し強めに固定する。
「心配は要りませんよ、骨も繋がりかけてますし、数日で普通に動けるようになると思います。ですが、二日は安静にしてください。
その後は少し動いても良いですが、重労働や運動は避けてくださいね。ちゃんと骨が繋がるのに一月くらいはかかりますから」
たかが骨折されど骨折。適切な治療ができない場合は場合によっては死に至ることだってある。
喜ぶ彼とその家族をその場に残して、次の患者に向かうことにした。
向かった先はまだ若い女性が案内する彼女の娘のところだ。話によると数日前から眠ったきりで、生きているが、なんの反応もないとのことだった。彼女の小屋に入ると、その瞬間に嫌な気配を感じる。
「これは…」
そこに横たわる嫌な感じは覚えがある。何らかの呪いが掛けられているとみて間違いなさそうだ。
呪いの種類までは分からないし、何が起こっているのかも見ただけではわからなかった。横たわる彼女には意識はない。
呼吸は浅めであるが苦しむ様子はない。
案内してくれた女性に声をかける。難しい顔はいったん仕舞い込んで、優しい笑顔を心がけて。
「この子の体に触れますが、よろしいですか?」
母親は何も言わずに、縦に大きく首を振った。
「失礼しますね」
横たわる子供の腕や足を調べる。血色に問題はなく、体温もある。
額に手を当てる。熱は無さそうだ。
口を開けてのぞく。炎症はない、異物が詰まっている様子もなし。何本か虫歯はあるな。
まずは傷の治療を行ってみる。どこかに損傷が生じて意識が戻らないのであれば、回復する可能性があるからだ。
横たわる子供の額に指でシンボルを書きながら祈る。
「願わくば御身の奇跡の御業をお与えください。この者の傷に癒しをお与えください。軽度の治療」
初級の回復の奇跡は発動したがなんの変化も起きない。
もう一度祈る。
「神にお願い申し上げます。周囲の魔法の息吹をお教えください。魔法看破」
魔力看破に反応はない。
これは恐らく病気によるものではない。病気であれば治癒の呪文で病気そのものは治らずとも、体力や肉体的に追ったダメージは回復するので意識を取り戻すケースが多い。治癒の効果が表れないという事は、ダメージが全くないか、効果が妨害されているかのどちらかだ。残る可能性は…細かいことまでは分からないが、呪いの類だ。
「お子さんは今すぐ治療することは難しいようです。ですが明日もう一度、準備してから治療しましょう、今しばらくお時間をいただけますか?」
「娘は治るのでしょうか?」
か細く消え入りそうな声だった。彼女が僕の言葉にものすごく不安になったのがよくわかる。
僕は駆け出しではないが、大司教様とか英雄と呼ばれるほどの力がある訳じゃない。
でも、この子が回復することを願っている。僕も、この母親も願っている。だからきっと上手くいく。
そう自分に言い聞かせた。
「準備不足で申し訳ないです。でも明日はきっとよくなるでしょう。だから明日私が戻ってくるまで、母さんが見守ってあげててください」
母親は無言で、頷く。
僕はバックの中から自分の非常用の保存食を取り出し、彼女に手渡した。
「これはあなたに。ちゃんと食べてくださいね。この子が目を覚ました時に、あまり疲れた顔をされていると、この子に心配されますよ?」
僕は満面の笑みでそう言い、小屋を後にした。
3件目の病人はひどい咳で、衰弱が進んでいた。それほど老けているわけでもない。
こういう症状は何度か目にしたことがあり典型的な咳病に見える。この手の病気は蔓延するので、複数の患者が発生することも珍しくないのだが、ここに案内してくれた彼の妻は症状が出ていない。今なら薬草で何とでもなる。
そっと彼の胸元に手を置き、ゆっくるとさするように円を描きながら
「願わくば御身の奇跡の御業をお与えください。この者に巣食う病魔を退け給え」
柔らかな光が彼の体を包む。
同時に咳はぴたりと止まり、顔色が見ている間に分かるほど回復してゆく。
うん、これで大丈夫。
「願わくば御身の奇跡の御業を再びお与えください。この者の傷に癒しをお与えください」
弱っている体もこれで少し回復したはずだ。
「もう大丈夫ですよ、咳は出なくなったはずですし、衰弱も回復しているはずです。ああ、奥さんは一度向こうに一緒に来てもらえますか?念のための薬草をお渡ししたいので」
「ありがとうございます神父様。お礼の言葉もございません。ですが一つ。私はこの人の妻ではなく、妹です」
「これは失礼しました。さて、広場に戻りましょうか」
最初の広場に戻ると配給は一通り終わったようで、人影は少し減っていたが、最初に集まった病人やけが人は皆そこで待っていた。
サザーランドに声をかけて、失踪した家族の事を知っている人を集めてほしいと告げ、残りの治療を始める。
さっきの妹さんに咳と滋養の薬をひと瓶手渡して、使い方を告げる。これを飲むのはお兄さんではなく、あなただと念を押して。
並んだ順に診察をはじめる。
並んでいるのは概ね軽傷や、軽度の疾病患者。適切な処置を行えば奇跡に頼るほどではない。
腕の骨折の青年と、ひどい栄養失調の子供に軽度の回復をもたらす魔法を使ったが、他は塗り薬、飲み薬、聖水と清潔な布。
そんな感じで問題ない範疇だった。
皮膚疾患や軽度の裂傷の患者を洗浄するために水が足りなくて、もう一度水をお願いしたか。
空になった鍋で薬湯を作って皆に振舞っていたのも、水が足りなくなった原因だった。まあ、それならいいだろう。
ひと段落してからサザーランドのいるところに向かう。
「大変お待たせして申し訳ございません」
そう言いながらサザーランドの周囲の人に声をかける。
少し若いのから年寄りまで3人の人物がいた。みな人間のようだ。
「お集まりいただいたのはお伺いしたいことがあったからです。みなさん、失踪された…えっと・・・」
「あ、言ってなかった。ブットバルデな」
「そう名前を伺っておりませんでしたが、ブットバルデさん一家に関して、最近のご様子を伺いたくてお集まりいただきました」
そう告げると、その場の空気が重くなるのがわかる。
「いいやつなんじゃよ、あの男は」
一番年齢が上に見える男性からぽろっと言葉が漏れる。そして訪れる沈黙。
「お嬢ちゃんもいい子でね、皆にかわいがられていたよ。歌が上手で、明るくてね」
次に年長と思われる壮年の男性が口を開く。
「いつも通りに暮らしているように見えたよ。ここにいる者は皆貧しくて、生活は正直苦しい。それでも幸せはあるんだって、それを思い出させてくれる家族だったんだ」
「そうですか、ですが変わった様子はなかった…」
「あの・・・私は・・・その・・・」
子供に見えた男は子供ではなかった。小人族の男性だ。おそらく成人に達している。
ちょっと驚きはしたが、それを顔に出すほど僕も若くはない。
「何かご存じなんですか?どんな事でも結構ですので、教えてください」
出来るだけ柔らかく、威圧感を与えないようにゆっくりと彼に尋ねた。
「ブットバルデの旦那が…言ってるのを聞いたんだ」
彼に少しばかりの恐怖とある種の困惑…罪の意識のようなものだろうか…が混じっているのが感じられる。
少しの間の後に彼は続けた。
「ブットバルデの旦那は…
『ヤバい借金を何とかして返済を…どうすればいいんだ』
って、ひどく狼狽した様子だった……」
他の2人とサザーランドは少し驚いた表情になったが、まあ、それはそうだろう。
何も分からないけど、一つ確実に言えることがある。
失踪した一家は何かの事件に巻き込まれた可能性が高い。
その後僕たちはスラムを後にした。
25/01/17 誤字脱字の修正、並びに一部表現の変更を行いました。