33:集落 ≪ヴィレッジ≫
25/02/19 誤字脱字の訂正、および表現の一部変更を行いました。
その後も行軍は順調に進んだ。
墳墓の丘を迂回するために、野生動物の活動の痕跡のある所を選びながら進む。
動物たちはとても敏感に反応するから、その痕跡があるところならいきなり死者の群れに襲われることもないはずだ。
実際に今のところ彷徨う死者に遭遇することもなく、順調に進んでいる。
4日目に野生のイノシシとの偶発的遭遇があったが、問題というよりもむしろ新鮮な肉を口にできる良い機会となった。まあ、ちゃんと血抜きをしたりする時間がないので、生臭さが抜けきれなかったが、固い干し肉に比べればはるかに美味しかった。
5日目に入り、罠があるのを確認した。ドロウのハンターが仕掛けた動物の捕獲用の罠のようだ。
彼らの生活圏がすぐ近くにあることを示している。
コマリももうすぐ着くと言っているし、間違いないだろう。
不意にドロウとの遭遇もあり得るし、集落が司祭の手下に監視されている可能性もある。遭遇する可能性はかなり高いと思っている。
慎重に進み、その日の朝を迎えた。
コマリの話だと、集落まではここから半日。昼過ぎか、どんなにかかっても日暮れには到着するということだ。
強行軍で一気に集落まで到達する方が危険は少ない。
一方で集落に着いたら、蠍神の司教と戦闘になってしまう可能性も否定できない。
少しでも万全を期すために十分な準備(休息も含めて)が必要だろう。
まあ、そうなると集落のドロウたちと戦うことは避けられなくなるから、説得どころではない。
最大の目的は、彼らに新たな地へ移住する決断をさせること。
ただでさえ説得は簡単にはいかない。むしろ不可能に近いと言えるレベルだ。
今回の大博打の最大の関門をどのように突破するか、慎重に考えなくてはならない。
考えを巡らせたが…結論に至るのは思いのほか早かった。
タイミングを遅らせても、戦闘になるリスクが下がる訳ではない。
交渉が成功した場合は、少しでも早く事を進める方が正しい。
交渉はいずれにしても困難であり、ここで準備をすることにメリットはない。
結局のところ、天秤にかけるべき点はただ一つ。
万全を期して、戦闘で生き残ることを重視するか、少しでも早く交渉に入るか。
最終的な決断の為に、みんなの意見を求める。
この結論に至る理由を説明し、こう締めた。
「コマリ、ザック、僕の3人はこのまま集落を目指します。レイア、ロアン、Gさんは、ここで休息を十分にとった後に、慎重に集落を目指してください」
こうすれば、万一交渉に失敗したり、待ち伏せの状況になっても、3人は生き延びる可能性が高くなる。
コマリと僕は当事者、ザックも一連の話からすれば当事者である。その場にいないのは不自然だろう。
「現状では最善策と考えます。皆さんの意見を伺わせてください」
真っ先に口を開いたのはレイアだった。
「もちろん異議あり、だ。お前の考えてることは大体わかったが、パーティを2分して別行動にする意味がわからねぇ」
「リーダーの指示だったら、従うけどさー。でもね、心情的にはレイアちゃんの意見に賛成かな」
レイアに続いてロアンがやんわりと反対を表明する。Gさんもそれに続いて
「3人で行こうと6人で行こうと、交渉には影響するまいて。何と言うか、余計な気遣いが見えるのは面白くない」
Gさんも反対。説明してないけど僕の意図は筒抜けのようだ。
コマリは僕に従う、の一言。
一同の目が、ザックに注がれる。
「私はアレン殿の意見を尊重します。ですが、この状況で友の背中を見送る選択は出来ないとも思います」
わかってんじゃねーか、と言いながらレイアがザックの背中をバンバンと叩いている。
「では、どうしま…」
「賛成多数って奴だ。全員でドロウの集落に乗り込む。だろ?」
レイアの意見に一同は口々に「異議なし」と言った。
「リーダーとしてメンバーの安全を、って考えるのはわかる。だが、危険は出発する前から分かっていた事じゃ。皆覚悟は出来とるんじゃよ。
今更別行動と言われてもな。そういうのは、世の中では水臭いと言うんじゃ」
Gさんが僕にそう告げた。
僕は一息吐いてから
「では、みんなでこのまま行軍を続けます。皆さん、ありがとう」
深々と一礼した。
「ばーか、それを水臭いって言うんだよ」
ロアンの手が僕のちょうどお尻の辺りを打った。
これからの行動は決まったので、野営ではなく、少し長めの休憩となった。
皆は食事の準備をして、僕は朝の祈りの時間をもとる。
程なくして再出発。ドロウの集落を目指した。
それから数刻、ジャングルを歩き続ける。
僕の目で見てもわかるような人が歩いた後や、草を刈った跡、そう言うものが時々見受けられる。
すでにドロウの生活圏に踏み込んでいるのだ。
そんな事を思っているとジャングルが開け、ちょっと先にドロウの集落が見えた。
木柵が整えられていて、警備についている人の姿も見える。
兵士と言うよりは、重装備寄りのハンターと言う感じの出で立ち。ドロウの戦士か、バーバリアンか。
彼らは僕たちの姿を確認すると、
「そこで止まれ! 何用か?」
問答無用で攻撃されないのは非常に助かる。
ローズさんも共通語を流暢に話すことから、外との一定の交流はあると思っていたがそれは間違いなさそうだ。
彼らは共通語で話しかけてきたのだから。
僕たちは立ち止まる。
そして僕の横にコマリが一歩進み出て彼らに告げた。
「ドュルーワルカ族長、ラッシャキン様、目通り願う。
至急、重要な話ある」
コマリの姿を確認し、声を聞いて本人と認識したのだろう。その場にいた数人の衛兵たちに小さな動揺が広がる。
「コマリ様…」
呆然とする衛兵の一人が彼女の名を口にした。
コマリは少し強い口調で追い打ちを掛ける。
「汝我を知る。≪私が誰であるか理解したのであれば≫
急ぎ話する、≪早々に取り次ぎなさい≫」
「少しの間待て」
そう言い残し、衛兵の一人が慌てて村の中ほどに走っていく。
我々はその場に立ち、向こうの対応を待つ。
その間に騒ぎを聞きつけた他の衛兵や、集落の人たちが、簡素な木の扉の向こう側に集まってきていて、口々に「コマリ様」とか「巫女様」とか言っているのが聞こえる。
待つこと1、2分。
集まっていた野次馬たちが頭を垂れるのが見える。
扉の向こうに身なりの整った人物が現れた。年は恐らく300歳くらい。普通族長と呼ばれるには若い年齢に思える。
コマリの父親なら妥当なところか。手には蠍の尾をかたどったヘッドを持つ杖。権威の象徴だろう。
彼は衛兵に何か指示を出し、扉を開けさせる。
近衛だろうか、二人の戦士を従えて彼は前に出てきた。
「ドュルーワルカ族長、ラッシャキンだ。そちらは何者か?」
共通語で名乗りを上げる。コマリはその場に跪き、僕たちはその場で軽めに一礼する。
「ドュルーワルカ族長である男、ラッシャキンの娘だった、コマリ
《ドュルーワルカの一族の長ラッシャキンが娘で在った者、コマリと申します》」
コマリはドロウ語で返す。ラッシャキンは共通語で続けた。
「コマリと申す者よ。ドロウであるそなたの脇に立つ卑しきエルフは何者か」
本気交じりだとも思うが、こちらを挑発する意図も見える物言い。コマリは冷静に続ける。
「ディープフロスト一族、月の従者を兼ねる。私の唯一の夫、アレン
《デープフロストの一族にして月の神の従者、私のすべてを捧げる男、アレン様です》」
野次馬がどよめく。ラッシャキンすら驚きの表情を隠せない。
幾分冷静さを欠いた強い口調で答えた。
「お前は蠍神の妻なのだぞ?それがエルフの妻を名乗るか!痴れ者めが!!」
「すごく重要、話ある。婚姻に関する話、含まれる。
《その件も含めまして、極めて重要な話がございます》
話は存亡にかかわる。一族の存亡。
《一族の存亡にかかわる話です》
そのために、相応しき場、余計な人を排除すること、望む。
《つきましては、落ち着いて話せる場所の用意と、人払いをお願いします》」
ラッシャキンは一歩踏み出し、その視線をコマリに向けている。
射殺さんとするような強い怒気が感じられる。
対するコマリの表情は、僕からは伺い知れないが、恐らくは一歩も引かない構えなのだろう。
緊張感がその場を支配する。
ごく僅かな時間であったはずなのに、かなり長い時間に感じられた。
「よかろう。聞くだけは聞いてやる。ついて来るが良い」
そう言って背を向け歩きはじめる。
衛兵が近寄ってきて
「武器を預かる」
僕にそう言ってきたので僕は腰の三日月刀を鞘ごと手渡すと同時に少し大きな声で言った。
「私の武器はお預けしますが、友たちの武装解除には応じられません」
その言葉に衛兵たちに緊張が走る。
最初に反応したのは族長だった。
「構うな。6人相手に我らが後れを取るのか?」
その一言で衛兵は僕に刀を戻してから下がる。
僕は族長の背に感謝を示す一礼をしてから後に続いた。
第一ラウンドはコマリが奮戦し、こちらの想定通り進んだ。
話す内容が内容だ。いきなり村人全員に聞かせる訳にはいかない。族長が我々の提案に応じる気があったとしても民衆の声は無視できない。全ての人を味方につけるためには、まず族長を味方にせねばならない。大衆心理に影響を受けないところで交渉を行う必要がある。
もう一つは武装解除に応じなかった点も同じ目的なのだが、こちらが交渉相手であるという認識を持ってもらう必要がある。
交渉のために、主張すべきところは主張し、譲るべきところは譲る。まずは対話の場を作らねばならない。
集落の中を歩いていく、少し先にある大きめの木造建築の建物が目的地だろう。
あまりキョロキョロして挙動不審に思われるわけにもいかないので、視線だけ動かして周囲を観察する。僕に向けられる視線が痛いのは仕方ない。
いくつもの木製の家、感覚的には小屋に近い。が立ち並んでいる。集落の規模は人口500~800という所か。
想像していたよりも少し大きいが、想定の範囲内。おそらくはその殆どがある程度の戦闘能力があると推測できる。
家畜や小さな畑もあるようだ。
基本的にはこの規模での自給自足。ジャングルがかなり豊かであることが想像できる。
程なく大きな建物に到着する。入り口で近衛の一人に何か伝えると、彼は頷いて走っていった。
扉が開かれて中に招かれる。
木張りの床で広いが何もない部屋。集会所の類だろうか。
突き当りは一段高くなっていて、椅子が一脚。素朴な造りではあるが、威厳はある。後ろの壁面には蠍の尾を握る手の見事な刺繍が飾られている。
なるほど、族長が手にする杖は、権威というよりも一族の象徴か。
そんな事を思っているうちに族長、ラッシャキンは椅子に座り、もう一人の近衛に何か指示を出す。
彼は脇に行くと積まれている草を編んだ敷物のようなものを抱えてこちらに来て、前に2つ、後ろに4つ並べて一礼して奥に消えた。
「これから話を聞くが、まずは落ち着かれよ」
先ほどまでと比べ態度が少し軟化しているのを感じる。
やはり長としての威厳を保たねばならぬ、と言う所だったのか。
「コマリ、汝見る事、無かれ思う。ここへ来なさい
《お前の顔を再び見られるとは思ってなかった。こちらにおいで》」
「父上…」
ラッシャキンの声に、コマリが立ち上がり、一歩二歩と歩いた後に駆けだす。
ラッシャキンも立ち上がりその場で抱き留める。
「汝見ぬ間、物凄く女、良くなった。
《少し見ないうちに随分といい女になったな》
しかし、汝故に子供未だ。
《だが、こういう所はまだ子供だな》」
「父上、父上…」
彼らがどんな会話を交わしているか正確には分からないが、少なくとも親と子の会話なのは間違いないだろう。
なんか、こういうのっていいよね。僕も少しだけもらい泣きしそうになった。最近涙腺が弱い気がするよ。
ちょっとおっかない感じの族長さんだけど、やっぱ父親なんだよね。
そうしていると奥に下がっていた近衛がお盆を手に戻ってきて、僕たちに木のカップを配って歩く。
中は暖かい飲み物だと思うが、見たことのない黒い液体。何かを炒ったものからの抽出物、だと思う。香ばしい香りがする。匂いは悪くない。
「これは?」
と思わず尋ねると、近衛らしい人はこう教えてくれた。
「ドラウで普段から飲まれるお茶のようなものです。我々は普段お茶と言うと、これを意味します。
独特の苦みがありますので、子供などは牛の乳で割ったり、ダスラスマ蘭の根から作るシロップを加えたりします。
余談ですが、コマリ様の分は両方入っています。もしお口に合わぬようでしたら、お持ちしますので、遠慮なくお申し付けください」
非常に丁寧な対応。外で浴びた痛い視線とは少し印象が違う。エルフに対する嫌悪感は無いのだろうか。
彼はそのラッシャキンの椅子の脇にある小さなテーブルに、我々のより一回り大きなカップを置くと族長の斜め後方に立った。
視線でコマリと何か会話を交わして。
その様子からするに彼はコマリが生きていることが嬉しいのだという事が推測できる。
コマリが僕の隣に戻ってきて座ったところでラッシャキンが口を開く。
「まずは親としてそなたに詫びたい。先ほどの失礼な言はご容赦願いたい。
また、コマリと今一度合わせてくれたことに感謝する」
そう言って座ったままではあるが一礼する。
僕はこの人の筋の通っているところに好感を抱いた。
「まずは我々のお茶を試してみて欲しい。率直な感想も聞きたいところだな」
お茶を勧められる。これはある意味試されているともいえる。なので僕はカップを手に取って一口、口に含んでみる。
コマリは笑顔で小さく美味しい、とつぶやいたが。
苦っ!
ちょっと吹き出しそうになったがそれは何とか耐える。
ちらっと後ろを振り返ると、レイアとロアンは僕と似たような反応。Gさんは…無表情を何とか貫いたっぽい。髭のおかげもあるな。
ザックは一気に飲み干した。え?レーヴァって飲み物とか飲めるの?
「いかがかな」
少し意地悪気に笑いながら問いかけてくるラッシャキン。この人、こういう反応をするの分かって楽しんでるな、さっきの好感度は半減した。
問われて答えないのは失礼にあたるので、何とか口を開いて答える。
「とてもいい香りがしますね。強い苦みとその後に来る酸味。最後にほのかな甘みが感じられて…」
「まあ、そうだろう。普通は『苦い』と言う。その他の味に気が回るのは大したものだ」
愉快そうに笑いながら、彼は言ってから自分のカップを口に運んだ。
そして続ける。
「さて、親として礼を述べたが、婚姻となると正直に言って素直には喜べん。コマリの事情も知っておろう。これまでの顛末を話してもらおうか」
眼光鋭く僕に問いかける。この人、やっぱ怖い。
怖気づいてはいられないので、その場で立ち上がろうとしたが、彼は立たずとも良いと仕草で示した。
僕は座りなおしてザックによるコマリの略奪から僕たちがここに来るまでの経緯を話した。
「そうか…」
話を一通り聞き終えたラッシャキンは小さく頷きながら
「要約すると、そこのレーヴァが独断で司教の配下から奪い逃走。その先で捕まったところをお前が助けて婚姻の契約を結んだ。
正式な婚姻はコマリの成人を待ってから。それまでは婚約とする、と」
概ね正しい認識に聞こえる。
僕は肯定の言葉を言おうとしたがそれより先にラッシャキンが話し続けたので、発言を控えた。
「しかし、虜囚のみで選択肢がない状態で結婚を迫るとか、おまえ見た目に依らず鬼畜だな」
それは事実誤認も甚だしいでしょ。
「それは違います。先ほど言ったように最初は双方の言葉の意味の取り違えがあって、勘違いだったと。
ここに向かう途中で、その間違いを正そうとして、それでもコマリは妻として支えたいと言ってくれたので
僕から改めて求婚した次第です。その辺はローズさん、密林の薔薇に聞いてくださればご存じです」
「薔薇にあったのか?」
「はい、単独でコマリの捜索に当たっていたと」
「で、お前らの婚姻になんか言ってたか?」
「結婚しないと殺すぞ、って勢いでした。もちろん脅されて求婚したわけではありません」
「コマリを一番かわいがってたからな、反対は出来んか。
一つ肝心なことを聞くぞ?
成り行きは分かったが、お前はコマリが欲しいのか?愛してるのか?」
答え難い事をズバッと聞いてくる。
この人、ローズさんから報告とか受けてるんじゃないでしょうね…
「正直に答えます。コマリを欲しいかと問われると、性欲的な部分では否です。私の感覚では彼女は若すぎます。
ですが、その魂の在り様は美しく、強く真っすぐです。傍にいて欲しい。
愛しているかと問われれば、正直わかりません。
コマリにも指摘されました。自らを愛せないから自分の愛に自信が持てないのだと。
まずは自分を愛すること、自分を赦すことから始めましょう、と諭されたぐらいです。
ですが、少なくともコマリを守るためにこの身は厭いません。コマリの笑顔の為なら多少の困難は乗り越えて見せます」
「それだけの事が言えるのに愛しているの一言も言えないのか。
お前、馬鹿だな」
こう言われると、正直カチンとくるが、言い返せないのも事実だ。
返答に窮しているとラッシャキンは言葉を続けた。
「そんなに多く知ってる訳じゃないがエルフも何人かは見てる。少ない知見からだが、エルフとしてお前は相当変わってるな。
いや、これは誉め言葉だ。お前ほど馬鹿正直にしゃべるエルフは見たことない。連中はなんだかんだ言って煙に巻くのが得意だからな」
彼は一つため息をついてから
「お前がどういう奴かは大体わかった。婿に、いやコマリが嫁ぐには悪くないと思う。
残念なのはお前がエルフで、しかも戦士としては三流ってことぐらいだ」
やっぱり酷い言い様だ。これは婚姻も認めないとか言い出しかねない。
隣でコマリがラッシャキンを睨んでいるのが見える。
「まあ、コマリは嫁に出したからな。そのあとの事までは俺の知ったこっちゃない。好きにすればいいさ。
で、だ。そろそろ本題に入ろうか。
わざわざ結婚の許しを得るためにここまで来た訳じゃないだろ?」
少し長い前段は終わった。この人は話を聞く度量を持っているし、十分理性的だ。
チャンスはある。
僕は本題に入る。
「コマリを最初に説得した際に、彼女は最後まで蠍神の妻として迎えられることを願っていました。いえ、願わざるを得なかった。
コマリは自分がその運命から逃れることで、一族が厳しい立場に立たされる事を強く懸念していたからです。
そこで、コマリの懸念を消すために、僕はここに来ました」
「ほう、どうやってその懸念を消すというのだ?」
「それほど難しい事ではありませんが、一番難しい事でもあります。
皆さんに蠍神と決別していただき、少なくともその配下の手の届かない場所に移住していただきたい」
その言葉にラッシャキンは表情を強張らせる。
「確かにな。難しくは無いが、難しい事だ。お前、自分が言ってることが分かってるんだな?」
「はい、正しく理解していると思います。皆さんから見て、僕は
悪事をそそのかす悪魔に見えるでしょう。
それでも、コマリの憂いを断つためにはこれしか手がありません」
「多少の困難なら…か。なるほどな」
「恐らくコマリがいなくなったことで司祭からはより大きな要求が突きつけられている事でしょう。
それは今回で終わりではないはずです。
蠍神はあなたたちに力と救済をもたらしたかもしれません。そこは否定はしません。
ですが、あなたたちに血と涙を流すことを強いる。これは僕個人として容認できません。それが神であっても。
一族の今後の繁栄と悪しき連鎖を断ち切るために、今決断すべき時だと考えます」
ラッシャキンは硬い表情のまま、やや俯き加減で聞いてきた。
「それはお前が仕える、月の神の差し金か?」
「いいえ、僕の判断です。月の神はこうせよとは仰いません。思い通りにやって見なさいとおっしゃる神です。
ですから、力添えがあるか無いかはわかりませんが、少なくとも見守ってくださると思います」
「昨日まで司祭の手下がこの辺をうろついてた。我々を監視するためにな。
連中はコマリの代わりに5人の子供の生贄を要求してきた。
我々は神には逆らえん。それはドロウの生き方でもあるからだ。
それをお前は捨てろと言う。ドロウの在り方を否定する。
その決断がどんなに難しく、どんなに残酷であるかを理解していない」
「おっしゃる通り、完全には理解できていないかもしれません。
ですが、幼子の未来が失われることは理解しています。
そこにどんな可能性があるのか、どんな未来があるのかは誰にも分からないのに。
どんなにつらく、苦しくても、わずかな希望があれば、人は生きていけます。
僕もコマリと同じくらいの年のころに、今の自分を想像することすらできませんでした」
後半は正直冷静に考えることが出来なくなっていた。
しゃべりながら、自然と涙が流れ出し、止まらない。
説得はまだ上手く行っていないが、言葉が続かない。
コマリが隣から抱きしめてくれている。勇気を分けてくれようとしている。
だけどだめだ、言葉が、出ない。
不意に後ろから金属質の言葉が響く。
「この方は、高潔であるが故に、自ら進んで罪を背負われるような方です。
私はこの方にレーヴァとしての生き方ではなく、人として生きることを説いていただきました。
私も思います。自分の責務を果たして死ぬのは名誉です。
ですが、死が目標ではありません。生贄となる子供たちは、名誉のために死ぬのですか?」
普段はしゃべらないザックがこんなにも後押ししてくれている。
「伝統ってのが重いってのは分かるが、子供を殺して後味は悪くないのかい?
一族の為の尊い犠牲?言い訳でしかないだろ?族長としての責務でコマリを一度手放したあんたには分かってるはずだ」
レイアがザックに続く。
「難しい事は分かんねーけどさ。あたしの勘はこう言ってるよ。
子供って犠牲を払って、そこに未来があるのかよってね」
ロアンの声だ。
「この者は、ガラスのように脆い。だが、勝てぬ戦いでも逃げ出さぬ。蛮勇ではないぞ?
そこに戦わねばならぬ理由があるからじゃ。
だからこそそなたに問おう、ドュルーワルカの族長よ。
貴殿の守るべきはそなたが信じる神か、それともここに暮らす民たちか」
ガイアさんの言葉が研ぎ澄まされた刃のように突き立てられる。
重い沈黙。
ラッシャキンが絞り出した声が響いた。
「…即断はできぬ。少し時間をくれ。
イシュタル。彼らに客間を用意して少し休んでいただけ」
僕は仲間たちの後押しにどうにか自分を立て直せていた。
伝えるべきことを最後まで伝えなきゃ。
「猶予は1日です。後続で皆さんが避難するための部隊がこちらに向かっています。
当初の予定よりも遅れそうですが、ローズさんがガイドを務めてくださっているのでおそらく到着するでしょう。仮に到着しなくても決断がなされれば移動を開始していただきます。
期限を持って決断がなされないときは…僕はコマリを連れて行きます。
コマリは悲しむでしょう。でも、彼女の未来は彼女の物であるべきです。
約束は守れなくなりますが、これ以上あなた達に強いることもできません。
お心遣い感謝いたします。ではまた後程」
なんとかこれだけ言って退席する。
イシュタルと呼ばれた近衛は、僕たちを別棟の部屋に案内してくれた。
僕はやれるだけはやった。
でも足りなかった。
それでもみんなが補ってくれた。
多分届いたと思う。
歩きながら皆が肩を叩いてくれる。
無言だけど、思いは伝わる。
コマリは僕を支えるように側にいてくれる。
僕はこんなにも恵まれている。
これが幸せでなくて、何が幸せなのだろう。
まだだ、これで満足していけない。
蠍神の手が届かないところに連れて行かなきゃ。
僕だけが幸せじゃダメなんだ。
日が傾き始める。
僕たちは疲れていたことを思い出して、みな崩れるように眠りについた。




